第84話

文字数 4,681文字

…あの秋穂のことだ…

 すぐに、気付いた…

 米倉正造の娘と思われる秋穂のことだ…

 私は、気付いた…

 「…その女の正体に気付いたのですか?…」

 「…たぶん…」

 曖昧に、言葉を濁した…

 私は、寿さんの顔を、見て、次に、寝ている正造の顔を見た…

 見ずに、いられなかった…

 それから、

 「…もしかして、それが、原因で…」

 と、正造の事故に遭った原因を寿さんに、聞いた…

 が、

 寿さんは、

 「…それは、わかりません…」

 と、首を横に振った…

 「…ですが、おそらく、彼女を追って、追跡しているところを、近付いて来たクルマに気付かず、はねられたのでは? と、諏訪野が、言ってました…」

 「…諏訪野さんが?…」

 「…ハイ…」

 「…どうして、諏訪野さんが?…」

 「…おそらく、その原因が、米倉が、水野と、提携を解消したことに、起因するからだと、思います…」

 「…米倉と、水野の提携の解消ですか?…」

 「…ハイ…」

 「…でも、それが、一体、なんの関係が?…」

 「…米倉と水野の提携の解消…これには、賛成するひとも、反対するひとも、いました…」

 「…反対するひと?…」

 意外な事実だった…

 米倉と、水野は、社風が、水と油…

 それは、提携して、すぐに、わかったと、あの透(とおる)も、言っていた…

 だから、遠からず、提携を解消するしか、なかったのではないか?

 ふと、そう思った…

 だから、それに、反対する人間が、いたのが、驚きだった…

 だから、

 「…米倉と水野は、社風が、違いすぎるから、提携を解消するしか、なかったんじゃ…」

 と、言った…

 言わざるを得なかった…

 「…たしかに、そういう意見もあります…ですが…」

 「…ですが、なんですか?…」

 「…米倉をいったん、水野のグループ会社に、取り込み、いずれ、折を見て、高値で売却しようという動きも、水野内部にあったと、聞いてます…」

 「…一体、誰が、そんなことを?…」

 私は、息せき切って、聞いた…

 初耳だった…

 そんな話は、初耳だったからだ…

 「…水野のご一族と、聞いています…」

 寿さんが、答える…

 私は、考え込んだ…

 たしかに、寿さんの言うことは、わかる…

 いかに、社風が、あわずとも、一度、取り込んで、高値で、売れば、儲かるに違いないからだ…

 ちょうど、それは、高級なブランド品を買うのと同じ…

 たとえ、気に入らずとも、手元に置いて、値段が上がるまで、待ち、そのときに、売ればいい…

 そういうことだ…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 ということは、どうだ?

 この寿さんの言うことが、真実だとすれば、水野内部には、米倉を売却しようか、持ち続けようかという、二つの勢力がいたわけだ…

 私は、思った…

 そして、おそらく、米倉を持ち続けようとする勢力の筆頭は、あの透(とおる)では、なかったのか?

 ふと、気付いた…

 だから、好子さんとの離婚を嫌がったのではないか?

