第88話

文字数 1,680文字

介護福祉士の勉強をした時、『地域』『(障害者の)地域移行』という言葉がたびたび出てきた。

これが、いまいちピンとこないのだ。

(障害者が)地域に生きるとは、いかなることなのか?ぼくはいま、大阪の守口市に住んでいる。守口は程よい都会で、近くにスーパーもいくつかあり、食品やお菓子を選んで安く買えたりもする。食べるというのは重要なことで、美味しいものを手軽に食べられると、衣食住の内一つがそれで満たされるわけで、抱えた不満もいくつか解消するように思える。

生活する、ということなのだ。たとえ近隣の住民とそれほど接触がなくとも、社協のお世話で80万円の借金を肩代わりしてもらえたし、妻と二人の収入を合わせれば、今のところなんとか生活出来そうな感じではある。

ただ、ぼく一人でとなると、週四日のアルバイトを時々半日休んだりしながら続けているだけなので、生活力という点になると、まだ十全ではないだろう。妻がいてくれて、そして妻が申請してくれた妻の年金を宛てにして、なんとか生計が立つ、というレベルなのだ。

なんとか好きなものが買えていたりする、というレベルなのだ。

そうして、三匹の猫と共に暮らし、本は古本屋で買うか、図書館で借りる。病気や障害という事と、今のこの生活とを絡めて考えると、今までに何度かチャンスと言えるような職場や仕事があったとしても、妄想や衝動性でそれらをふいにしてしまったことがある。変に夜ふかししてしまったり、朝起きられなかったりする事もある。にんげん関係で、一言一言を深く気に病む事もある。

それに、ただ生活出来るだけで事足れりとするような性格でもない。

こういう中で、介護福祉士の試験を、準備に準備を重ねて受けれたことは、大きな意味を持ったはずだと思う。ぼくが持つ資格の中では、たぶん簿記三級が最強のものだが、もしも介護福祉士になれれば、いよいよ大きな顔をして福祉の世界で生きていくことになるのではないかと思う。

国家が、介護と福祉を考えているそうなのである。国策として。ここには二つの面が一緒くたになっているのだ。一つは、超高齢社会が進んでいて、若者がもうほとんどいなくなるってこと。お年寄りばかりの国になり、人々は死ぬまで働かされるだろうという事。そしてもう一つは、障害者の社会進出を助ける、障害者(生まれながらのも、そうでないのも)でも生きやすい世の中を作りましょうという、二つのまったく異なることが介護福祉士という国家資格の中に潜んでいる。

実際、ぼくの仕事は障害者の生活支援であり、脳性麻痺の方をお風呂に入れたりもする。介護、という側面があり、福祉的な考え方を問われる局面でもある。

そういう、プロフェッショナルとしての仕事を、アルバイト週四日の身ながら、進んでいくことになると思う。47歳にして。ようやく、仕事に、少しは集中できるかもしれない。図書館で借りる本の中にも、以前だったら読まなかったような、福祉的な本が混じるようになってきた。

福祉の根源は、突き詰めたら愛だ、と思う。この、愛という部分は、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだりしたら、その最後の部分で突き付けられるように思えるのだが、エリート的なところのある、官僚的な人々の中には、部分的にかもしれないが、欠損していることがある。

官僚機構と学歴社会は、愛を見失う恐れがあり、その反作用としても福祉は考えられるのではないかとふと思った。ぼくは東大寺学園という進学校に中学で入り、そこで落ちこぼれて、でも自分の存在を輝かせるために、精いっぱい輝かせるために、差別的な言動を行ったりして、虚勢を張ると同時に、それらをジョークにして少しだけ人気を取り戻した。そのことが今となっては恥ずかしいし、明らかな汚点でもある。

福祉をまじめに考えることもできない、馬鹿な中高生だったのだ。しかしながら同時にエリートの端くれであるという気でいた。今にして、一つ一つのことを、学んでいく日々だ。もう47歳だけれども、きっとまだ、遅くはないのだろう。これからも、こういう事を書いていきたい。よろしくお願い申し上げます。
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