第58話

文字数 1,163文字

最近、YouTubeに動画を投稿するようになってしまった。目的は金目当て、小銭が稼げたらいいなあと思ってやり始めたのだが、まだまだぜんぜんそこまでは到達しそうにない。

それでも、投稿すること自体が楽しみになって、ささやかな閲覧数でも一喜一憂している。

ぼくが投稿できる動画は、編集もほとんどなくて、素朴な、取りっぱなしのもので、ネタもそんなにないので、表情で笑かそうかと思ってみたりして、自撮りで、色んな顔をして喋ったり歌ったりしている。

そんな中で、はじめてのことかもしれないけれど、自分の顔ではなくて、表情というものに注意が向くようになった。

これには伏線もあって、履歴書の写真を撮るときに、妻から、もっと笑顔で撮ったらどうかと言われたり、普段から無表情だと言われていたのだが、

実際ヒカキンなどのユーチューバーは、多彩な表情を浮かべるし、お笑い芸人も顔芸を持っている人が少なくない。

乏しい映像資源の中から、自分の顔で何とか人に見てもらおうと思った時に、自分の顔の表情というものに意識が向いたのである。これは良いことだったと思う。

ある時期から、ぼくは人の表情によく気が付くようになった、というか、過敏になったと思う。このことはぼくの精神病とも関係している気がするが、人がぼくをみて暗い顔をするだとか、恐い顔をするだとか言ったことに、凄くこだわるようになってしまい、また、ひきずるようにもなったのだ。

だが、そうした顔や顔を見ているぼく自身は、いったいどんな顔を浮かべていたのだろうか?ぼくはきっといつも、妻が言うように、能面のような無表情を浮かべてそれらの顔を見ていたんではなかったか?

そう思った時に、顔が格好いいかどうか鏡を見て気にするばかりではなく、自分にはいったいどんな表情があるのかが気になり始めたのである。

だいたい、格好が良いとされる顔はすまし顔かむっつりがおで、そこにはこれといった表情はない。苦心して色んな表情を作り、心の内面をそこに表してみる努力をすると、たった一度だけ、自分でも思ってもみなかったような顔をすることが出来た。ただその時だけ、自分で自分の顔を見て腹を抱えて笑い、インスタグラムに「最高傑作」と銘打って投稿した。

「笑顔の練習」というものもやるようになった。それから、「狂人は狂人らしく見せようとすればするほど、狂人として扱ってもらえなくなる。その逆に、まともであろうとすればするほど、狂人とみられやすくなる」とチェスタトンばりの逆説を編み出し、歩きながら、唐突に変な顔をするという「エクササイズ」をやるようにもなった。

顔を「見てしまう」私から、「見られている」なんなら「見せている」私への気づきと変化。これがひと時のマイブームで終わらなければいいなと思う。一生に影響を及ぼす変化であればいいがな、と思う。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み