 そう、思った…

 透(とおる)は、好子さんと結婚して、当初は、考えもしなかった好子さんの嫌な面を見たに違いない…

 だから、

 「…あんな女だとは、思わなかった…」

 と、私に電話口で、嘆いた…

 が、

 離婚までは、とても、考えていなかったに違いない…

 なにしろ、透(とおる)は、幼い頃から、好子さんに憧れていた…

 それが、やっと、結婚できたのだから、好子さんの嫌な面を見たからといって、すぐに、離婚するのは、早計過ぎるからだ…

 だから、離婚したくなかった…

 そして、それは、あの好子さんも、同じだったに違いない…

 なにしろ、透(とおる)に、

 「…気を付けなさい!…」

 と、諫言していたほどだ…

 おそらく、自分たち夫婦を別れさせようとする勢力が、水野、米倉、両方の一族にいると、知っていたのだろう…

 だから、透(とおる)に、

 「…気をつけなさい!…」

 と、言っていたに違いない…

 それが、透(とおる)が、泥酔して、あの秋穂という女と、腕を組んでいる姿をフライデーに撮られたから、激怒した…

 そういうことに違いない…

 もし、透(とおる)が、そんな写真を撮られでも、したら、大変な騒ぎになる…

 その結果、自分たち夫婦は、離婚に追い込まれるかも、しれないと、危惧していたに違ない…

 私は、そう、思った…

 私は、そう、考えた…

 そして、その通りになった…

 その通り=離婚した…

 が、

 ホントは、透(とおる)も、好子さんも、離婚したくなかったに違いない…

 要するに、透(とおる)と、好子さん、夫婦は、最初から、自分たち夫婦の結婚が、脆いものと、認識していたに違いない…

 夫婦の絆=水野と、米倉の絆が、脆いと、認識していたに違いない…

 だからこそ、抵抗した…

 すぐには、離婚したくなかったに違いない…

 ハッキリ言って、透(とおる)と、好子さんの結婚は、政略結婚…

 米倉を救うための結婚だった…

 が、

 透(とおる)も好子さんも、会社の都合で、別れさせられるのは、嫌だと、考えていたに違いない…

 いかに、米倉の経営する大日産業を救うために、結婚したとはいえ、大日産業を、水野から、放り出せば、透(とおる)と、好子さんは、離婚する…

 そんな会社都合で、自分たち夫婦の結婚が、弄ばされるのは、嫌だったに違いない…

 これは、誰もが、わかることだろう…

 これは、誰もが、理解できることだろう…

 人間は、道具ではない…

 会社の社風が、違ったから、合併は、ご破算…

 だから、その象徴たる、透(とおる)と、好子さんも、離婚となっては、堪ったものではないからだ…

 私は、思った…

 そして、あらためて、あの秋穂を考えた…

 つまりは、あの秋穂は、透(とおる)と、好子さんの離婚の引き金を引いた、女…

 あの秋穂が、泥酔した透(とおる)と腕を組んでコンビニに入る姿を写真に撮られなければ、二人は、離婚する必要がなかったからだ…

 さらには、私のリストラ…

 私を強引に、金崎実業から、リストラしようとした人事の松嶋…

 あの松嶋の背後にも、秋穂がいた…

 松嶋を唆(そそのか)して、私を金崎実業から、追い出そうとしたのも、秋穂だった…

 つまりは、すべてのキーマンは、あの秋穂…

 秋穂に決まりだ…

 だから、問題は、あの秋穂の背後に誰がいるか?

 まさか、あの秋穂が、独断で、動いているとは、どうしても、思えないからだ…

 あの秋穂は、誰かの指示で、動いている…

 そして、その誰かが、問題だ…

 そして、その誰かを、この正造は、知っていたに違いない…

 だから、この正造は、あの秋穂を追っていた…

 そうに、違いない…

 もしかしたら、あの秋穂という娘が、正造の娘か、どうかは、二の次…

 あの秋穂の背後に、誰が、いるか?

