第96話

文字数 3,255文字

 米倉正造…

 どうしても、あの男のことが、頭から離れない…

 これは、やはり、恋なのだろうか?

 それとも、違うのだろうか?

 正直、わからない…

 が、

 あれほど、気になる男も、いなかった…

 が、

 それは、やはり、私が、正造と、いっしょに、暮らさないから…

 もしかしたら、ただ、それだけの理由かも、しれない…

 なぜかと、問われれば、正造のことを、良く知らないから…

 だから、余計に、魅力的に映るからだ…

 よく世間で、言われることだが、見えないから、魅力的に映る…

 知らないから、魅力的に見えるということが、ある…

 たとえば、海外のヌーディスト、ビーチで、裸を見れば、男も女も、互いの裸を見て、欲情するものは、いない(爆笑)…

 それと、同じだ…

 見ないから、いい…

 見えないから、相手の裸を想像する…

 それと、同じだ…

 いっしょに、暮らさないから、相手が、魅力的に映る…

 いっしょに、暮らして、いれば、相手のことが、丸見えになる…

 普段、どんなことを、考え、どう行動するか、丸見えになる…

 だから、途端に、魅力が失せる…

 そういうことだ…

 相手のことを、知らないから、魅力的に映る…

 どんな人間か、わからないから、魅力的に映る…

 そういうことだ…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 
 そして、そんなことを、考えて、一週間が経った頃だった…

