第44話

文字数 4,258文字

…寿綾乃…

 もちろん、彼女が、直接、なんのアポイントもなく、私の家にやって来たわけでは、なかった…

 事前に、あの米倉正造から、

 「…今日か、明日、高見さんに、会えませんか?…」

 という電話があった…

 私は、どう答えていいか、わからなかった…

 なぜなら、米倉の窮地というか…

 今、まさに、米倉は、存亡の危機…

 米倉は、倒産の危機だった…

 そんな大変な状況にも、かかわらず、正造の口調は、軽やかというか…

 悲壮感が、まるで、なかった…

 まるで、

「…今度、いっしょに、飲みにいきませんか?…」

 という感じだった…

 どこまでも、軽薄というか…

 それでも、実家の米倉が、今、存亡の危機だからこそ、あえて、明るく振る舞っているのか?

 そうも、思えた…

 人間、危機になれば、なるほど、明るく振る舞う人間もいる…

 明るく振る舞わなければ、絶望するからだ…

 だから、無理やりにでも、明るく振る舞う…

 ちょうど、それは、戦時下の暮らしと、同じ…

 この戦争が、いつ、終わるのか?

 この戦争が、どう、終わるのか?

 自分の国は、勝てるのか?

 それとも、負けるのか?

 考え出したら、きりがない…

 だから、極力、考えない…

 考えないように、努める…

 そういうことだ…

 それゆえ、明るく振る舞うのだ…

 だから、正造も、そうなのかと、思った…

 そして、そう考えた私は、

 「…そうですね…」

 と、明るく振る舞うことにした…

 正造に、合わせることにした…

 が、

 正造の答えは、意外なものだった…

 「…いえ、高見さん…実は…」

 と、切り出した…

 「…実は、なんですか?…」

 「…女がいるんです?…」

 「…女?…」

 意味が、わからなかった…

 「…ハイ…高見さんと会うんですが、女性が、同伴します…それで、いいでしょうか?…」

 「…女性って?…」

 私は、わざと、強い口調で聞いた…

 米倉が、今まさに、存亡の危機にも、かかわらず、相変わらず、女の話…

 まったく、この米倉正造という男は?

 わけが、わからなかった…

 だから、

 「…一体、その女性って、正造さんに、とって、どういう人なんですか?…」

 と、強い口調で、言った…

 いや、

 強い口調で、聞かざるを得なかったというか…

 すると、すぐに、

 「…憧れの女性です…」

 と、電話の向こう側から、正造が、即答した…

 「…憧れの女性?…」

 米倉正造の口から、そんな言葉を聞いたのは、初めてだった…

 たしかに、正造は、女好き…

 無類の女好きだ(笑)…

 が、

 直接、

 …憧れの女性…

 と、言ったのは、初めてだった…

 だから、驚きだった…

 それゆえ、

 もしかして、この正造の言い方は、新手の口説き文句か?

 と、睨んだ…

 わざと、

 …憧れの女性…

 と、大きく持ち上げて、私に嫉妬心を、起こさせるつもりか?

