第37話

文字数 4,383文字

 私は、思う…

 私は、考える…

 心のありかを、考える…

 恋愛のありかを、考える…

 あのとき、私は、たしかに、恋をしていた…

 米倉正造に恋をしていた…

 が、

 今は、その感情はない…

 だとすれば、やはりというか…

 アレは、一刻の感情…

 気の迷いに過ぎないのだろうか?

 私は、思った…

 あの澄子さんの娘と名乗った彼女と、別れた後に、一人で、銀座をブラブラ歩きながら、考えた…

 もはや、なんのために、銀座に来たのか、よくわからなかった(苦笑)…

 会社を休職中の私が、暇つぶしで、たまに、銀座にやって来たにも、かかわらず、頭の中は、あの澄子さんの娘のことで、いっぱいになった…

 いわゆる、気分転換のために、この銀座にやって来たにも、かかわらず、これでは、まるで、気分転換になっていなかった(苦笑)…

 なにより、たった今、別れた彼女のことで、頭が、いっぱいになったのだ…

 これでは、暇つぶしどころではない…

 私は、思った…

 が、

 思いながらも、どこか、嬉しかった…

 なぜなら、退屈でなくなったからだ…

 一昔、二昔前に、会社で、窓際に追いやられたオジサンが、

 「…会社で、どうやって、一日を過ごせば、いいか? 考えるだけで、退屈で、死にそうだ…」

 と、嘆いた話を、テレビか、雑誌で、見たことがある…

 たしかに、そうだろう…

 一日中、なにもしないで、いることは、結構、苦痛だ…

 今の時代なら、会社のパソコンで、ネットサーフィンをしているか?

 あるいは、パソコンで、オンラインゲームをしているか?

 の、どちらかだろう…

 そして、もっと昔なら、新聞を読んだりして、一日中、時間を潰すしかない…

 そういうことだろう…

 いずれにしろ、暇というのは、困る…

 思いのほか、厄介だ…

 私も、これまで、金崎実業に、十年以上、勤めていた…

 だから、それが、今回、休職で、ハッキリとわかったというか…

 いきなり、暇を与えられても、どうしていいか、わからない…

 どう時間を、潰していいか、わからない…

 それが、本音だった…

 そして、それを、思えば、ふと、昔、母が、言った言葉を思い出した…

 母もまた、三十年以上前は、会社に勤めていた…

 そして、当時、会社の同僚の愚痴を聞いていて、驚いたのが、今の私といっしょだった…

 要するに、会社に出社しても、仕事がないのだ…

 いわゆる、嫌がらせでも、なんでもなく、会社に出社しても、大した仕事がない…

 例えば、二時間もあれば、終わる仕事…

 会社は、基本、八時間が、通常…

 となると、残りの六時間を、どう過ごせば、いいか、わからなくなる…

 そして、それが、苦痛だったと、その同僚が、言っていたと…

 思い切って、会社を辞めようかとも、思ったが、思いがけず、他部署に移動になり、普通に、忙しくなったと、言っていた…

 そして、これは、今の時代でも、結構あることだと思う…

 大きな会社なら、普通に、あり得る話だろう…

 ある部署では、忙しく、隣の部署では、暇…

 普通に考えれば、だったら、隣の部署に、ひとを派遣すれば、いいのでは?

