第73話

文字数 4,741文字

 「…私?…」

 「…そう…アナタ…」

 「…どうして、私なんですか?…」

 「…透(とおる)が、高見さんを好きだったのは、高見さんも、知っているでしょ?…」

 「…」

 「…高見さんと、私は、似ている…顔も、身長も、よく似ている…瓜二つとまでは、いえないけれども、誰もが、姉妹と間違えるほど、似ている…」

 「…」

 「…そんな高見さんが、目の前に現れて、動揺しない男はいない…」

 「…」

 「…兄が、正造が、なにを目的に、高見さんを、米倉の家に連れてきたのかは、しらない…でも、おそらく、高見さんの影響を受けたのは、米倉の人間ではなく、透(とおる)だった…」

 「…」

 「…透(とおる)は、高見さんを知って、気持ちが揺れ動いた…当然よね…私と姉妹と言っても、いいほど、よく似た女が、突然、現れた…だから、どうしても、私と比べたくなった…」

 「…」

 「…その結果、たぶん、透(とおる)も、困ったと思う…」

 「…困った? …どうしてですか?…」

 「…自分が、私を好きか? 高見さんを、好きか? わからなくなっちゃったと、思う…」

 「…」

 「…でも、米倉が、危機に陥って、私を救うために、私を選んだ…でも、きっと、それは、透(とおる)の本意じゃないと思う…」

 「…」

 「…ホントは、透(とおる)は、私と同じ…もっと、時間が欲しかったんだと思う…」

 「…時間?…なんの時間ですか?…」

 「…私と高見さん…どっちが好きだか、自分で、自分の気持ちに気付く時間…」

 「…」

 「…それが、私にも、透(とおる)にも、なかった…それで、勢いで、結婚して、その結果がコレ…離婚…まるで、子供のママゴトみたい…」

 「…」

 「…まったくもって、笑っちゃうわね…30を過ぎた男と女が、そんなことも、わからず、結婚するなんて…」

 好子さんが、力なく、笑った…

 私は、好子さんの気持ちがわかった…

 実に、よくわかった…

 透(とおる)は、ずっと、好子さんが、好きだった…

 が、

 その透(とおる)が、思いを寄せる好子さんは、透(とおる)を、好きではなかった…

 嫌いなのではない…

 好きでは、なかったのだ…

 恋人にしたいとか、結婚したいとか、いう感情が、まるでなかった…

 そういうことだった…

 が、

 何度も、言うように、米倉の経営する大日グループが、経営危機に、陥り、透(とおる)と、結婚することを、条件に、水野が、米倉を救済してくれる…

 その条件を、好子さんは、飲むしかなかった…

 他に、米倉を救う選択肢はなかったからだ…

 だが、本当は、もっと、時間が、欲しかった…

 透(とおる)も、好子さんも、自分の気持ちを確かめる時間が、欲しかった…

 そういうことだろう…

 たしかに、この好子さんが、言うように、30歳を過ぎた、男と女が、今さら、考える時間が、欲しいも、なにも、ないのかも、しれない…

 これが、中学や高校生から、見れば、

 「…いい歳をしたオジサンと、オバサンが、なにを言っているんだよ…」

 と、いう感じだろう…

 しかしながら、その中学や高校生も、自分が、30歳になれば、わかるが、中身は、案外、中学や高校時代と変わっていないものだ(笑)…

 だから、今、30歳を過ぎても、決断できない男女を笑った中高生も、自分が、30歳を過ぎて、同じ立場になれば、やはり、決断できない…

 そういうことだ…

 私は、思った…

 そして、そんなことを、考えていると、

 「…でも…でもね…」

 と、電話の向こう側から、好子さんが、言った…

 切羽詰まったというか…

 これだけは、聞いてもらいたいと言った感じだった…

 「…でも、なんですか?…」

 「…私は、これで、良かったんだと思う…」

 「…どうして、良かったんですか?…」

 「…私が、透(とおる)と、離婚したことで、米倉は、水野と、縁を切ることができた…」

 「…それが、なぜ、良かったんですか?…」

 「…社風よ…」

 「…社風って?…」

 「…要するに、会社の雰囲気と言うか…」

 「…」

 「…米倉も、水野も、元を辿れば、戦前からの財閥…だから、一見、社風も、似ていると、思いがちだけれども、全然違う…」

 「…どう、違うんですか?…」

 「…米倉は、父の平造が、一代で、飛躍的に、大きくした…いわば、平造のワンマン経営…それに、比べ、水野は、良平さんが、社長だけれども、実権は、奥様が、握っている…」