 それを、見極めたかったに、違いない…

 だから、あの秋穂を追っていたに違いない…

 私は、思った…

 そして、そんなことを、私が、考えていると、突然、白衣の着た男性が、入ってきた…

 病院の先生が、入ってきた…

 すると、突然、寿さんが、

 「…お久しぶりです…」

 と、丁寧に、頭を下げた…

 私は、驚いた…

 まさか、この寿さんが、この病院の医師と、知り合いとは、思わなかったからだ…

 寿さんを見て、その医師もまた、驚いた様子だった…

 「…寿さん…」

 と、言って、絶句した…

 「…長谷川センセイ…ご無沙汰しています…」

 寿さんが、告げる…

 長谷川センセイと呼ばれた、三十代の私や寿さんと同年代の医師は、カラダが、硬直したようだった…

 カラダが、動かなくなったかのように、見えた…

 つまりは、それほど、寿さんを見て、驚いていた…

 動揺していた…

 「…寿さんが、オーストラリアから、日本に戻って来たのは、聞いてました…」

 と、長谷川センセイは、驚いた表情で、告げた…

 「…ですが、今日、ここで、会えるとは、思わなかった…」

 その言葉を受けて、黙って、寿さんは、頭を下げた…

 そして、驚いて、二人のやりとりを見ている私に気付いた…

 だから、寿さんが、

 「…私は、以前、この病院に入院していたんです…」

 と、私に告げた…

 「…エッ? …入院?…」

 たしかに、この寿さんが、顔色が悪いのは、誰が見ても、わかる…

 どこか、カラダの具合が、悪いに違いない…

 だから、この寿さんが、この病院に入院していたのは、わかる…

 すると、隣で、長谷川センセイが、

 「…あのときは、お役に立てなくて、申し訳ありませんでした…」

 と、寿さんに、頭を下げた…

 寿さんは、

 「…とんでも、ありません…」

 と、またも、丁寧に、頭を下げた…

 それから、急に、

 「…この米倉正造さんですが、大丈夫でしょうか?…」

 と、聞いた…

 当たり前だが、この長谷川センセイは、米倉正造の担当医師に違いない…

 だから、この病室にやって来た…

 そう、寿さんは、考えたに違いなかった…

 「…大丈夫です…」

 長谷川センセイは、即答した…

 「…クルマにはねられましたが、命に別状はありません…」

 「…そうですか…」

 寿さんは、ホッとした様子だった…

 「…ただ、全身を強く打っているので、安静が、必要です…」

 長谷川センセイが、付け加えた…

 そして、今さらだが、この長谷川センセイは、私の存在に、気が付いたようだ…

 「…そちらの方は…」

 と、私のことを、聞いた…

 「…米倉さんのお知り合いです…」

 と、寿さんが、答えた…

 そして、

 「…センセイ、美人だからって、狙っちゃダメですよ…」

 と、付け加えて、笑わせた…

 「…いや、ボクは、そんな気持ちは…」

 と、長谷川センセイが、たじろぐ…

 だから、私は、

 「…ただの友人です…」

 と、強調した…

 「…別に、米倉さんと、特別な関係はありません…」

 と、力を込めた…

 すると、隣で、寿さんが、

 「…高見さん…もしかして、この長谷川センセイにアピールしている? 自分を売り込んでいる?…」

 と、突っ込みを入れた…

 私は、寿さんの突然の突っ込みに、どうして、いいか、わからなかった…

 「…でも、お互い、独身だから、付き合えば、いいのかも…」

 と、さらに、寿さんが、続けた…

 私は、唖然とした…

 同時に、なぜ、寿さんが、そんな、ふざけたことを、言うのか、考えた…

 いや、

 それだけではない…

 この長谷川センセイが、どう思うか、考えた…

 だから、急いで、長谷川センセイを見た…

 が、

 その表情は、深刻だった…

 少しも、笑ってなかった…

 そして、なにより、自分と私、高見ちづるのことを、寿さんが、話題にしているにも、かかわらず、私の方を一切、見なかった…

 寿さんの方だけを見ていた…

 これは、一体どういうわけか?

 考えた…

 そして、おそらく、その答えは、この長谷川センセイの深刻な表情にあった…

 長谷川センセイの目線は、あくまで、寿さんだけ…

 寿さんの、青ざめた顔にあった…

 寿さんの青白い顔にあった…

 その顔を見て、心配だったに違いない…

 私は、そう、見た…

 私は、そう、睨んだ…

 そして、寿さんは?

 寿さんは、自分が、体調が悪いにも、かかわらず、わざと、私と長谷川センセイを、茶化して、この場の空気を軽いものにしようとしたに違いなかった…

 医者ならば、寿さんの顔色を見れば、カラダの状態が、わかる…

 それが、わかっているから、寿さんは、余計に、わざと、明るく振る舞ったに違いなかった…

 私は、そんな寿さんの気持ちに気付くと、なんと言っていいか、わからなかった…

 ただただ、寿さんに同情した…

 知り合って、まだ日の浅い寿さんに、同情した…

               
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