 と、考えるが、それが、できない…

 部署の壁があり、なにより、している仕事が、異なる…

 だから、仕事をするにしても、一から教えなければ、ならない…

 だから、できない…

 私は、思った…

 だから、極端なことを、言えば、暇は罪というか…

 罪悪に他ならない…

 そして、そんなことを、漠然と考えながら、銀座を歩いていると、いきなり、誰かに、ポンと肩を叩かれた…

 私は、驚いた…

 まさか、この銀座で、誰かに、肩を叩かれるとは、思っても、みなかったからだ…

 私は、一瞬、さっきの澄子さんの娘が、再び、私の背後に現れたのだと、思った…

 この銀座で、知り合いに会う可能性など、皆無だからだ…

 だから、

 「…まだ、なにか、私に用事?…」

 と、つい、怒りながら、背後を振り返った…

 が、

 そこにいたのは、さっきの娘では、なかった…

 そこにいたのは、あの正造…

 米倉正造だった…

 私が、初めて、恋をしたと思っていた米倉正造だった…

 私は、驚いた…

 同時に、たった今、怒鳴ったことが、恥ずかしくなった…

 まさか、そこにいたのが、米倉正造だとは、思わなかったからだ…

 私は、カッコ悪く、どう、正造に、言い訳して、いいか、わからなかった…

 が、

 正造は、笑っていた…

 意味深に笑っていた…

 「…もしかして、誰かと、間違いました?…」

 正造は、意味深に笑いながら、聞いた…

 が、

 私は、答えることが、できなかった…

 どう、答えていいか、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、黙った…

 すると、

 「…もしかして、澄子の娘と名乗る女と、勘違いした?…」

 と、正造が、いたずらっぽく笑った…

 その瞬間、

 …知っている!…

 …見抜いている!…

 と、思った…

 この眼前の米倉正造は、すべてを、見抜いていると、思った…

 そして、当然のことながら、私が、驚いた表情をしていたのだろう…

 「…高見さんが、そんなに、驚いた顔をするのは、見たのは、初めてです…」

 と、正造が、言った…

 それから、

 「…でも、高見さんのような美人は、驚いた顔も素敵です…」

 と、歯が浮くようなお世辞を言う…

 私は、思わず、

 「…そんなお世辞…真に受けませんよ…」

 と、言ってやりたかったが、言えなかった…

 この米倉正造という男は、ちょうど、若き日の三浦友和に似ている…

 イケメンだが、爽やか…

 だから、このセリフが、あった…

 違和感なく、あった…

 そして、ドラマやお芝居ではなく、こんなキザなセリフが、臆面もなく、言えるのが、この米倉正造という男だった…

 要するに、雰囲気のある、イケメンというか…

 優しげで、それでいて、どこか、陰のあるイケメンだった…

 そして、そんな正造に、惹かれたというか…

 自分でも、いけないと、思っても、つい惹かれてしまう…

 磁石ではないが、強烈な磁力があった…

 磁力=魅力があった…

 そして、そんなことを、考えていると、

 「…どうしました?…」

 と、眼前の正造が、聞いた…

 「…いえ、なにも…」

 反射的に、言った…

 「…もしかして、ボクに恋をした?…」

 「…エッ?…」

 驚いた…

 まさか、米倉正造が、こんなセリフを言うとは、思わなかった…

 だから、マジマジと、正造を見た…

 すると、正造が、いたずらっぽく、笑っていた…

 だから、当たり前だが、正造が、冗談を言っていることに、気付いた…

 と、同時に、そんな正造の冗談に、気付かない自分に、驚いた…

 きっと、たった今、別れた、あの澄子さんの娘と名乗る女のコの出現に、思いのほか、動揺しているに、違いなかった…

 そう、自分自身を分析した…

 きっと、自分が、思っている以上に、動揺しているに、違いなかった…

 それが、わかった…

 そして、そんな自分自身の感情が、わかったからこそ、

 「…そうですね…やはり、私には、正造さんが、必要というか…」

 と、告げた…

 「…必要?…」

 今度は、目の前の正造が、当惑した…

 「…だって、正造さんは、お金持ちですから…」

 と、言って、笑った…

 すると、

 「…たしかに…」

 と、正造も、笑った…

 「…ボクの取り柄といえば、それくらいです…」

 と、続けた…

 ホントは、正造の取り柄は、その爽やかな印象のイケメンにあるのだが、あえて、言わなかった…

 また、私も当然、それは、わかっているが、あえて、その点に触れなかった…

 今さらというやつだからだ…

 「…きっと、この場所で、正造さんに、会ったのは、運命ですよ…」

 「…運命? …どういう運命ですか?…」

 「…この銀座で、私に貢ぐ…」

 私が、冗談っぽく言うと、正造は、

 「…これは、大変な場所で会ったな…」

 と、言って、笑った…

 そして、そのやりとりで、互いが、平常運転というか…

 互いが、いつもの通りだと、思った…

 ハッキリ言えば、あの澄子の娘の登場に、動揺していないことが、わかった…

 「…だったら、これから、大判振る舞いです…」

 と、正造が、言った…

 「…大判振る舞い? …ティファニーで、婚約指輪でも、買ってくれるんですか?…」

 「…ハイ…高見さんが、それをお望みなら…」

 正造が、真顔で、答える…

 私は、ちょっぴり、ドキドキした…

 互いに、冗談を、言い合っているのは、わかっていたが、正造が、真顔で、そんなふうに、言うと、ビックリするというか…

 つい、本当なのか?

 と、期待してしまう…

 我ながら、バカげているというか…

 冗談も、本気も、わからなくなる、自分が、そこにいた(笑)…

 そして、そんなことを、考えていると、

 「…さあ、参りましょう…」

 と、正造が、言って、私の手を取って、歩き出した…

 私は、ドキドキした…

 正造が、冗談を、言っているのは、わかっていたが、

 …もしや?…

 と、いう期待もあった…

 …もしかして?…

 と、いう淡い期待もあった…

 そして、その期待が、現実化したというか…

 正造に手を握られながら、ティファニーの前に立った…

 私は、おおげさに、いえば、天にも昇らん気持ちだった…

 まさに、

…まさか?…

だった…

「…では…」

正造が、言った…

私は、ビビった…

「…正造さん、ホントに、入るんですか?…」

「…ええ…高見さんさえ、よければ?…」

正造が、真顔で言う…

私は、つい、

「…今度にしませんか?…」

 と、言ってしまった…

 「…どうしました? …今日では、都合が悪い?…」

 「…ハイ…」

 私は、答えた…

 それを、見て、正造が、

 「…でしたら、日を変えて…」

 と、言った…

 私は、その顔を見た…

 いかにも、楽しげだった…

 ゲームに、勝った顔だった…

 私とした、たわいもない、ゲームに勝って、満足した表情だった…

 これは、チキンゲーム…

 バイクでいえば、私と正造が、二人で、壁に向かって、アクセルをフルスロットルで、全力疾走…

 どっちが、先に、ブレーキを踏むか?

 競争している…

 そんな感じだった…

 そして、私の方が、正造よりも、先にビビッて、ブレーキを踏んだ…

 それが、現実だった…

 悔しいが、現実だった…

 私の負け…

 それが、現実だった…

 米倉正造とティファニーの店に入り、いっしょに、指輪を選ぶ…

 が、

 その先は、ない…

 婚約指輪を買うはずもないからだ…

 だから、さすがに、そこまではできないと、思って、

 「…今度にしませんか?…」

 と、言ってしまった…

 いや、

 言わされてしまったというか…

 悔しいが、まんまと、正造の策謀に載ってしまったというか…

 それを、思えば、さっきのあの、澄子さんも娘との勝負で、負け…そして、今また、この米倉正造との勝負で、負けた…

 二連敗…

 私の人生で、あり得なかった連敗だった(苦笑)…

               
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