第87話

文字数 3,539文字

 …オヤジや、オフクロに対する敗北宣言?…

 それは、一体、どういう意味だろうか?

 私は、思った…

 私は、考えた…

 敗北とは、ずばり、負けること…

 その意味は、わかるが、この透(とおる)が、なにに対して、負けたのか?

 それが、わからない…

 私は、首をひねった…

 「…ずっと、高見さんを待っていた…」

 透(とおる)が、言った…

 この言葉で、今日、ここで、透(とおる)と、会ったのは、偶然ではないと、思った…

 私を待ち伏せていたと、思った…

 そして、

 「…高見さん…ちょっと、いい?…」

 と、透(とおる)が、私に聞いた…

 私は、反射的に、

 「…ハイ…」

 と、答えた…

 透(とおる)とは、顔馴染み…

 いっしょにいても、おかしなことが、起きるはずがない…

 おかしなこと=危険なことが、起きるはずがない…

 極端な話、私が、この透(とおる)と、二人きりでいても、なにかをされる危険は、ないからだ…

 しかも、透(とおる)は、女連れ…

 だから、安心できる…

 そう、思った…

 私の返答を聞いて、透(とおる)は、すぐに、近くのカフェを指差した…

 「…あそこで、話そう…」

 短く言った…

 「…ここで、長話は、できないから…」

 透(とおる)が、続けた…

 私は、その通りだと、思ったが、同時に、すぐに、この秋穂を見た…

 なぜなら、この秋穂とは、偶然、銀座で、出会って、路上で、初対面にもかかわらず、言い争いに、なったことがあるからだ…

 秋穂を見ると、彼女もまた、私を見て、苦笑していた…

 私と、同じく、秋穂も、あのときのことを、覚えているのだろう…

 私は、思った…

 それから、三人で、透(とおる)が、指差した、スタバに行った…

 そして、中に入り、席に着くなり、透(とおる)が、

 「…どこまで、気付いている?…」

 と、私に聞いた…

 「…エッ?…どういうこと?…」

 「…この猿芝居に、どこまで、高見さんが、気付いているかってこと?…」

 透(とおる)が、苛立った様子で、言った…

 「…猿芝居?…」

 「…田舎芝居と言い換えてもいい…」

 透(とおる)が、吐き出すように言った…

 私は、意味がわからなかった…

 なにより、どうして、こんなに透(とおる)が、苛立っているのか、わからなかった…

 いや、

 透(とおる)が、なにに苛立っているのか、わからなかった…

 だから、

 「…透(とおる)さんは、なにに、そんなに苛立っているんですか?…」

 と、直球に聞いた…

 「…オヤジとオフクロさ…」

 透(とおる)が、吐き出すように、言った…

 「…良平さんと春子さん?…」

 「…オヤジも、オフクロも、最初から、好子との結婚に反対だったんだ…」

 「…」

 「…でも、ボクは、好子のことが、好きだった…だから、どうしても、好子と結婚したかった…」

 「…」

 「…だから、オヤジも、オフクロも、最終的には、ボクの気持ちをわかってくれたと、思った…受け入れいれてくれたと、思った…」

 「…」

 「…でも、違った…」

 「…違った? …どう、違ったんですか?…」

 「…二人とも、心の奥底では、一ミリといえども、ボクと好子の結婚を認めてなかった…」

 「…そんな…」

 「…そんなも、こんなもない…それが、事実だ…それが、現実だ…」

 透(とおる)が、激しい口調で、言った…

 「…だから、ボクと好子を別れさせようと、虎視眈々と狙っていた…」

 「…狙っていた…」

 「…そうだ…狙っていた…」

 透(とおる)が、言葉に、力を入れた…

 私は、意味がわからなかった…

 いや、

 意味はわかる…

 この透(とおる)が、言うように、本当は、透(とおる)と、好子さんの結婚を、透(とおる)の父親の良平と、義母の春子が、反対していたということだ…

 が、

 義母の春子は、ともかく、父親の良平は、透(とおる)と、好子さんの結婚に、理解を示していたのではないのか?

 透(とおる)が、好子さんをいかに好きか、知って、透(とおる)の結婚を認めたのでは、ないのか?