 会社帰りの私に声をかける人物が、いた…

 私を待ち伏せた人物が、いた…

 「…高見さん?…」

 と、その人物は、最初、躊躇いがちに、声をかけてきた…

 私は、その人物が、最初、誰だか、わからなかった…

 よく、見知った人間では、なかったからだ…

 が、

 近くで見て、わかった…

 思い出した!…

 松嶋だった…

 金崎実業の人事の松嶋だった…

 私を、金崎実業から、追い出そうとして、失敗して、真逆に、金崎実業から、追い出された松嶋だった…

 私は、この松嶋に、会ったのは、数えるほど…

 だから、松嶋の顔を見ても、すぐには、思い出せなかった…

 が、

 後にも、先にも、たいして、顔も知らない人間に、退職を強要されたことは、前代未聞の出来事だった…

 それが、実は、人事課に所属していた松嶋が、自分の権限を利用して、独断で、わざと、私を退職させようとしたと知って、唖然とした…

が、それだけだった…

 もはや、二度と会うことは、ないと、思っていたからだ…

 それが、会った…

 私を待ち伏せていた…

 だから、私は、パニクった…

 一瞬、どうして、いいか、わからなかった…

 もはや、松嶋の存在など、とうに、忘れていたからだ…

 まさか、お礼参り…

 ヤクザでは、ないが、お礼参り…

 お礼参り=仕返しという言葉が、脳裏に浮かんだ…

 だから、どう、していいか、わからなかった…

 だから、わざと、

 「…一体、なんのご用ですか?…」

 私は、強い口調で、言った…

 わざと、言った…

 まさか、この松嶋が、私に襲いかかるとは、夢にも、思わないが、私は、小柄…

 身長155㎝と、小柄だからだ…

 松嶋も、決して、大きくはないが、身長170㎝はあるだろう…

 歳も四十代…

 私を襲おうと思えば、十分、襲える…

 だから、身構えた…

 「…謝ろうと思って…」

 松嶋が、言った…

 小さく、言った…

 小さく、呟いたと言った方が、いいのかも、しれない…

 「…謝る? …どういうことですか?…」

 「…秋穂に頼まれて、高見さんを、退職に、追い込もうとしたことを…」

 そう言われると、言葉がなかった…

 たしかに、その通りだったからだ…

 それは、後で、わかった…

 「…今さら、そんなことを、言われても、困ります…」

 私は、怒鳴った…

 「…済んだことです…」

 大きな声で、怒鳴った…

 まさに、今さら…

 今さらだった…

 今さら、この松嶋に謝って、もらって、どうこうなる話では、なかった…

 それに、この松嶋に、謝って、もらわなくても、私は、関係なし…

 無事に、金崎実業に、復職できた…

 だから、今さらだった…

 今さら、関係がなかった…

 むしろ、この松嶋の存在は、忘れたい存在だった…

 私が、生まれてこの方、まもなく34年近く、生きてきて、経験したことのない屈辱だったからだ…

 味わったことのない、屈辱だったからだ…

 まもなく、34歳になる、自分にとって、結婚は、一番の禁句…

 一番、痛い、話題だった…

 まもなく、34歳になるにも、かかわらず、今だ、結婚していない…

 今だ、未婚のまま…

 今の時代、決して、結婚は、遅くはないが、正直、日々、悩んでいた…

 結婚について、悩んでいた…

 それが、この松嶋に、

 「…どうして、結婚しないの?…」

 とか、

 「…美人だから、男を選び過ぎているんじゃないの?…」

 とか、言われたのは、痛かった…

 それは、まるで、傷口に塩を塗るようなものだったからだ…

 自分に、とって、一番、触れてもらいたくない、話題に触れられた…

 しかも、わざと、それを、あてこするように、言われた…

 だから、許せなかった!…

 どうしても、許すことが、できなかった!…

 「…申し訳なかった…」

 と、再び、松嶋が、謝った…

 だから、私は、

 「…済んだことです…」

 と、繰り返した…

 「…謝らなくて、結構です…お帰り下さい…」

 私は、言った…

 現に、この路上で、大の男に、謝られても、困る…

 誰が、見ているか、わからない…

 知り合いにでも、見られていたら、たまらないからだ…

 「…でも、米倉が…」

 …エッ?…

 …米倉?…

 「…正造が、謝った方が、いいって…」

 松嶋が、仰天の告白をした…

 私は、驚いた…

 つい、

 「…お知り合いなんですか?…」

 と、松嶋に聞いた…

 松嶋に聞いて、しまった…

 「…大学の同級生です…」

 「…エーッ!…」

 文字通り、仰天した…

 驚きだった…

 が、

 たしか…

 たしか、以前、電話で、正造に聞いたような…

 たしか、以前、この松嶋に、休職に追い込まれて、正造から、電話があったときに、この松嶋を知っているようなことを、言っていた…

 が、

 そんなことは、すっかり、忘れていた!…

 なにしろ、一度聞いたきり…

 しかも、電話…

 会ってもいない…

 だから、余計に、忘れていた…

 と、

 そこまで、聞いて、考えた…

 だとしたら?

 もしかして、正造は、私が、この松嶋から、リストラされるかも、しれないと、事前に、知っていた?

 最初から、知っていた?

 知っていて、あんな電話をかけてきた?

 あらためて、思った…

 そして、そんなことを、考えると、途端に、カラダが、カーッと、熱くなった…

 もちろん、怒りのためだ…

 米倉正造に対する怒りのためだ…

 あの米倉正造は、もしかしたら、事前に、私が、この松嶋から、リストラされるかも、しれないことを、知っていた?

 それが、今、わかった…

 わかった上で、まるで、私を慰めるかのように、後で、電話をかけてきた…

 それが、わかった…

 途端に、カラダが、カーッと、熱くなった…

 まるで、カラダが、燃えるようだった…

 怒りが、燃え上がるように、カラダが、カーッと、熱くなった…

 もはや、自分でも、抑えられなかった…

 自分で、自分の感情が、抑えられなかった…

 米倉正造に、対する怒りが、抑えられなかった…

 「…正造さんは、知っていたんですか?…」

 もはや、周囲の目など、気にせず、その場で、怒鳴った…

 「…エッ? …なにを、知って?…」

 「…私が、松嶋さんに、休職に追い込まれることを、です…」

 「…それは…」

 「…それは?…」

 私が、血相を変えて、聞くものだから、松嶋の言葉に詰まった様子だった…

 「…それは?…」

 「…それは、知ってました…」

 プチンと、なにかが、私の頭の中で、弾けた…

 それは、理性だったかも、しれない…

 私のなけなしの理性だったのかも、しれない…

 「…許せない!…」

 気が付くと、私は、大声で、叫んでいた…

 「…絶対、許せない!…」

 もはや、周囲の目など、気にもせず、大声で、叫んでいた…

               
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