 と、考えた…

 私と、正造は、今だ、なんの関係がない…

 男女の肉体関係がない…

 だから、わざと、他の女を持ち上げて、私に嫉妬させるつもりなのかと、疑った…

 だから、

 「…きっと、お美しい方なんでしょうね…」

 と、わざと、言った…

 もちろん、皮肉だ…

 が、

 あろうことか、正造には、その皮肉が、通じなかった…

 「…ハイ…」

 と、あっけらかんと言った…

 だから、私は、許せなかった…

 この米倉正造という男を許せなかった…

 だから、頭に来て、つい、

 「…私など、及びもしない、おキレイな方なんでしょうね…」

 と、言ってしまった…

 もちろん、皮肉だ…

 皮肉以外の何物でもない…

 すると、正造が、躊躇った…

 おずおずと、

 「…タイプが、違います…」

 と、言った…

 「…タイプが違う? …どう、違うんですか?…」

 と、まるで、正造にケンカを売るように、聞いた…

 「…高見さんは、美人で、カワイイ…ですが、彼女は…」

 「…彼女は、なんですか?…」

 「…正真正銘の美人…かわいらしさなど、微塵もありません…」

 「…可愛らしさがない…」

 「…ハイ…」

 そう言った、やりとりを、した…

 そして、それが、印象的だった…

 可愛らしさのない、美人…

 正真正銘の美人…

 その言葉が、新鮮であり、実際に、この目で、見たくなった…

 そして、その女が、自宅にやって来た…

 「…寿綾乃と申します…五井家に仕えるものです…米倉正造さんの紹介で、お迎えに参りました…」

 私は、彼女を見て、ビックリした…

 目を瞠った…

 彼女は、美人…

 米倉正造の言う通り、正真正銘の美人だった…

 年齢は、たぶん、私と同じくらい…

 三十代前半…

 そして、身長は、私よりも5㎝ぐらい高い…

 おそらく、160㎝ぐらいだろう…

 ただ、私が、よく例えるように、女優の常盤貴子さんのような、可愛さはない…

 あるのは、美人…

 正統派の美人だけだった…

 おまけに、なんとなく色気があった…

 私にない色気があった…

 だから、無意識に嫉妬した…

 私としては、珍しい感情だった…

 彼女の美しさに嫉妬したのだ…

 が、

 同時に、なんとなく、はかなげな感じがした…

 どこか、はかない感じもした…

 病み上がりと言うか…

 そんな感じがした…

表情が、疲れている感じがした…

 だから、つい、

 「…体調が、優れないように、お見受けしますが…」

 と、聞いた…

 聞かざるを得なかったというか…

 すると、

 「…ハイ…先日まで、オーストラリアで、入院してました…」

 と、答えた…

 「…オーストラリア? …ですか?…」

 驚きだった…

 顔色が、優れないから、つい、
 
 「…体調が、優れないように、お見受けしますが…」

 と、聞いたが、まさか、その返答に、
 
 「…ハイ…先日まで、オーストラリアで、入院してました…」

 という返答があるとは、思わなかったからだ…

 だから、これ以上、なにも、言わなかった…

 なんて、言っていいか、わからなかったからだ…

 なんて、突っ込んでいいか、わからなかったからだ…

 すると、寿綾乃と名乗る女性が、

 「…オーストラリアに行っていたのは、日本では、まだ認証されない手術だったので…」

 と、付け足した…

 私は、その言葉で、

 …そういうことか!…

 と、内心、納得した…

 どんな内容の手術だか、私には、わからないが、日本では、まだ正式に認可されてない治療もある…

 海外では、許可されていても、日本では、まだ許可されない治療法もある…

 そういうことだろう…

 私は、思った…

 そして、あらためて、この寿綾乃という女性を見た…

 たしかに、正統派の美人だ…

 私のように、可愛さは、微塵もない…

 目鼻立ちの整った、正統派の美人…

 しかも、

 しかも、だ…

 本人は、気付いているか、どうか、わからないが、どこか、色気がある…

 これも、私には、ないものだった…

 私、高見ちづるには、ないものだった…

 私は、たしかに、美人と言われているが、色気はない(笑)…

 あるのは、色気ではなく、さわやかな印象…

 ちょうど、女優の常盤貴子さんのような、さわやかな印象だ…

 が、

 眼前の寿綾乃という女性は、違う…

 誤解を恐れずにいえば、成熟した大人の印象というか…

 年齢も、私と同じくらいのはずだが、私より、落ち着いた印象がある…

 ちょうど、会社で言えば、社長秘書とか…

 そういう職業があっている印象だった…

 だから、思わず、私は、

 「…失礼ですが、寿さんは、五井家に仕えていると、今、おっしゃいましたが、五井のどこかの企業で、働いていらっしゃるのでしょうか?…」

 と、聞いた…

 聞かざるを得なかったというか…

 なにより、五井家に仕えるものという言葉が、引っかかった(笑)…

 普通、そんな言い方は、しないからだ(笑)…

 「…いえ、以前は、違う会社で、社長秘書をしていました…ですが、ご縁があって、今、五井家に仕えています…」

 寿綾乃という女性が、そう、答えた…

 そして、それ以上は、語らなかった…

 私も、聞かなかった…

 なにより、この寿という女性は、意志が強そうだった…

 だから、私が、これ以上、なにを聞いても、余計なことは、一切答えない…

 そんな意思の強さが、見て取れた…

 だから、話題を変えた…

 「…正造さんは?…米倉正造さんは?…」

 と、聞いた…

 「…クルマの中ですか?…」

 「…いえ?…」

 「…だったら、どこに?…」

 「…たぶん、五井記念館か、あるいは…」

 「…あるいは?…」

 「…五井本家…諏訪野のお屋敷だと、思います…」

 「…諏訪野のお屋敷?…」

 「…ハイ…五井本家は、諏訪野という苗字なんです…そこのお屋敷に…」

 眼前の寿綾乃という女性が言う…

 私は、彼女の物言いに、一瞬、不安が、よぎった…

 だってそうだろう…

 たしかに、あの米倉正造は、迎えをよこすと、言っていたが、肝心の米倉正造の姿は、どこにもない…

 それゆえ、不安だった…

 まさか、とは思うが、この眼前の寿綾乃と名乗る女性が、オレオレ詐欺の受け子ではないが、私を騙して、どこかに連れて行くかも、しれない…

 そんな不安が、よぎった…

 と、そんなときだった…

 私の持っているスマホが、鳴った…

 私は、急いで、電話に出た…

 「…ハイ…高見です…」

 「…高見さん…米倉です…」

 正造の声がした…

 「…事情があって、そこには、行けなくなりました…」

 「…エッ? …行けなくなった?…」

 「…ハイ…」

 「…」

 「…ですが、ボクを信じて下さい…」

 「…正造さんを信じて?…」

 「…ハイ…そうです…」

 私は、その言葉を、聞いて、目の前の寿と名乗った女性を見た…

 たしかに、見た目は、感じがいい…

 私でなくても、誰が見ても、彼女を信じるだろう…

 いや、

 よほどのへそ曲がりか、猜疑心の強い人間でない限り、彼女を疑うものなど、いないだろう…

 誰が見ても、悪事とは、無縁に思える…

 真面目に見える…

 なにより、たった今、米倉正造から、電話があった…

 彼女を信じろと、電話があった…

 だから、

 「…わかりました…正造さんを、信じます…」

 と、言った…

 すると、

 「…ありがとう…助かります…」

 という声が、流れてきた…

 そして、それで、電話が切れた…

 それから、目の前の寿さんを見た…

 「…今、聞いた通り、正造さんの言う通りにします…」

 「…そうですか…ありがとうございます…」

 と、言って、丁寧に腰を折って、私に礼を述べた…

 いかにも、その動作が、似合っているというか…

 いかにも、その動作が、会社の秘書らしいと、思った…

 そして、あらためて、美人だと、思った…

               
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