第98話

文字数 769文字

秋葉原の、2トン車ヲトコの事を、今でもたまに考える。

死んだ眼で 2トン車見つめる 殺人鬼


加藤智大、もう、死刑に処されたか。

やったことが、物凄く悪いことだったということは、さすがの私にも分かる。

けれど、彼が根っからの悪人だったとか、そういう風に思えないのも事実である。日本社会との絡みで言えば、彼は虐待の被害者だった。

日本ではまだ、子どもは親の所有物である的な考えが強く、子に対する親の虐待が許すべからざる犯罪であるとの認識が、アメリカなどに比べると、かなり遅れているらしい。

加藤が育った家は、彼が自由に生きる事を禁じるような、極端な家庭だった。そしてぼくの家もまた、なにかが歪んでいたので、加藤を他人とは思えないのである。

人形のような育てられ方をしたヲトコの反逆。

日本的なるものへの反逆。

過激な、2トン車という手法。

意識しての事だとは思わない。理性的な意味での反逆ではなく、だからこそこの国がなにか狂っている事を、焼き付けるように示した事件だったと想うのだ。

事件の主役を演じたのは、本当は加藤になることが出来た人物ではなく、殺された牛の魂、加藤のシャドウだったのではないか。

東洋には、古来から、人を育てる時の心構えとして、『角を矯めて牛を殺す』ということわざがある。

衝動の持つ危険性や厄介さを、都合良く収めようとして、衝動そのものを殺す事の危険を指摘したことわざである。

加藤には、殺された牛の魂が見える。

この国が殺し続けてきたもの。

一部の子ども達の、生き生きとした魂。

それは2トンの鉄の塊となって人々を襲うほど、恨みに満ちているのだ。

(だから)、人はどこかで自由にならなければならない。そして、子どもへの虐待に関して、制度がもっと行き届かねばならない。

子どもは親の所有物デハナイ。どこかに、自由という、か弱い衝動が息を潜めて息づいている。




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