第69話

文字数 4,902文字

 結局、考え続けることだけが、究極の暇つぶしになった…

 なにしろ、仕事をまったく与えられないのだ…

 やることが、なにもない…

 だから、できるのは、考えることだけだった…

 だから、考えた…

 考え続けた…

 その結果、結局、私は、駒というか…

 おそらく、捨て駒…

 私を窮地に追い込むことで、誰が、どう動くのか?

 見たい…

 知りたい…

 それが、私を、リストラに追い込む理由だと、気付いた…

 そして、そう思うと、なんだか、笑えてきたというか…

 私は、なんの関係もないのに、なぜか、争いに巻き込まれる…

 そもそも、私自体に、なんの価値もないのに、争いに、巻き込まれる…

 これは、泣いた方が、いいのか?

 はたまた、

 笑った方が、いいのか?

 困った…

 わからなかった…

 実に、対処に、困った…

 が、

 冷静に考えれば、笑えるというか…

 実に、退屈しのぎになった…

 私は、金崎実業に入社して、33歳の今まで、ずっと、この金崎実業一筋…

 他の会社は、知らない…

 学生時代は、いくつかの、バイトを経験したことがある…

 だから、厳密に言えば、他の会社も、知っている…

 が、

 それは、十年以上前…

 だから、例えば、今、当時、バイトしていた会社に、顔を出したとしても、誰一人、私が見知った人間は、いない可能性もある…

 それほど、世の中が、変わってきている…

 だから、そんなめまぐるしく変わる世の中にあって、十年超、ひとつの会社に、勤務し続けることができた私は、幸せなのかも、しれない…

 世の中には、私以上に恵まれた人間は、星の数ほど、いるに違いないが、私以下の生活をしている人間も、また無数にいる…

 だから、他人と比べれば、切りがない…

 ずっと昔、今から30年以上前…

 バブル以前、日本は、総中流社会と、呼ばれていたそうだ…

 誰もが、皆、中流と自分の家庭のレベルを考えていたそうだ…

 年収、一千万のひとも中流で、年収500万円のひとも、中流…

 厳密に言えば、年収一千万のひとと、年収500万円のひとが、同じ中流であるはずはないのだが、皆、同じに考えていた…

 だから、一億総中流社会と呼ばれていたそうだ…

 そう、母が、かつて、私に言ったことがある…

 が、

 私が、生まれた頃に、バブルが、崩壊して、日本経済が、低迷…

 その後、ずっと低迷したままだ…

 だから、今は、失われた30年と、呼ばれている…

 バブルが、崩壊して、30年経つのに、一向に、景気が上向かないからだ…

 だから、失われた30年…

 長々と、語ったが、私が、なにを言いたいのかと、言えば、要するに、自分は、恵まれていると言いたいのだ…

 曲がりなりにも、大学を出て、金崎実業に就職した…

 私が、大学を出た頃は、ご多分に洩れず、就職氷河期…

 私の友人の中には、就職できない者もいた…

 その中にあって、就職できた私は、幸運だと言える…

 むろん、私よりも、よい企業に、就職できた者も、いる…

 が、

 そのひとたちは、私とは、違った…

 なにが、私とは、違うかといえば、頭…

 皆、私よりも、はるかに、偏差値の高い高校の出身だった(涙)…

 だから、私のような中堅商社の金崎実業レベルの会社ではなく、もっと、有名な会社に、就職した…

 そして、私が、当時、思ったことは、自分が、いかに、平凡な人間だということだった…

 たかだか、中堅の大学に、入っただけだったが、それでも、自分以上に頭の良い人間は、数えきれないほど、いた…

 にも、かかわらず、その中には、就職氷河期ゆえに、就職できない者もいた…

 だから、それを、思えば、自分は、幸運…

 幸運と、思わざるを得なかった…

 が、

 その幸運の中にあって、私は、退屈だった…

 こんなことを、私レベルの人間が、言うのは、不遜極まりないが、ハッキリ言えば、入社しても、会社と、家の往復だけ…

