第97話

文字数 4,288文字

 「…絶対、許せない!…」

 私は、繰り返した…

 もはや、周囲の目など、どうでも、よかった…

 米倉正造を、許せなかった…

 米倉正造、憎し!

 この思いだけだった…

 私が、この松嶋に、リストラを迫られ、悩んでいたにも、かかわらず、最初から、正造は、その事実を知っていた…

 この松嶋が、私をリストラしようとするのを、知っていた…

 そして、知っているにも、かかわらず、まるで、後から知ったように、

 「…大丈夫ですか?…」

 と、聞いて来た…

 電話を、かけてきた…

 ぬけぬけと、電話をかけてきた…

 まさに、盗人猛々(たけだけ)しいというか…

 最初から、知っていて、電話をかけてきた…

 それを、思うと、文字通り、はらわたが煮えくり返った…

 怒りで、煮えくり返った…

 …米倉正造、許すまじ!…

 その言葉だけが、脳裏に、浮かんだ…

 絶対、許すまじ!

 その言葉だけが、脳裏の大半を占めた…

 そして、それが、わかると、

 「…ありがとうございます…」

 と、松嶋に、頭を下げた…

 これまで、松嶋相手に、怒っていた私が、

 「…ありがとうございます…」

 と、真逆に、松嶋に頭を下げるから、

 「…エッ?…」

 と、松嶋が、戸惑った…

 「…米倉正造のことを、教えて、くれて、ありがとうございます…」

 と、言うやいなや、私は、歩き出した…

 もはや、松嶋に、用はない…

 米倉正造、許すまじ!

 一刻も早く、家に帰って、この後、どうするか、考えよう…

 そう、思った…

 米倉正造の顔を、思い出すと、むかっ腹がたって、仕方がなかった…

 ひとが、人生最大のピンチに、陥ったときに、実は、最初から、私が、ピンチに陥ることが、わかっていたなんて!

 そんな、ひどいヤツだとは、思わなかった…

 これまで、米倉正造に、憧れていた気持ちが、見事に吹き飛んだ…

 木っ端みじんに吹き飛んだ…

 あんなに、憧れていたにも、かかわらず、その気持ちが、木っ端みじんに、吹き飛んだ…

 なまじ、憧れていたからだろう…

 余計に、頭に来た…

 余計に、米倉正造が、許せなかった…

 私が、頭に血が上ったまま、速足で、歩き出すと、

 「…ちょっ…ちょっと…高見さん…」

 と、松嶋が、背後から、声をかけてきた…

 が、

 私は、振り向かなかった…

 あまりにも、頭に血が上っていた…

 一刻も早く、家に帰り、この後、どうするか?

 考えるのが、先だと、思っていたからだ…

 「…待って…待って下さい…」

 松嶋が、駆け足で、走って来て、私の前に立ち塞がった…

 「…話は、最後まで、聞いて…」

 「…いいえ、聞く必要はありません…」

 私は、怒鳴った…

 「…今の話だけで、もう十分です…」

 大声で、怒鳴った…

 「…十分って?…」

 「…米倉正造の正体が、わかりました…」

 「…正体?…」

 「…そうです…私が、リストラされる姿を、最初から、知っていて、私が、悩む姿を見て、きっと、笑っていたんです…」

 「…そんな…」

 「…そんなも、こんなも、ありません…それが、真実です…」

 「…真実…」

 「…真実じゃなければ、真相です…」

 そう、断言して、松嶋の脇を歩こうとした…

 が、

 あろうことか、松嶋が、私の前に立ち塞がった…

 「…高見さん…落ち着いて…」

 松嶋が、私に頼み込むように、言った…

 「…これが、落ち着いていられますか?…」

 私は、もう何度目か、わからないが、怒鳴った…

 「…私が、こんな目に遭うのを、事前に知っていて、知らんふりするなんて…」

 「…」

 「…人間じゃない! 男の風上にもおけない…卑怯者です…」

 「…卑怯者?…」

 「…だって、そうでしょ? …男なら、堂々と、私に言うべきです…最初から、教えるべきです…」

 「…それは…」

 「…それはも、これはも、ありません…」

 私は、怒鳴って、松嶋の脇をすり抜けて、歩き出した…

 もはや、松嶋は、私を追って来なかった…

 私が、あまりにも、怒っているので、なにを言っても、無駄だと、思ったに違いない…

 あるいは、ここで、これ以上、騒動を起こしたくなかったのかも、しれない…

 私が、頭に来て、何度も、大声で、怒鳴るものだから、これ以上、ここで、私と言い争いを続けたくなかったのかも、しれない…

 誰かが、本気で、怒り出したら、それを止めるのは、誰もが、至難の業だからだ…

 
 家に帰った私は、まだ、頭にきたままだった…

 腹が立ったままだった…

 なまじ、あの米倉正造に、淡い恋心を抱いていたから、余計にタチが悪かった…

 自分が、好きだった男が、まさか、自分を笑っていた…

 最初から、罠にかけて、笑っていた…

 それが、許せなかった…

 可愛さ余って、憎さ百倍ではないが、余計に、許せなかった…

 …一体、どうして、やろう!

