第71話

文字数 4,192文字

 私は、思った…

 私は、考えた…

 そして、おそらく、最初、私が、リストラされかけたときと、今とは、状況が、違ったと、思った…

 最初、私が、リストラされかけたのは、あの松嶋のせい…

 松嶋が、澄子さんの娘の秋穂に、頼まれて、私をリストラしようとした…

 が、

 それを、娘の内山さんから、聞いた内山社長が、うまく、動いてくれて、休職にすませてくれた…

 が、

 今回は、違う…

 あの春子が、動いた…

 怒髪天を衝いた状態で、動いた…

 だから、内山社長ですら、手を出すことが、できなかった…

 そういうことだった…

 私は、それを、考えれば、納得した…

 納得せざるを得なかった…

 そして、どうしようと、思った…

 いや、

 これは、どうしようもないと、気付いた…

 私と、あの水野春子とは、社会的地位が違い過ぎる…

 もし、あの春子が、激怒して、私を本気で、金崎実業から、追い出そうとしているというのなら、もはや、太刀打ちのしようがない…

 なにを、やっても、仕方がない…

 そう、思った…

 そして、それが、私の表情に、出たのだろう…

 「…まあ、そういうことだ…」

 原田が、言った…

 「…だから、オレは、アンタに色々、嫌がらせした…」

 ホッとした感じで、言った…

 現実に、原田は、スッキリとした表情だった…

 「…むしろ、コレで、ホッとしたよ…」

 「…ホッとした? …どうして、ですか?…」

 「…他人に、嫌がらせをするのは、好きじゃない…」

 「…」

 「…オレも、善人を気取るつもりは、さらさらない…自分が、イジメられたり、バカにされたりすれば、相手を恨むし、その相手をイジメたくもなる…だが、アンタが、オレになにかを、したわけでも、なんでもない…そのアンタをイジメるのは、オレは、嫌だってことさ…」

 「…で、これから、どうするつもりですか?…」

 「…どうするって?…」

 「…明日からも、今日までのように、営業所全員で、私を無視しますか?…」

 「…それは、わからない…」

 「…わからない?…」

 「…ああ、わからない…とりあえずは、田上さんに、聞いてみてからだ…」

 「…」

 「…田上さんに、オレには、これ以上できないと、報告するつもりだ…それで、田上さんが、どう出るか?…」

 「…」

 「…田上さんが、それでも、営業所全員で、無視し続けろと、言われれば、従うしかないし、オレに、それを、拒否する選択肢はない…」

 「…」

 「…ただ、オレに、言えることは、ただ一つ…」

 「…なんですか?…」

 「…水野会長に、連絡しろ…」

 「…会長に?…」

 「…知り合いなんだろ? 助けてくれるかも、しれない…」

 「…」

 「…自分の置かれた状況を説明すれば、力になってくれるかも、しれない…」

 原田が、意外なことを、言った…

 まさか、それまで、私をイジメていた、原田が、私にアドバイスをくれるとは、夢にも、思わなかった…

 だから、

 「…どうして…どうして、私にそんなアドバイスを?…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 「…アンタが、オレに、なにもしないのに、オレが、アンタをイジメていたからだよ…」

 「…でも、それは、田上さんに、頼まれて、仕方なく…」

 「…それでも、オレは、嫌だった…」

 「…嫌だった?…」

 「…自分が、なにか、されたわけでもないのに、誰かに、なにか、嫌がらせをするのは、大抵の人間は、嫌なものだろ?…」

 「…それは…」

 「…オレも、例外じゃない…それに…」

 「…それに…」

 「…アンタが、美人だということだ…」

 「…私が、美人?…」

 あまりにも、意外な言葉だった…

 これまで、シリアスなことを、話していたのが、突然、ギャグを飛ばした…

 私にとっては、それほど、違和感のある、言葉だった…

 「…意外な顔だな…オレが、冗談でも、言ったと、思ったか?…」

 さすがに、返答に窮した…

 「…だが、事実だ…」

 「…事実…」

 「…オレも、男だ…美人には、弱い…」

 原田が、苦笑する…

 「…そして、オレに、なにも、していない美人をイジメるのは、オレも、心が痛む…男は、誰でも、同じだ…」

 「…」

 「…昔、オレが、アンタにコクって、フラれたりして、逆恨みして、イジメているのなら、まだ、わかる…でも、何度も言うが、アンタは、オレに、なにも、していない…そんなアンタに、オレが、意地悪するのは、どうにも、嫌だ…」

 「…」

 「…よく世間では、人事で、リストラを担当する人間は、リストラが、終わったら、退職する人間が、多いと、聞くが、それが、よくわかった…」

 「…どう、わかったんですか?…」

 「…自分に、なんの恨みもない人間を、クビに追い込むなんて…まともな人間なら、自分も、激しい罪悪感に駆られるものだ…」

 「…」

 「…まともじゃない人間なら、できるかも、しれないが、そもそも、そんな人間なら、切る方じゃなく、切られる方だろ…そして、切られても、誰も、同情しない人間だ…」

 当たり前だった…

 「…わずか、2週間だが、アンタを追い込むのも、嫌だった…だから、今日、アンタとこうして、話すだけで、肩の荷が下りたと言えば、おおげさだが、ホッとした…」

 「…」

 「…とにかく、水野会長に連絡してみろ…オレも、田上さんに、連絡してみる…」

 原田が、言った…

 そして、それを、最後に、まともな会話が、途切れたというか…

 後は、営業所内の、当たり障りのない会話に終始した…

 誰、それが、どうした、こうしたとか?