 好きになる男もいなかった…

 だから、生活には、なんの不満もなかったが、満ち足りなかったというか…

 到底、自分の生活に満足できなかった…

 ハラハラも、ドキドキもなかったからだ…

 が、

 それが、今、変わった…

 正直、いつクビになるか、わからない…

 だから、ハラハラ、ドキドキする…

 が、

 半面、それが、楽しかった…

 半面、それが、嬉しかった…

 これまで、自分が、感じたことのない、刺激を感じることが、できたからだ…

 そんなことを、思えば、不謹慎極まりないが、それが、正直な感想だった…

 自分自身、今、十分、追い込まれているにも、かかわらず、どこか、楽しかった…

 まるで、小説やドラマの主人公にでも、なった気分だったからだ…

 だから、そう思うと、自然と、笑みがこぼれた…

 もはや、なるようになれと、いう気分だった…

 自分でも、自分の感情に、ビックリしたが、見事に振り切ったというか…

 もはや、どうにでもなれと、いう気分だった…

 すると、誰かの視線を感じた…

 私は、すぐに、内山さんの視線だと、思った…

 内山さんが、私を見ているのだと、思った…

 が、

 違った…

 その視線は、原田のものだった…

 営業所長の原田のものだった…

 おそらく、私が、笑っていることに、気付いたのだろう…

 原田は、私を強引に、辞めさせろ、と会社の上の人間から、命令を受けたに違いない…

 だから、復職させた私を、干している…

 会社に、復職させても、一向に、仕事を与えず、私を干している…

 私が、音を上げるまで、そうするつもりだろう…

 私が、会社を辞めるというまで、私を干し続けるつもりだろう…

 だが、原田を恨むことは、間違っている…

 原田とて、上から命じられて仕方なく、私を干しているに過ぎないからだ…

 が、

 その原田にしてみれば、この私が、うっすらと笑みを浮かべたのを見て、不思議なのかも、しれない…

 あるいは、この私が、頭をおかしくなったと、思ったのかも、しれない…

 いわゆる、会社で、干され、イジメに遭っているのに、笑う人間など、どこの世界にも、いるはずがないからだ…

 だから、もしかしたら、私を不気味に思ったのかも、しれない…

 妖怪のたぐいではないが、もしかしたら、それと、同じように、思ったのかも、しれない(爆笑)…

 所詮、自分以外の人間が、なにを、考えているか、わからない…

 誰もが、同じ…

 どうして、今、私が、うっすらと、笑みを浮かべているか?

 私が、説明すれば、わかるに違いないが、私が、説明しなければ、わからない…

 そういうことだ…

 だから、私が、笑うのを、見て、不思議に思って、クビをひねる原田の顔を横目に見ながら、私は、ただ、考え事に、集中していた…


 そして、そんな毎日が、一週間、二週間と、続いた…

 が、

 私は、へこたれなかった…

 毎日、時間通りに出社して、机に座った…

 そして、なにをするでもなく、ただ、退社まで、日がな一日、考え事に、没頭していた…

 誰も、私に話しかける人間も、いなかった…

 触らぬ神に祟りなしというように、私の存在自体を、誰もが、無視していた…

 内山さんも、例外ではなかった…

 一切、私に話しかけなかった…

 それでも、私は、動じなかった…

 だから、原田にしてみれば、蛙の面に小便というか…

 なにをしても、一向に、動じない…

 あるいは、響かない私に苦慮しているのは、ありありだった…

 困惑しているのは、ありありだった…


 結局、会社に復職して、三週間目に入ったとき、所長の原田が、私とすれ違いざまに、素早く、メモを渡した…

 私は、なにげなく、それを、受け取った…

 そこには、

 …今日、外で、会いたい…

 と、だけ、書いてあった…

 私は、考えた…

 まさか、この原田が、私になにか、するのでは?

