第85話

文字数 1,666文字

最近、人前で大声を出して怒鳴ってしまうことが何回か続いていて。

主に市役所の人や警察といった、行政相手か、家の中で妻相手に怒鳴る、ということなんですが。

この事は統合失調症と関係しているのかもしれず、していないのかもしれず、しかしそれよりももっと、もう一つの特性である、ADHDの症状なんだろうな、と思います。

警察の人に職務質問されて、パニックになって怒鳴ったときに、「興奮しないで」と言われて、「ADHDなんや!!」と叫んだのですが、そのこともあって改めて図書館でADHDについてのわかりやすい本を借りてぱらぱら見てみると、特性として、『衝動性』『カーッとして、時折乱暴な態度を取ることがある』『かんしゃくを起こしやすい』とあって、まさにこれだ、と思いました。

以前、就労移行支援を利用した時に、自分自身の改善点として、この『怒鳴ること』をあげ、支援員の方と面談を繰り返しては、『怒鳴ることはいけないことだ』『人前で怒鳴らないようになることが障害の克服だ』と考え、懸命に努力したものですが、こういうことは根治出来るものではないらしく、特に何かでパニックになったり、「言える相手(必ずしも弱腰の人、というわけでもなく)」が出てくると、歯止めが利かず往来だろうと何だろうと、おかまいなしに怒鳴り散らしてしまうことが、今でもあります。

精神科の主治医は、ことあるごとに、「どなるのは、一番まずい方法です。冷静に、向こうの悪い点、間違っている点を指摘するのです」と教えてくれるのですが、このやりかたを実地で使えたためしはありません。いつも頭に血がのぼり、わあわあとわめき散らしてしまうのです。

問題は妻と二人暮らす家庭でこうしたことを妻相手にしてしまう時であり、何度も離婚の危機を迎えたことがあります。狭い家の中で夫に怒鳴り散らされる妻の心情を冷静な気持ちの時に振り返ると、申し訳ないという気持ちになりますが、いざと言う時になるとその後悔もどこやらとへ吹き飛んでしまうようです。

怒鳴るにんげんは、だめですか?

サイレントな世界で、粛々と、官僚的に物事は動かされていくように見えます。その中で、ふと、魂の叫びを挙げたくなる瞬間が、訪れてしまう、それは特性なのだけど、治療すべき病気といったものでもないような気が、最近はしてきました。妻相手に怒鳴るのは論外で、これは絶対にやめたいと思うけれども、横暴な警察官や仕事としてしかやっていない役人相手に怒鳴ることはこれからもやめたくないと思います。(このことは、簡単に論破されてしまうかもしれないけれど、今度主治医に言ってみようと思います)

刃物をふりかざし、雑踏に突入していく若者や中年のニュースが後を絶ちません。『ふつうに』生きている(かどうかは分からないけれど)不特定多数の一般人に対するこのような暴力の衝動は、ぼくには少ししかわかりません(少しは分かるかもしれない、ということですが・・・)。それも、なんとなくわかるかも、といった程度のことで、要するに、何もかも嫌になり、そして人類一般が嫌いになり、むかつき、刃物や2tトラックで傷付けてやりたいという、気持ちの現れなのでしょう。世界を壊してやりたがっているのかもしれません。そういう無差別的な暴力と、ぼくのように往来で警官相手に叫んでいたにんげんは、等しくみられるのではないかなという危惧が、ないでもないです。確かに冷静に振り返ってみると、なぜ警官相手に叫んだのかと言えば、心の中に、暴力的な、渦のようなものを抑え込んでいて、きっかけを見つけてそれが爆発したのだろうな、と振り返ることが出来ます。

気を付けよう、と思います。ぼくはたしかに自分の中に暴力的な存在を持っていると思います。この存在を飼い慣らすのではなく、安全で人に危害を加えない吐け口を見つけていくことが大切なのかな、と思います。文章(や小説)を書くことや、仕事をする事もその一つなのかもしれません。読んでくださっている読者の皆様、そういうわけで、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
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