 「…」

 「…つまるところ、米倉は、父の平造が、なんでも、自分の一存で決めることができたけれども、水野には、一族というか…奥様が、承知しなかったことは、できない仕組みになっていた…これが、最大の違い…」

 「…でも、だったら、米倉だって…ご一族がいて…」

 「…それは、父が、平造が、他の米倉の一族に力を与えないように、したの…」

 「…力を与えないようにした…」

 「…要するに、自分の気に入らない人間は、要職から外して、干した…つまり、米倉の専制君主ね…だから、誰も、父に文句を言えなかった…」

 「…」

 「…でも、水野は、それができない…何事も、良平さんの奥様の意向を聞かなければ、ならない…」

 「…でも、好子さん…どうして、そんなことを、知っているんですか?…」

 「…良平さんは、私が、子供の頃から、米倉の家に遊びに来ていたから、よく、酔っ払って、父に、良平さんが、愚痴っていることが、あったの…私は、父のお気に入りだったから、二人が、酒を飲んでいる場所にも、いっしょにいて…」

 …なるほど、そういうことか?…

 好子さんは、米倉の正統後継者…

 だから、水野良平との場にも、いっしょに、いさせたに、違いなかった…

 好子さんは、気付いているか、どうかは、わからないが、あの平造は、好子さんに、自分と良平のいる場に、好子さんをいさせることで、帝王教育というか…

 米倉の次期当主にふさわしい教育を施そうとしていたのかも、しれなかった…

 「…だから、米倉と水野は、社風が違った…ほら、会社って、社長の個性が、結構出るものでしょ? お金に厳しい社長は、お金の出し入れに、厳格になるし、比較的、お金におおらかな社長は、その逆…とりわけ、米倉や水野のようなオーナー企業は、その傾向が強い…」

 「…」

 「…米倉は、父の影響で、ワンマン経営に慣れていたけれども、水野は、もう少し自由というか…それが、提携して、わかった…だから、いっしょになっても、うまくいくかどうかは、微妙…」

 そんなことが…

 夢にも思って、みなかった…

 たしかに、会社は、個人と似ているというか…

 会社にも、人間同様、個性がある…

 その会社独特の個性がある…

 その会社独特の雰囲気がある…

 それは、誰もが、転職してみれば、わかるし、パートでもバイトでも、経験してみれば、わかる…

 例えば、日立とソニーは、まったく別の社風…

 仮に合併しても、うまくいきそうにない…

 傍から見ても、それほど、社風が違うように、見える…

 現実に、会社の雰囲気は、まるで、違うはずだ…

 それは、冷静に考えれば、わかる…

 だから、それを、見落として、米倉と水野の合併を進めた平造は、今になって、思えば、愚かだったといえる…

 いや、

 愚かではなかったのかも、しれないが、時間がなかった…

 米倉を立て直す時間がなかったのだろう…

 莫大な負債を抱えた米倉を救済するには、水野の傘下に入るのが、一番の近道と考えたのかも、しれなかった…

 「…だから、米倉は、水野と別れて、正解だった…でも、それが、私と透(とおる)の離婚が、きっかけになるなんて、実に皮肉ね…」

 「…」

 「…でも、偶然じゃないかもしれない…」

 「…偶然じゃない? どういうことですか?…」

 「…透(とおる)のスキャンダル…」

 「…」

 「…ほら、フライデーに載ったでしょ? 泥酔して、若い女と腕を組んで、歩いている姿を撮られた…」

 「…」

 「…すべては、アレがきっかけ…」

 「…」

 「…私は、アレ以前から、透(とおる)に、気を付けるように、注意していたのに…」

 好子さんが、愚痴る…

 そう言えば、以前、好子さんは、今と同じようなことを、言っていた…

 私は、それを、思い出した…

 でも、どうして、好子さんは、透(とおる)に、注意しろと、言ったのだろうか?