 と、いう考えが、一瞬、脳裏をよぎった…

 が、

 そんなことが、あるはずがなかった…

 原田のことは、よく知らないが、妻子持ちに、違いない…

 それが、例えば、私を誘って、男女の関係になり、私が、その顛末を、会社に訴えれば、原田は、クビになるかも、しれない…

 だから、そんな危険を冒してまで、私を誘うわけがなかった…

 また、仮に、原田が、会社の指示で、私を誘って、男女の関係になったとしても、同じ…

 いまどき、会社の命令であれ、そんなセクハラをして、それが、世間にバレれば、原田に会社の居場所は、ない…

 そういうことだ…

 だから、原田が、会社の命令であれ、原田個人が、私を誘うのであれ、その誘いに、乗っても、安全だと、私は、思った…

 確信した…

 だから、席に着くと、小さなメモ用紙を、見つけて、

 …ОK…

 とだけ、書いた…

 そして、それを、握り締め、会社の休み時間に、さりげなく、原田に近付き、そのメモを渡した…

 原田も、すぐに、受け取った…

 後は、簡単だった…

 原田が、またも、時間を置いて、私にメモを渡し、それを、読んだ私が、原田にメモを返す…

 そんなやりとりを、何度か、繰り返した…

 そして、会う場所を決めた…

 場所は、今いる、この営業所から、二駅離れた駅前のファミレスと、決めた…

 さすがに、営業所から、近過ぎる場所で、会うのは、危険だった…

 営業所の他の面々の目もある…

 だから、近くで、会うわけには、いかなかった…

 だから、二駅離れた、駅前のファミレスで、会うことにした…

 そして、そんなやりとりをする、自分が、なんだか、楽しかった…

 これでは、まるで、中学生や高校生の恋愛と同じだ…

 好きな異性にすれ違いざまに、小さなメモを渡し、交際に発展する…

 まるで、昔の青春ものというか…

 学園ドラマみたいだと、思った…

 なにより、この金崎実業に、入社して、そんなことを、するのは、初めての体験だった…

 相手が、原田というのは、あまり嬉しくはないが、そんなことを、する自分に、感謝したというか…

 まるで、中学生や高校生に、戻った気分だった…

 中学生や高校生の頃に、タイムスリップした感じだった…

 だから、嬉しかった…

 そして、皮肉にも、私は、中学や高校時代に、異性と、そんなメモのやりとりをした記憶がない…

 だから、余計に嬉しかったというか…

 相手が、原田なのは、嬉しくないが、そんな子供時代に戻れたことが、嬉しかった…

 子供じみているといえば、実に、子供じみている…

 が、

 それが、嬉しかった…


 その日、会社を定時で、退社した私は、原田の指定した、ファミレスに、足を運んだ…

 当然のことながら、原田の姿は、まだ、なかった…

 わずか、二十数名の小さな営業所だが、まがりなりにも、原田は、そこの所長…

 まさか、誰よりも、早く、営業所を退社するわけには、いかなかったからだ…

 だから、遅れてやってきた…

 時間にして、30分は、経たなかった…

 その間、私は、一体、原田が、なにを言うのか?

 考えた…

 やはり、退職の強要だろうか?

 考えた…

 …このまま、私が、金崎実業にいても、会社に居場所はないよ…

 とでも、告げるのだろうか?

 考えた…

 というより、他に、考えることが、なかった…

 そして、やはりというか、遅れて、やって来た原田が、私に言った、最初の言葉は、

 「…アンタも、粘るな…」

 という言葉だった…

 私は、予想通りだから、驚かなかった…

 っていうか、あまりにも、予想通りだから、呆れたというか…

 むしろ、あまりにも、予想通り過ぎて、笑えた…

 だから、思わず、苦笑したというか…

 つい、口元が緩んだ…

 が、

 それが、いけなかった…

 目の前の原田の機嫌が、すぐに悪くなった…

 「…なにが、おかしい?…」

 「…いえ、別に…」

 私は、言いながら、しまったと、思った…

 こんなことで、原田を怒らすことは、想定外…

 予想もしていなかった…

 だから、困った…

 すると、今度は、原田が、ため息をついた…

 そして、

 「…オレも、つくづく、ついてない…」

 と、ぼやいた…

 「…なにが、ついてないんですか?…」

 「…アンタのクビに鈴をつけることを、任されたことさ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…会社は、試している…オレとアンタを…」

 意味不明なことを、言い出した…

               
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