第83話

文字数 3,559文字

 「…正造さんは…」

 と、私は、言った…

 「…正造さんの容態は、どうなんでしょうか?…」

 私の質問に、

 「…詳しくは、わかりません…」

 と、前を歩く、寿さんが、答えた…

 「…深刻な状況ですか?…」

 「…私が、さっき、お見舞いに、部屋に伺ったときは、寝ていました…」

 「…寝ていた?…」

 「…ハイ…」

 と、いうことは、たいした事故ではなかったのかも、しれない…

 ふと、思った…

 重大な事故であったならば、

 「…寝ている…」

 なんて、軽い言葉は、言えない…

 そう、思った…

 そして、私が、そんなことを、考えていると、

 「…米倉さんも、大変だったのだと、思います…」

 と、寿さんが、告げた…

 「…大変って?…」

 「…米倉さんのお父様が経営した大日産業が、水野と提携して、合併すると、決まって、ホッとしたのも、束の間…互いの社風が、水と油で、とても、いっしょになるのが、困難なことに、気付いたとおっしゃっていました…それで、よく諏訪野と、会って、色々と、話しあっていたみたいです…」

 「…そんなことが…」

 私は、驚いた…

 あの正造は、ただの女好きな男とばかり、思っていた…

 「…でも、それも、大日産業が、五井のグループに入ることで、一件落着した…それが、いけなかったのかも、しれない…」

 「…どうして、いけなかったんですか?…」

 「…それは…」

 「…それは?…」

 「…それ以上は、私の口にすることでは、ないかも、しれません…」

 寿さんが、言った…

 だから、それ以上は、聞けなかった…

 だから、それ以上は、なにも、聞けなかった…

 だから、二人とも、黙って、五井記念病院の廊下を歩いた…

 無言で、歩いた…

 まもなく、ある病室の前で、立ち止まった…

 「…この部屋です…」

 寿さんが、告げた…

 「…どうぞ…」

 寿さんが、私が、部屋の中に入るように、促した…

 私は、

 「…それでは、失礼します…」

 と、言って、中に入った…

 そこは、個室…

 寝ているのは、一人だけだった…

 米倉正造だけだった…

 私は、それを、見て、あらためて、本当に、この正造が、入院した事実を思い知った…

 それまで、透(とおる)に聞いて、五井記念病院に入院したのは、知っていたが、実感がなかった…

 が、

 現実に、正造が、目の前で、ベッドの上で寝ているのを、見て、実感したというか…

 ウソでは、ないと、思った…

 真実だと、思った…

 すると、隣で、

 「…ちょうど、いい、休息になったのかも、しれません…」

 と、寿さんが、言った…

 「…どういう意味ですか?…」

 「…米倉さんは、忙し過ぎました…」

 「…忙し過ぎた?…」

 「…水野と提携した大日産業の引き取り先を探して、孤軍奮闘していました…」

 「…孤軍奮闘ですか?…」

 「…そうです…」

 …孤軍奮闘…

 意味は、わかる…

 自分一人で、闘うということだ…

 ならば、この正造は、自分一人で、大日産業を守るために、闘ったというのだろうか?

 いや、

 違う…

 そうではない…

 おそらく、この正造の目的は、好子さん…

 血の繋がってない、妹の好子さんに違いない…

 今も、この寿さんが、言ったように、水野と、米倉では、社風が、水と油…

 だから、両社が、提携して、いずれは、合併する…

 そんな当初のもくろみは、見事に崩れた…

 だから、水野と、米倉が、別れるのなら、透(とおる)と、好子さんも、別れるのが、よかったのかも、しれない…

 二人とも、正統後継者…

 水野と、米倉の正統後継者だ…

 互いの経営する会社の合併が、うまくいかない以上、両社の正統後継者の二人も、また離婚した方がいいと、いうことかも、しれない…

 互いの一族が経営する会社が、合併を解消して、別れたのなら、一族の正統後継者の二人もまた、別れるのが、自然だからだ…

 私は、思った…

 そして、この正造は、好子さんのために、米倉が、なんとか、生き残る道を探したのかも、しれない…

 好子さんが、幸せになる道を探したのかも、しれない…

 おそらく、それが、真相だろう…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 そして、そんなことを、思うと、この米倉正造という男は、つくづく、不思議だった…

