第48話

文字数 777文字

「放置少女」っていうスマホアプリをやったのだけど、期待に反してあまり面白くなく、その割には一晩徹夜したので、これは危険だなと思いさっさと削除した。

オタク向けの商売というか。

独創性の欠片もないし、そんなもの端から求める気もない。表現ではなくて、ただの商売。

そんなものにつくづく嫌気がさします。

なんで女の子の名前が織田信長とか周瑜なのか分からないけれど、そうするのがオタク向けのゲームでは流行だから、どこもはんこで押したように同じ事をやる。総選挙とやらもそうだ。他のコンテンツで受けたものを、恥ずかしげもなくただ真似をする。

そんな商売に付き合ってられないと思う。もう少し真剣にものを生み出して欲しい。

そんなぼくが今再び読んでいるのは、村上龍の小説です。

村上龍にはピュアなところがある。放置少女やその客には、そんなところまったくない。仮に女の子がやっているとしたら、あまり賢くない、若い女の子だろうと思う。おっさんがやっているとしたら、まったくモテないような、風俗に行きまくるようなヤツではないか。

少女、というからには、普通はピュアなものを持っているはずだが、放置少女たちは年老いた商売女以上に汚らわしい存在だった。

表現には、ピュアネスへの憧れがなければならない。この世界のどこにも属さないような異質なものを誰だって持っているはずである。あえてそれを表に出してみるということが表現であり、その戦慄がういういしさに結びつくのだ。誰にも理解されないかもしれない自分だけの思いに気づいている人は、いつまでも若々しくいられると思う。

そういうものと関わることこそ、表現に触れることの醍醐味だと想う。

時間を何に使うかというのは割と大切な事だ。この世には、睡眠を削ってまでもしてしまえるけれど、実質睡眠以下の活動だってないわけじゃない。

クソゲーをやるってことがそれに当たる。

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