第9話

文字数 3,763文字

 「…み、水野さん…」

 お、思い出した…

 あの、水野透(とおる)の実父…

 父親…

 以前、私と二人きりで、何度か、会った…

 そのときは、わからなかったが、あの透(とおる)は、私に気が合ったらしい(笑)…

 私を好きだったらしい(笑)…

 だから、この水野良平は、私に会った…

 二人きりで、会った…

 どんな人間か、私を観察したかったからだ(笑)…

 どんな女か、知りたかったからだ(笑)…

 が、

 私は、まったく、気付かなかった(笑)…

 それは、なぜか?

 それは、そのときは、議題というか話題は、米倉…

 もっぱら、米倉平造の話題だったからだ…

 米倉平造は、長年、水野良平の盟友だった…

 二人とも、お金持ちの一族に、生まれたものの、傍流…

 いわゆる、主流でない、生まれ…

 本家とは、遠い分家の生まれ…

 しかも、分家の中でも、格下だった…

 にもかかわらず、いきなり本家のお嬢様と、結婚して、本家を継いだ…

 その過程が、同じだった…

 だから、二人は、知り合うと、すぐに肝胆相照らす仲になった…

 生まれも、境遇も、似ている…

 なにより、二人は、気が合った…

 が、

 米倉平造は、そんな水野良平を裏切った…

 実は、米倉平造率いる大日グループは、かなりの借金で、苦しんでいた…

 大日グループは、米倉平造の代になり、飛ぶ鳥を落とす勢いで、急拡大したが、内実は、かなりの赤字だった…

 そして、平造は、その赤字に、苦しんでいだ…

 平造の願いは、ただ一つ…

 米倉の正統後継者である、米倉好子に、大日グループを継承させること…

 米倉の名を残すこと…

 それだけだった…

 そして、それは、不可能になった…

 借金が、巨大過ぎたからだ…

 大日グループを、急拡大したツケだった…

 だから、水野を騙した…

 水野と米倉を合併させようと、平造が、提案したが、その目的は、米倉の存続だった…

 米倉=大日グループの負債を隠して、水野と合併する…

 それによって、生き残ろうと画策したのだ…

 当初は、それを知らなかったが、途中で、それを知った、この水野良平は、当然、烈火の如く、激怒したが、結局は、息子の透(とおる)が、好子と結婚することで、その怒りも治まったというか…

 当初、想定していたよりも、負債が、少ないというのも、あった…

 結局、水野と米倉は、提携して、水野・米倉グループとなった…

 が、

 当然、主導権は、水野にある…

 だから、この水野良平は、米倉・水野グループの総帥だった…

 最高責任者だった…

 私は、今、この水野良平を眼前にして、そんなことを、思い出していた…

 思い出しながら、

 「…お久しぶりです…」

 と、とっさに、腰を曲げて、頭を下げた…

 「…ご無沙汰しております…」

 と、付け足した…

 まさか…

 まさか、私に声をかけた人物が、水野良平とは、思わなかった…

 水野良平…

 米倉・水野グループの総帥…

 私のような身分の平民にとっては、文字通り、雲の上のひとというか…

 間違いなく、私とは、身分違いのひとだった…

 なにより、今も、休職中とはいえ、在籍する金崎実業の親会社のグループ会社の総帥だった…

 雲上人…

 私にとっては、まさに、手の届かない位置にいる人間だった…

 が、

 その雲上人である、水野良平は、腰が、低かった…

 「…とんでも、ありません…」

 と、その長身を丁寧に、腰を折って、私に挨拶をした…

 「…こちらこそ、ご無沙汰しております…」

 と、返した…

 私は、どう返答していいか、わからなかった…

 私とは、明らかに、身分違い…

 さらに言えば、休職中とはいえ、私が、在籍する金崎実業の親会社のグループの総帥…

 そんな大物に、丁寧に、腰を曲げられて、私同様の態度を取られては、どう、対応して、いいか、わからなかった…

 まさに、身分違いの相手に、私と同じ態度を取られては、困惑する…

 そういうことだ…

 が、

 相手は、そうは、思っていないようだった…

 「…突然、声をかけて、驚かせてしまって、申し訳ありません…」

 水野良平は、言った…

 私は、その言葉で、もしやというか…

 やはり、この水野良平は、私に声をかける機会を、待っていたのだろうか?