 謎だった…

 だから、

 「…好子さんは、どうして、透(とおる)さんに、注意しろと、おっしゃったんですか?…」

 と、聞いた…

 すると、

 「…米倉と、水野が、合併して、不協和音というか…うまくいってない話が、漏れ聞こえてきたの…」

 「…どういうことですか?…」

 「…さっきも、高見さんに言った社風の違いかな…米倉と水野が、提携して、双方の社員同士が交流しても、妙に、ギクシャクしてるという話を聞いて…」

 「…」

 「…結局のところ、互いのトップの父と良平さんは、仲がいいのだけれども、社員の質というか…とにかく、水と油とまでは、いかないけれども、噛み合わないというか…」

 「…」

 「…とにかく、そんな話が漏れ聞こえてきた…」

 「…」

 「…そして、それは、米倉と水野、双方の一族にしても、同じ…」

 「…一族にしても、同じって?…」

 「…姉の澄子は、水野と提携したのが、気に入らないし、水野は、水野で、良平さんの、奥様が、いい顔をしなかった…」

 「…」

 「…つまるところ、曲がりなりにも、うまくいったのは、良平さんのおかげ…良平さんが、なんとか、うまくやろうとしていただけ…」

 「…」

 「…でも、米倉と水野の提携の象徴のはずの私と透(とおる)の結婚も、うまくいかない…それが、良平さんの耳にも入って、動揺したと、思う…」

 「…」

 「…そして、そんな中で、あのフライデーの写真が出た…アレが、ダメ出しというか…」

 「…ダメ出し?…」

 「…透(とおる)は、水野の一族や、社員から、米倉の人間と結婚したのに、どういうことだ? と、非難された…元々、さっきも、言ったように、米倉と水野の社員同士が、ウマが合わず、不満が、高まっていたときに、あの写真が出た…だから、あの写真を契機に、一気に、不満のマグマが、溢れ出した…」

 「…」

 「…そして、それが、抑えられなくなった…」

 「…」

 「…だから、最初の話に戻ると、私が、透(とおる)に注意しろと、警告したのは、そんな社員同士や、互いの一族の中にも、不満を抱いているものが、多いから、なにか、あったら、困ると思った…」

 「…」

 「…ハッキリ言えば、この状況で、なにか、あれば、ガスが、漏れているときに、ライターで、火を点けるというか…不満で、いっぱいになったガスが、爆発すると、思った…」

 「…」

 「…そして、あの写真をきっかけに、ガスが爆発した…」

 好子さんが、言った…

 私は、なるほど、そういうことかと、思った…

 たしかに、好子さんの説明を聞けば、わかる…

 米倉と水野の提携は、社員にも、一族にも、不評だったということだ…

 だから、なにか、あれば、提携が、破綻すると、好子さんは、危惧していたのだろう…

 だから、透(とおる)にも、自分の行動に、気をつけろと、言っていたのだろう…

 「…でも、まさか…」

 好子さんが、続けた…

 「…まさか、あんな写真一枚をきっかけに、米倉と水野の提携が破綻するとは、思わなかった…」

 好子さんが告げた…

 たしかに、言われてみれば、その通り…

 好子さんの言う通りだった…

 たかだか、透(とおる)が泥酔して、若い女と腕を組んでいるところを、写真週刊誌に撮られただけで、米倉と水野の提携が破綻に追い込まれるとは、予想もしなかったはずだ…

 「…澄子は、まったく許せない…」

 好子さんが、悔しそうに、呟いた…

               
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