第17話

文字数 3,695文字

 この水野春子は、あの米倉正造の本当の意図を知っているのだろうか?

 なぜ、米倉正造が、米倉好子を好きと言っていたのか?

 本当の理由を知っているのだろうか?

 私は、思った…

 私は、考えた…

 が、

 それを直接、この眼前の水野春子に、聞くのは、どうか? とも、思った…

 だから、かまをかけることにした(笑)…

 「…たしかに、正造さんは、イケメンです…」

 私は、言った…

 「…でしょ?…」

 春子が、我が意を得たとばかりに、相打ちを打つ…

 「…だから、好子さんが、正造さんに憧れても、驚きません…」

 「…でしょ?…」

 「…ですが、私は…」

 「…私は、なに?…」

 「…私は、ちょっと…」

 「…ちょっと、なに?…」

 「…正造さんは、好きになれません…」

 「…どうして? 高見さん…だって、アナタ、さっき、正造クンを好きだというような…」

 「…でも、正造さんは、陰があるというか…なにを考えているか、わからないところがあって…」

 わざと言った…

 果たして、この春子は、私の意図に気付くだろうか?

 賭けだった…

 が、

 春子は、予想外のことを、言った…

 「…バカね…だから、いいんじゃない!…」

 「…エッ? いい?…」

 思わず、口に出した…

 春子の言葉が、予想外だったからだ…

 「…そうよ…いい…」

 「…どうして、いいんですか?…」

 「…どんなイケメンでも、おバカさんじゃ、ダメでしょ?…」

 「…おバカさん?…」

 思わず、繰り返した…

 まさか、眼前のこの水野春子の口から、おバカさんという言葉が、出るとは、思わなかったからだ…

 「…そう、おバカさん…例えば、会社に入って、学歴は、低いけど、手が速くて、やることが、早いから、オレは、出世すると、吹聴しているひとが、いるとする…」

 「…」

 「…でも、その周囲の人間は、皆、MARCHは、出ている…昔の基準で、いえば、六大学は出ている…それでも、その男は、オレの方が、凄いと、周囲に吹聴しているとする…」