 ふと、気付いた…

 当たり前だが、ここで、水野良平と、会ったのは、偶然では、あるまい…

 いわば、必然というか…

 私に会う機会を探っていたに違いないからだ…

 そして、その思いは、確信に近いというか…

 それが、事実に違いないと、思った…

 だから、

 「…会長…会長は、ひょっとして、私を…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 要するに、私を待ち伏せていた…

 そう、言いたかった…

 そう、聞きたかった…

 だって、そうだろう…

 私が、家を出て、街を歩いていたら、偶然、水野良平と、会った…

 普通に、考えれば、こんな偶然は、ない…

 なにより、今、私は、休職中…

 金崎実業を休職中だ…

 本当は、リストラで、クビになるところだが、なんとか、クビにならずに、すんだ…

 が、

 おそらく、復職はない…

 ただ、首の皮一枚で繋がっただけ…

 というよりは、クビにはならなかったが、それが、伸びただけ…

 要するに、休職中の間に、さっさと、結婚するか、他の会社を探せということだ…

 いわゆる、モラトリアムというか…

 猶予期間…

 執行猶予期間だ…

 クビになる時間が、伸びただけだ…

 私は、思った…

 そして、そんなことを、考えていると、

 「…ハイ…待ち伏せしていました…」

 と、水野良平が、告白した…

 「…待ち伏せ?…」

 思わず、私は、声を出した…

 本当は、自分にとって、まさに雲上人の水野良平に言う言葉ではない…

 が、

 つい、言ってしまった…

 つい、口に出してしまった…

 自分でも、しまったと思ったが、後の祭りだった…

 「…申し訳ありません…」

 と、またも、水野良平が、私に頭を下げた…

 いや、

 私が、頭を下げさせてしまったというか…

 水野良平は、頭を上げながら、

 「…まるで、ストーカーですね…」

 と、笑った…

 自虐的な感じの笑いだった…

 「…ストーカー? 会長が?…」

 「…ハイ…」

 そう言われると、私も、どうして、いいか、わからなかった…

 たしかに、今、水野良平の言う通り、私を待ち伏せていたのなら、ストーカーに、相違ない…

 が、

 何度も言うように、それを、水野良平に、言うわけには、いかない…

 なぜなら、身分が、違うからだ…

 身分が、違う=対等でないからだ…

 例えて言えば、一般の警察署の交番のお巡りさんが、警視総監にモノ申すのと、同じ…

 とてもじゃないが、対等に話すことは、できない…

 対等に話すことが、できるのは、親しい知人や、家族ぐらいだろう…

 私は、考えた…

 そして、考えながら、どうして、この水野良平が、私を待ち伏せていたのか、あらためて、考えた…

 当たり前のことだ…

 「…ひょっとして、会長が、私を待ち伏せていたのは、私が、金崎実業を休職したから…」

 私は、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 と、同時に、他に、この水野良平が、私を待ち伏せていた理由として、他の理由が、思い当たらなかった…

 そういうことだ…

 「…ハイ…」

 短く、答えた…

 即答した…

 同時に、気付いた…

 あの米倉正造が、言った言葉…

 派閥騒動という言葉だ…

 米倉・水野グループになにか、ゴタゴタがあり、それで、私をクビにしようとした…

 要するに、私をクビにすることで、おそらく、米倉や水野の面々を、動かそうとしたというか…

 米倉や水野の人間が、私に接触するだろうと、考えたのでは?

 と、思った…

 だから、とっさに、

 「…会長…」

 と、声をかけた…

 「…なんですか?…」

 「…もし、私をクビにすることで、会長が私に会うと、敵が考えたのならば、今、私に会うのは…」

 と、言った…

 言わずには、いられなかった…

 と、同時に、水野良平が、驚いた…

 驚いた表情で、

 「…敵…」

 と、呟いた…

 それから、

 「…相変わらず、聡明というか…勘が鋭い…」

 と、言った…

 さらに、

 「…それは、大丈夫…」
 
 と、笑った…

 「…大丈夫? …どうして、大丈夫なんですか?…」

 「…すべて、想定内の行動です…」

 「…想定内の行動…」

 「…高見さんをクビにする…私が、高見さんを心配して、高見さんに会う…それは、相手も、想定内…だからといって、私や高見さんが、逮捕されたり、殺されることは、ありえない…」

 「…」

 「…相手が、なにを、考えていようと、私は、自分の思った通りに、行動する…いわば、虎穴に入らずんば虎子を得ずというか…」

 …随分、おおげさな表現を使う…

 私は、思った…

 たかだか、この私と会うことが、どうして、虎穴に入らずんば虎子を得ずなのだろう?

 考えた…

 考えずに、いわれなかった…

 そして、そう考えていると、

 「…敵は、強敵です…」

 と、いきなり、水野良平は、言った…

 「…敵?…」

 思わず、オウム返しに、繰り返した…

 「…そうです…」

 水野良平が、真顔で、返した…

 「…敵? …失礼ですが、敵って、一体、どなたですか?…」

 思わず、聞いた…

 当たり前だった…

 「…透(とおる)です…」

 水野良平が、即答した…

 あまりにも、思いがけない名前だった…

               
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