 そういう話題だ…

 ひとの悪口とまでは、いかない、ただの噂話…

 それに、終始した…

 すると、原田は、これまで、見たことのないくらい饒舌だった…

 それまでの、いやいや、私をリストラしようとした重圧から、解放されたのか、ハイテンションで、語った…

 もう、寡黙な原田は、そこには、いなかった…

 おそらく、それが、原田の真の姿なのかも、しれなかった…

 私は、この原田のことを、まったく、知らなかった…

 半年ちょっと前までは、営業所長は、亀沢だった…

 お世辞にも、出世街道とは、無縁の男だった…

 ただ、真面目を絵に描いたような男…

 が、

 金崎実業が、水野グループの傘下に入ったことで、金崎実業の体制も、大幅に変わった…

 水野グループの傘下に入って、数か月もすると、亀沢は、移動した…

 そして、代わりに、やって来たのが、この原田だった…

 だから、この原田にしても、私は、まだ一か月ちょっと…

 二か月も、知りあって、経たない…

 まして、こうして、二人きりで、会話をしたことなど、一度もなかった…

 だから、素顔の原田を知って、驚いたというか…

 こんなにも、饒舌で、陽気な男なのかと、思った…

 営業所では、どちらかというと、寡黙な男だったからだ…

 そして、それを、考えると、どこでも、同じと言うか…

 合併や統合した会社は、どこも、同じだと、思った…

 小が大を飲む、吸収合併が、良い例だが、合併した側が、合併された側の雇用は、保証すると、啖呵を切っても、それは、大抵、紙切れに過ぎないというか…

 守られない場合が、多い…

 要するに、吸収合併した側から、管理職が、吸収合併された側に、やって来る場合が、多い…

 そして、吸収合併された側の人間は、いつのまにか、どこかに飛ばされる…

 辞めろと正式に言われたわけではないが、似たようなもの…

 いつのまにか、会社からいなくなっている場合が、多い…

 だから、それに、比べれば、まだマシというか…

 少なくとも、この原田は、金崎実業の社員だった…

 水野からの出向ではない…

 だから、マシだった…

 私は、そう思った…

 私は、そう考えた…

 が、

 甘かったというか…

 その日を境に、この原田の姿を、この営業所で、見ることは、なかった…

 噂では、休職とのことだった…

 詳しいことは、わからなかった…

 おそらく、あの後、人事部の田上部長に連絡して、なにか、あったに違いなかった…

 それは、私にも、容易に、想像できた…

 だが、それを、口にすることは、できない…

 が、

 なんとなく、私が、原因なのでは?

 と、営業所中の誰もが、思った…

 私が、休職から、復職して、すぐに、原田が、休職した…

 まるで、私と入れ替わるように、休職した…

 だから、なにか、あったと、思って、当たり前だった…

 だから、原田が、いなくなったにも、かかわらず、営業所内の誰もが、私を避ける事態は、同じだった…

 変化は、なにも、なかった…

 むしろ、真逆に、気味悪がられたというか…

 営業所長の原田が、休職して、休職から復職した女子社員が、そのままいる…

 これは、誰が、どう考えても、おかしかった…

 普通は逆だろう…

 営業所長ではなく、私が、休職するのが、普通だからだ…

 これでは、まるで、私が、営業所長よりも、偉いように、思える…

 だから、余計に、周囲から、見れば、不気味だったのかも、しれない…

 だから、以前にもまして、周囲の人間は、私を避けるようになった…

 だから、以前よりも、かえって、営業所内の居心地は悪くなった…

 当たり前だった…

 が、

 仕事は、与えられた…

 とりあえず、営業所長の席は、空席で、他の営業所の古株の男が、営業所長の代理を務めた…

 そして、その男は、私を以前と同じく、普通に扱った…

 つまりは、営業所内の一戦力として、扱ったわけだ…

 これで、私は、退屈からは、解放された…

 まさか、これまでと同じく、営業所にやって来て、日がな一日、考え事をしているのは、さすがに、辛かったからだ…

 が、

 人間関係は、同じだった…

 誰もが、私を腫れ物に扱うように、接した…

 業務以外は、一切、私に接触を試みる人間は、いなかった…

 皆無だった…

 あの内山さんですら、私に話しかけなかった…

 だから、私は、孤独だった…

 が、

 それを、嘆いても、仕方がなかった…

 とりあえずは、仕事が与えられたことで、退屈からは、解放された…

 だから、それを感謝するしかなかった…

 たしかに、この営業所内で、孤立して、孤独ではあるが、とりあえず、仕事を与えられたことで、やることができた…

 だから、嬉しかった…

 先のことを、考えても、仕方がない…

 とりあえずは、目の前のこと…

 今ある目の前のことが、改善できて、良かった…

 私は、心の底から、そう、思った…

               
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