 「…」

 「…で、高見さん…その男の子が、今でいうキムタクのようなイケメンでも、好きになれる?…」

 …キムタク?…

 今度は、キムタクって?…

 まさか、水野春子の口から、キムタクの名前が出るとは、思わなかった…

 「…どう?…」

 春子が、重ねて、聞いた…

 だから、私は、

 「…いえ…」

 と、言った…

 「…でしょ?…」

 春子が、我が意を得たりとばかりに、ニヤリと、笑った…

 「…自分の置かれた立場が、見えない…周囲と、自分の違いが、わからない…そんな人間は、誰もが、ゴメンよ…」

 春子が、笑った…

 「…でも、正造クンは、少なくとも、愚かではない…」

 「…愚かではない?…」

 「…高見さんも、正造クンと、接して、わかったはずよ…」

 春子が、笑った…

 私は、なんて、言っていいか、わからなかった…

 なんと、答えていいか、わからなかった…

 同時に、自分の愚かさを思った…

 かまをかけるどころではない…

 この目の前の水野春子の方が、一枚上…

 私、高見ちづるよりも、一枚も、二枚も上だと、思った…

 なんのことはない…

 この水野春子は、私のことを、中身は、50歳、いや、自分よりも、年上に見えると、持ち上げたが、それは、ウソ…

 この私よりも、はるかに、しっかりしている…

 いや、

 それを言えば、さっき初めて会ったときは、この春子を、深窓の令嬢だと、思った…

 歳をとった深窓の令嬢だと、思った…

 が、

 違った…

 違い過ぎた(笑)…

 敵でいえば、強敵…

 まさに、油断ならざる強敵だった…

 まさに、外見と中身の違い…

 まるで、吉永小百合のような、おっとりとして、品のある外見とは、裏腹な中身だった…

 だから、もしかしたら、深窓の令嬢とはいえ、どこかで、苦労したのかも、しれないと、思った…

 どこかで、苦労しなければ、こんなやり取りは、できないからだ…

 誰でも、そうだが、苦労は、実になる…

 その人間を成長させる…

 例えば、今、この春子が、言った、
 
 「…そう、おバカさん…例えば、会社に入って、学歴は、低いけど、手が速くて、やることが、早いから、オレは、出世すると、吹聴しているひとが、いるとする…」

 この話など、まさに、その好例だろう…

 誰もが、聞けば、当たり前のことだし、納得する…

 世の中には、そんな人間が、ごまんといると、思う…

 が、

 正直、体験しなければ、実感が湧かない…

 話を聞いただけで、経験しなければ、おおげさに言えば、実にならない…

 そういうことだ…

 別の例でいえば、男女とも、学歴もなく、ルックスもよくなく、家も平凡、お金持ちでもなんでもない…

 まさに、平凡の極みの人間にもかかわらず、

 「…オレ(アタシ)は、美人(イケメン)じゃなきゃ、結婚しない…」

 というものが、稀にいる…

 これもまた、水野春子が、今、言った例と同じ…

 要するに、自分が、わかってない(爆笑)…

 相手が、ルックスが、良くて、自分が、悪ければ、ルックスの代わりになるものを、自分が、持っている必要がある…

 例えば、学歴とか、お金とか…

 つまりは、ルックスでは、釣り合わないが、代わりに、相手が、持っていない、学歴やお金を、オレ(アタシ)は、持っている…

 だから、つり合いが取れるだろうと、普通は、なる…

 そういう例で言えば、

 「…アイツは、ルックスが、イマイチだが、東大を出ているから、あんな美人と結婚できたんだ…」

 と、なるのは、その好例だろう…

 が、

 なにも、なければ、誰も、相手にしない…

 そういうことだ(笑)…

 だから、それを思えば、今さっき、この春子が例に挙げた、

 「…そう、おバカさん…例えば、会社に入って、学歴は、低いけど、手が速くて、やることが、早いから、オレは、出世すると、吹聴しているひとが、いるとする…」

 などは、まだいい方かも、しれない…

 なぜなら、

 …学歴は、低いけど、手が速くて、やることが、早いから…

 まだ、納得できるからだ…

 が、

 世の中には、ごく稀にだが、どうしても、納得できないことを、言う人間が、いる…

 が、

 当たり前だが、その人間が、言う通りには、ならない(爆笑)…

 だから、私が、例に挙げた、本人は、ルックスも、学歴も、家柄も平凡だが、相手には、ルックスが、良い人間を希望しても、そうは、ならない…

 当たり前のことだ…

 そして、そう大言壮語する人間は、大抵、十年後や、十五年後、偶然、街中で、再会すると、慌てて、下を向いて、顔を隠すものだ…

 ルックスが、良い相手でなければ、結婚しないと豪語していたにも、かかわらず、そのとき、いっしょにいた相手は、まったくの平凡なルックスだったり、するからだ(爆笑)…

 言っていることと、やっていることが、まるで、違う(爆笑)…

 だから、バツが悪くて、顔を隠す…

 そういうことだ…

 が、

 ここまで、考えて、気付いた…

 平凡な人間が、優れた人間に憧れる…

 これは、単純に、コンプレックスの裏返しではないか?

 そう、気付いた…

 ルックスが劣る男女が、ルックスの優れた男女に憧れる…

 学歴のないものが、学歴のある人間に憧れる…

 これが、コンプレックスの裏返しでなくて、なんだろうか?

 ないものねだり…

 自分が持ってないから、憧れる…

 これに尽きるだろう…

 本人が、意識する、意識しないに、関わらず、そういうものだ…

 そして、仮に、無意識だとしても、学歴が、ない人間の息子や娘が、東大や、京大に入れば、飛び上がらんばかりに、喜ぶ…

 それは、なぜか?

 普段、仕事に学歴は、関係ないと、豪語する人間ほど、実は、学歴に憧れている…

 そういうことだろう…

 実は、自分が、学歴がないから、本当は、学歴がある人間が、羨ましくて、仕方がない …

 その本音が、自分の子供が、東大や、京大に入ることで、もろくも、わかるというか…

 あっけなく、わかる(笑)…

 そういうものだ…

 これは、別に、悪口でも、なんでもない…

 誰もが、そういうものだ…

 が、

 稀に、ルックスや学歴が、劣っていても、優れたルックスや、学歴の高い相手と、結婚する人間が、いる…

 それは、中身というか…

 人間性が、優れている…

 学歴のある、ないではなく、人柄が、いい…

 そして、そう言う人間は、男女とも、これまた一定数いるものだ…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 そして、そんなことを、考えながら、この水野春子を見た…

 水野本家の正統後継者…

 正真正銘のお嬢様…

 たしか、以前、あの水野透(とおる)が言うには、水野は、戦前は、日本の二十財閥に入っていたそうだ…

 つまりは、戦前は、日本を代表する二十の企業の一つ…

 あの三井や、三菱とは、比べものにならないかもしれないが、それでも、日本を代表する企業の一つだった…

 そんな由緒正しい、お金持ちのお嬢様…

 にもかかわらず、こんなに鋭いというか…

 とてもではないが、ただのお金持ちのご令嬢とは、思えない…

 一体、このご婦人は、これまで、どんな人生を歩んで来たんだろうか?

 そう思わずには、いられなかった…

               
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