第50話

文字数 1,125文字

人生で、悔やむ事、思い通りにならず腹を立てていることは色々とあるように思うのだが、その逆に、感謝していること、幸運だったと思うこともたくさんある。

そのなかでも大きいのは、これまで暴飲暴食の生活を送ってきたにもかかわらず、糖尿病の合併症がまだ見られていないことだ。ジュースも飲むし、ポテトチップスも必要以上に食べる。内臓脂肪をたっぷりと蓄えた腹は、見事なまでに突き出ており、174cmの身長に対して、84キログラムの体重を誇る。

加えて、父方にも母方にも糖尿の気がある。

それでも、47歳になろうとする今年まで、視力の障害もなかったし、腎臓もまだ透析を受けてはいない。腎臓の透析を受けるようになれば、いよいよ働けなくなるだろうから、年金をもらって就労継続支援にでも通って生活をすることになるのかもしれないが、それまでに資格も取って、なんとか少しでも世のため人のために働きたいと思う。

世のため人のため、ってなんだろうか?

ぼくはいま、皮膚科と精神科にかかっていて、どちらにも大変お世話になっている。歯科も、良い歯科を知っていて、そこでお世話になっている。仕事だって、ちゃんとあっせんしてもらえるし、障害をオープンにしたうえで働けている。そして、エレクトロニクスの恩恵を(こうして書いている今も)大いに受けている。

人々は、欲望のままに生きているかのようで、どこかで人の役に立つことも成し遂げながら、大概の人は生きておられるようだ。そして時にそのことに自覚的であったり、満足を覚えたりしている。それは、素晴らしいことだと思う。

株を少し勉強したので思うのだが、資本主義には少し馬鹿馬鹿しいところもある。株は真剣にやらなければ損をするのだが、かといってあんなものを真剣にやるのもどうかな、という部分がある。それでいてこの仕組みが資本主義経済を支えているのなら、資本主義には初めから、どこかちゃらんぽらんなところがあるのかもしれないと思う。

それでも、人は助け合い、支えあって生きている。孤立して生きてはいないし、いけないと思う。

世の人のための何かを考えられるのは、素晴らしいことだと思う。遅きに失したかもしれないが、ぼくもまた、世のため人のためのことを考えて、色々勉強を始めた。介護のことも勉強しているし、電気のことも勉強している。人相手の仕事でうまくいかなければ、もの相手の仕事をしようと思うのだ。科学を、電気のことを、もう少しだけ知りたい。介護の仕事がもしもぼくにはできないとなれば、電気のことを勉強して、電気屋さんとかで働きたい。

エレクトロニクスは、生活の隅々にまで入り込み、これからもこれを大きく変えていく技術だから。人は生まれた瞬間から死の時まで、生活を送る。
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