第4話

文字数 1,402文字

グレゴリー・ベイトソンと言う人の、『ダブルバインド理論』というものを聞いたことがある。

統合失調症の発症に関わる要因についての仮説で、「こういう親、こういう環境が統合失調症者を生み出しやすい」とするものだ。

それは、「口ではイエスと言っておきながらその真意はノー」あるいはその逆、というもので、この、アンビバレントな二つの意味を同時に持つメッセージに絶えずさらされると、人は統合失調症を発症しやすくなる、というものだ。

この仮説については深くは知らないし、どこまで当たっているか、自分の親がどうだったかなど考えてみると、「そうだそうだ!」とまでは思い当たるわけではないのだが、統合失調者である自分にとって辛い環境や、その逆に、心地よい環境がある、というのは紛れもない事実だと思う。

ぼくは、いじめや犯罪性のある環境では、きわめて精神を動揺させやすい。こういうものは誰にとっても辛いという反論を受けるかもしれないが、犯罪的なことをむしろ楽しむ人がいるのも事実で、また、矛盾するようだが、ぼく自身、いじめを(自分が被害にあわない限り)心の中では楽しむ事すらある。

にもかかわらず、「人が人を追い詰める」という環境は、精神の病にとっては基本的に大きなビハインドをもたらすものだと言える。成立にも寄与するかもしれないし、病んだ後の予後やQOLにも大きくかかわると思う。

ぼく自身のことで言うと、父親から、目に見えない虐待を受けてきたような気がする。うまく言えないし、詳細はいまここでは(とても伝えにくいので)省くけれど、たとえば大学の二階の窓から飛び降りた時、その日机に母と妹の写真を置いて、二人へのメッセージのつもりにしたのだけど、そのことを父に言うと、父は、「おまえにも善の心が残っていたのか」と言った。そんなこんなが、ぼくにはとても辛かったように思うのだ。

『組織の論理』というものも、ぼくは苦手である。あんまりそういうものに気を使いすぎるような環境だとしんどくなるし、そもそも持ち味を発揮できなくなるだろう。

ただ、その組織が『善の』組織であった場合にはどうなのか?という疑問は残る。

その場合のことは良く分からないが、ただ、ぼくは、一応は、なんとか組織の中でもやれないこともない。組織のルールを理解できないわけではないのだ。ただ、その中で苦しむことがあるし、その苦しみをたぶんある種の人よりも馬鹿馬鹿しいものと感じやすい、という事があると思う。

組織は大切だ。だけど、組織の発生とともにたぶん精神の病も現れてきたのだという事は、忘れてはならないことだと思う。

この事から逆に、精神病になりにくい環境、精神病の予後を良くする環境とは何なのかがわかりやすくなる。それは徹頭徹尾、個々人が大切にされているような環境であると思う。個性もそうだし、その体もそうだし、その考えもそうだし。個を大切にするような人が上に立てば、その組織は飛躍的に進化しうるはずだ。

個を大切にする組織とは、組織からすれば一見、自己矛盾のようにも取れる。けれど、精神の病に苦しむものとして言わせてもらうが、

そこにしか未来はない!

今働いているところでも、一人、あるいは二人、器の大きな男女がいる。その人たちの「人を大事にする姿勢」から学んで、助けられつつ、これからも働いていこうと思う。そして「個を大切にする」という事の実践を、自分自身、少しでもやりたいと願う。
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