第41話

文字数 752文字

二十代のぼく。意志が死んでいた。そして、『なぜぼくの意志は死んでいるのか』、その事ばかり考えていた。意志の死について考えることができるような本のみ、熱心に読み進めることが出来た。

今は思う。単純に、意志が死んだのは欲望が殺されたからだと。欲望と意志とは表裏一体である、そのことを認めることこそが「人権」につながると思うのだ。欲望とは、単純に悪いもの、やっかいなもの、醜いものとしてみるべきものではなくて、その中に意志に通じる回路を内包するものとしてみるべきものではないだろうか?

欲望の充足はある程度でいいのだと思う。たとえば食欲を「どこまでも」満たしたいと思っても胃袋の限界を超えてそれを満たすことはできないし、性欲をどこまでも満たせそうなシチュエーションが仮にあったとしても、射精してしまえばそれでおしまい、あとはしゅんとしたシラケが残るのみ。世界最大級の変態でも、一日に射精出来るのはせいぜい12回が限度だろう。

欲望には限界がある。そのことを希望の福音として、ささやかな欲望のために仕えてみるのも悪くはないのかも知れない。そして欲望の時間が終わったならば、あとには無限大の意志の荒野が広がっているかもしれないのである。

世界中には、どんな貪欲な『胃袋』をも満たしうる『大図書館』がいくつも点在しているのだから。

にんげんとして一番悲惨なのは、意志が抹消しつくされて、ただむきだしのひ弱な欲望だけが残った状態である。人権が蹂躙されると、ひとはその状態を呈する。健全な意志が表れているところでは、ムヤミと管理的でない、尊重と自由の雰囲気が、場を締めている。欲望ですらも適度に認め得るというとき、そこに尊重の精神が宿るならば、たぶん意志は甦る。

欲望を適度に認める事こそ、意志を復活させるための鍵だと、ぼくは想う。
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