 そう、思った…

 だから、透(とおる)に、

 「…お父様は…良平さんは、透(とおる)さんと、好子さんの結婚を、認めていらっしゃったんじゃ…」

 と、聞いた…
 
 すると、即座に、

 「…オヤジはね…」

 と、言った…

 「…では、春子さんが…」

 私の言葉に、透(とおる)が、苦笑した…

 「…オヤジは、オフクロに頭が上がらない…」

 それを、聞いた隣の秋穂が、苦笑した…

 どこの家庭でも、聞く話だが、それが、水野財閥の総帥の家だというと、やはり、話が変わる…

 にも、かかわらず、この戦前からある、お金持ちの家でも、同じだった…

 それが、笑えた…

 「…オヤジは、養子…オフクロに、頭が上がらない…」

 「…」

 「…オヤジは、やり手で、水野本家を継いだときと、比べて、比較にならないほど、水野財閥を大きくした…いわば、水野の功労者だ…でも、オフクロには、頭が上がらない…」

 透(とおる)が、苦笑しながら、語る…

 「…そして、それは、オレの存在がある…」

 「…透(とおる)さんの存在?…」

 「…オレは、高見さんも、知っているように、オヤジの愛人の子供だ…今のオフクロの子供じゃない…」

 「…」

 「…だから、オヤジは、オフクロに頭が上がらない…」

 「…」

 「…だから、オフクロが、なにか、一言、言えば、オヤジは、なに一つ、文句を言えなくなる…でも、それが、オレの存在にあると、思うと、実に、複雑な気分だ…」

 「…」

 透(とおる)が、苦笑する…

 だが、その笑いは、当然のことながら、寂しそうだった…

 「…つまり、オレの存在は、オヤジのアキレス腱…オヤジの弱点というわけだ…」

 「…弱点?…」

 「…そう、弱点だ…その弱点を、正造に突かれた…」

 「…正造さんに?…」

 思わず、私は、聞いた…

 まさか、今の話の流れから、いきなり正造の名前が、出て来るとは、思わなかった…

 「…アイツは、策士だ…この秋穂を、高見さんに、澄子の娘だと、思い込ませた…」

 「…思い込ませた? …だったら、違うんですか?…」

 「…当たり前だ…コイツは…」

 と、透(とおる)は、口にしてから、

 「…秋穂…オマエの口から、言ってやれ!…」

 と、隣の秋穂に、言った…

 秋穂は、一瞬、戸惑った様子だった…

 が、

 すぐに、

 「…妹です…」

 と、告げた…

 「…妹? …誰の妹?…」

 自分でも、実に間の抜けた質問をした…

 とっさに、事態が、飲み込めなかった…

 「…オレのだよ…」

 透(とおる)が、ぶっきらぼうに、言った…

 「…透(とおる)さんの?…」

 自分でも、思わず、素っ頓狂の声を上げた…

 それほど、驚いた…

 驚かずには、いられなかった…

 「…実のオフクロが、オヤジと別れた後に、別の男との間に生まれた娘だ…」

 透(とおる)が、言った…

 私は、その言葉で、秋穂を見た…

 いや、

 秋穂を見ずには、いられなかった…

 そして、考えた…

 そもそも、この秋穂が、

 「…自分は、米倉正造の娘だと、言ったのでは、なかったのか?…」

 と、思い出した…

 だったら、どうして、この秋穂は、あのとき、自分は、米倉正造の娘だと、言ったのか?

 意味が、わからなかった…

 だから、

 「…だったら、あのとき…あのとき…どうして、正造さんの娘なんて…」

 と、私は、言った…

 言わずには、いられなかった…

 「…米倉さんが、見ていたからです…」

 秋穂が、即答した…

 「…正造さんが、見ていた…」

 「…高見さん、案外、鈍いですね…」

 「…鈍い?…」

 「…あのとき、高見さんは、おそらく、米倉さんから、私を追っているとでも、言われたんじゃないんですか?…」

 「…」

 「…でも、事実は、違います…」

 「…どう、違うの?…」

 「…私は、米倉さんに、見張られていたんです…」

 「…見張られていた?…」

 「…そうです…」

 意味が、わからなかった…

 もちろん、見張られている意味は、わかる…

 だが、なぜ、正造に、見張られていなければ、ならなかったのかが、わからない…

 すると、透(とおる)が、

 「…高見さんに、この秋穂が、自分の娘だと、思い込ませるためだよ…」

 「…どういうことですか?…」

 「…オレと、好子を別れさせるのに、必要なお芝居だったと、いうことさ…」

 意味が、わからなかった…

 どうして、この透(とおる)と、好子さんを別れさせるのに、この秋穂を、正造の娘だと、私に、思わせる必要が、あったのか?

 それが、わからなかった…

 「…すべては、好子を騙すためさ…」

 透(とおる)が、力なく、言った…

 「…好子さんを騙すため…」

 「…米倉と、水野が、後腐れなく、別れるためさ…」

 透(とおる)が、またも、力なく、言った…

               
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