第3話

文字数 1,582文字

誇大妄想と被害妄想と恋愛妄想。

それがぼくの三大妄想である。元々、内向的な人間だったから、多少なりとは妄想傾向もあったかもしれない。けれども、日常での仕事や人間関係に影を落とすほどの妄想ぶりが出るのは、やはり病気というカテゴリーに属する事柄だろう。

二十年間、統合失調症を患って生きてきたと思う。そのうち十五年は社会の中で曲がりなりにも働いたりしていた。しかし、なんとか人並みに働けるようになってきたのは、治療に加えて福祉の助けまでもらえるようになってからで、ここ二、三年のことである。

大学は、私立の医学部に通っていた。その頃はまだ、医者である父の仕事もなんとか金になっていて、私立の医大生として、おこづかいをもらい、風俗に行ったり美容院に通ったりブランドの服を買ったり、休暇には温泉に行ったりと、羽振りの良い生活ぶりだった。

けれどそこには信念が欠けていたし、勉強もまったくしていなかったから、充実感がどこにもなく、なにより女の子に真に訴える要素がどこにもなかったので、それで今とは違って本当の意味で孤独にぼくは陥っていたと思う。誰とも、どことも、なにとも結びつき、理解しあうことのない生活だった。化け物のような生活をしていたのである。

急性期を発症し、大学の二階の窓から飛び降りた後、しばらく、大学の人見先生の外来に通った。人見先生とぼくとの相性はあまり良くはなかったと思うから、もしぼくがあの時点でもっと理性的だったなら、もっと自分と相性のいい町医者にかかることを望んだだろう。そうせず、やたらと待ち時間の長い大学病院の外来でしばらく治療を受けた挙句、勝手に治療を中断してしまったのである。

それからのぼくは、38歳で再び医療につながるまで、迷走を続けた。特に北海道で単身生活していた時期には、車を持っていたこともあり、事故を起こして死んでいたかもしれないと思うとぞっとする。ぼくはいまでは車社会への反発もあり、車は持つまいと決めているが、そもそも元来が運転に向いていないのである。それは統合失調症という特性に加え、発達障害というものもあるからかもしれないが、とにかく運転中にCDなどほかのことに気を取られて運転がおろそかになってしまうことが多いのだ。北海道では一年間車を運転したが、よくぞ無事に生きて、人や鹿相手に事故を起こさず済んだものだと思う。一度、トレーラーにぶつかりかけたことがあった。車道に乗り上げてパンク、なんてことは何度もあった。

ぼくの被害妄想は体験的なもの、そして半ばは体感的なものである。人の感情の動きといったものを、察知したように思えるのだ。そういう人の気配のようなものが察知できると、100パーセントあり得ないことであるとは言えないかもしれない。しかしそのような感覚を味わった時のぼくは、おうおうにしてその『感覚』が真であるととっさに決めつけてしまうことが多い。そこには、人の知ることが出来ないことをも自分は知ることが出来るのだという誇大妄想も働いているのかもしれない。いずれにせよ、健康で健全な人ならばそこまで深くは気に留めないであろう『感覚』に、ぼくはとらわれてしまうことがある。

こういうことが、仕事をするうえで邪魔になる部分はあると思う。人に対する悪意が生じているときに、自分の方でもそれに対応した『感覚』を持ってしまっているというのは、危ういことだ。

もう一つ、恋愛妄想も厄介なもので、これにも明らかに誇大妄想が働いているのだが、ぼくはしばしば幾人かの女から好かれているのではないかという推定を抱くことがある。恋愛そのものも好きなので、この妄想はなかなか楽しいものなのだが、しょせん妄想は妄想で、忠実に妻を愛することをさぼってばかりいることの証明にしかならないこんな妄想は、たぶん実にならないだろう。お遊び程度のことで済めばいいがと思う。
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