 …一体、どうして、復讐してやろう!…

 それだけが、頭の中にあった…

 とにかく、米倉正造が、許せなかった…

 許せなかったのだ…

 私は、家に着くと、真っ先に、お風呂に入った…

 当たり前だが、素っ裸になって、お風呂に入る…

 たっぷりと、お湯が入った浴槽に浸かると、気分が、落ち着けた…

 元々、155㎝とカラダが、ちっちゃいから、浴槽にすっぽりと、浸かることができる…

 そうして、全身浸かりながら、考えた…

 米倉正造のことを、考えた…

 あの憎き、正造のことを、考えた…

 考え続けた…

 思えば、米倉正造…

 なにを、考えているか、わからない男だった…

 そして、なにを、考えているか、わからないのが、実に魅力的に、映った…

 何度も、繰り返すが、なにを、考えているか、わかる人間には、魅力はない…

 どんなに美男美女でも、それは、同じ…

 誰もが、どこか、ミステリアスな部分があるから、いい…

 なにか、秘密があるから、いい…

 それが、その人間の魅力に映るからだ…

 私の場合は、それだった…

 だから、今、こうして、お風呂に漬かりながら、冷静になって、考えれば、あの米倉正造が、私を笑っていても、おかしくはない…

 なにを、考えているか、わからない男…

 ならば、私を、からかっていても、おかしくはない…

 私をバカにしていても、おかしくはない…

 あらためて、そう思った…

 きっと、あの米倉正造にとって、私は、おもちゃ…

 大人のおもちゃ…

 大人のおもちゃ=性玩具ではないが、きっと、私が、右往左往するのを、見て、陰で、笑っていたに違いない…

 それを、考えると、カラダが、カーッと、熱くなった…

 さっき、あの松嶋と、会ったとき同様、カラダが、カーッと、熱くなった…

 もちろん、その原因は、怒り…

 米倉正造に、対する怒り…

 そして、自分自身に対する怒りだった…

 米倉正造が、ホントは、私をバカにしていたことに、気付かなかった、バカな自分に対する怒りだった…

 バカな、私…

 もしかしたら、私は、米倉正造と結婚できるかも、しれないと、心のどこかで、思っていたのかも、しれない…

 自分では、気付かなかったが、心のどこかで、思っていたのかも、しれない…

 だから、今、心の底から、頭に来た…

 もしや、自分を好きだと、思っていた米倉正造が、実は、自分をからかっていた…

 その現実に、気付いていたからだ…

 これは、同じ…

 金崎実業を、あの松嶋から、リストラ宣告されたときと、同じだ…

 ふと、気付いた…

 金崎実業をリストラ宣告されたときも、今と同じく、随分な衝撃を受けた…

 自分では、あの松嶋から、リストラ宣告されるまで、この歳ゆえに、リストラ宣告されても、仕方がないと、思っていた…

 営業所の女子の中では、古参メンバー…

 最年長だ…

 もはや、女のコとは、お世辞にも、いえない年齢…

 つい先日、元のAKBメンバーが、自分を35歳の女のコと、呼んで、世間から、失笑を買った…

 どこの世界に、35歳の女のコが、いるんだ?

 と、ネットで、失笑を買った…

 それと、同じ…

 いくらなんでも、私も、まもなく34歳になるが、自分を女のコとは、思っていない…

 それほど、愚かではない…

 が、

 私も、そこまで、愚かではないが、調子に乗っていた部分はある…

 それが、あの松嶋のリストラ宣告…

 まもなく34歳になるのだから、もしかしたら、リストラ宣告を受けるかも、しれない…

 そんな予感は、ここ数年、いつも、頭の隅にあった…

 が、

 実際に、リストラ宣告されたら、違った…

 物凄いショックだった!…

 ホントは、自分でも、認めたくないが、自分は、特別…

 特別な存在だと、思っていたのかも、しれない…

 自分は、美人だから、まもなく34歳になっても、別格…

 リストラされることは、ありえないと、どこかで、高をくくって、いたのかも、しれない…

 だから、自分は、絶対、リストラされない…

 そう、心のどこかで、高をくくっていたのかも、しれない…

 つまりは、調子に乗っていた…

 そして、それは、今も同じだった…

 米倉正造と、自分は、身分違い…

 お金持ちの正造と、自分は、身分違い…

 だから、どう背伸びしたって、自分が、正造と、結婚できるわけがない…

 そう思っていたが、これも、リストラ同様、どこかで、高をくくっていたと、いうか…

 きっと、心の奥底で、もしかしたら、正造と結婚できるかも、しれないと、夢見ていたのかも、しれない…

 今さらながら、気付いた…

 それが、違った…

 それが、夢物語だと、気付いた…

 だから、余計に、頭に来た…

 米倉正造に、頭に来た…

 それが、真相かも、しれない…

 そして、そのことに、気付くと、途端に、自分自身の、米倉正造に対する、怒りが、トーンダウンした…

 つまりは、自分が、勝手に米倉正造に、憧れ、勝手に、もしかしたら、自分は、正造と、結婚できるかも、しれない…

 そう、思っていたことに、気付いたからだ…

 相手の、気持ちなど、関係ない…

 自分は、平凡の家庭の出身と、いつも、言いながら、実は、もしかしたら、自分は、美人だから、正造と、結婚できるかも、しれない…

 自分でも、気付かなかったが、心の奥底では、そう、思っていた…

 その現実に、今さらながら、気付いたからだ…

 つまりは、完全に、自分の独り相撲…

 自分が、勝手に、米倉正造に憧れ、それが、夢破れたから、米倉正造を恨んでいる…

 そう、気付いたからだ…

 つまりは、悪いのは、自分…

 自分自身のうぬぼれにほかならないと、気付いたからだ…

 そして、そう、思うと、今さら、米倉正造を恨むことも、できなかった…

 悪いのは、自分…

 自分に他ならない…

 そう思うと、湯船に浸かりながら、ただただ、落ち込んだ…

 涙が溢れ出た…

               
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