 たとえ、好子さんのために、孤軍奮闘したとしても、その見返りは、なにも、ないだろう…

 もしかしたら、好子さんは、この正造が、陰で、動いたのも、しらないかも、しれない…

 血が繋がってないのだから、ホントは、この正造は、好子さんと、結婚できる…

 夫婦になることができる…

 にもかかわらず、この正造が、それを、望んでいるとは、到底、思えない…

 だから、

 わからない…

 つくづく、この正造という男が、わからない…

 なんの見返りが、ないにも、かかわらず、なぜ、好子さんのために、動くのか、わからない…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 そして、そんなことを、考えていると、

 「…この米倉さんは、女好きって、諏訪野が、言っていました…」

 突然、寿さんが、言った…

 「…女好き? …ですか?…」

 言いながら、思わず、笑いそうになった…

 もう少しで、吹き出しそうになった…

 やはり、この米倉正造は、女好きで、有名だと、思ったからだ…

 誰もが、この米倉正造を評する言葉は、いっしょだと、思った…

 「…ですが、諏訪野は、こうも、言ってました…米倉は、遊び方がキレイだと…」

 「…遊び方が、キレイって?…」

 …どういう意味だろ?…

 …キレイの意味は、わかる…

 が、

 遊び方が、キレイと言われても、なんのことか、わからない…

 おそらく、そんな思いが、私の表情に、出たのだろう…

 寿さんが、すぐに、

 「…無理強いしないということです…」

 と、付け加えた…

 「…無理強い?…」

 「…要するに、相手が、嫌だといえば、諦める…無理は、しない…」

 「…」

 「…遊びは、あくまで、遊び…本気じゃない…だから、相手も、その遊びが、わかってくれる女を選ぶ…だから、遊び方が、キレイ…諏訪野が、つねづね、そう、言ってました…」

 「…」

 「…そして、そんな米倉さんだから、信用できるとも、諏訪野は、言ってました…」

 「…信用できる?…」

 「…そうです…いつも、他人の悪口や陰口を叩いている人間を見て、その人間を信用しろ、とでも、言われても、無理でしょ?…」

 「…それは…」

 「…それと、同じです…子供ではないのだから、いっしょに酒を飲んでいても、どんな人間かは、いつも、見てます…おおげさに、いえば、観察しています…」

 「…観察…」

 あまりの言葉に、絶句した…

 「…諏訪野も、また、五井家当主です…周囲には、五井の力を利用しようと、さまざまな人間が集まって来ます…だから、自然に、ひとを、見る力が養われる…諏訪野の口癖です…」

 寿さんが、言った…

 そして、そう言ってから、ベッドの上で、眠った米倉正造を見て、

 「…でも、この顔を見ると、女好きでも、おかしくありませんね…寝ていても、イケメンだというのは、わかる…」

 と、いきなり、言って、笑わせた…

 私は、びっくりした…

 まさか、それまで、まともな話をして、いきなり冗談を言うとは、思わなかったからだ…

 「…おまけに、諏訪野と同じく、生まれつきのお坊ちゃま…女にモテるのは、わかる…」

 そう言って、寿さんが、意味深に笑った…

 私は、直観的にマズいと、思った…

 寿さんが、正造を狙っていると、思った…

 これは、マズい…

 寿さんは、私以上の美人…

 しかも、色っぽい…

 寿さんが、迫れば、この正造は、すぐに、落ちると思った…

 だから、焦った…

 私は、焦った…

 だから、とっさに、

 「…でも、この正造さんは、無類の女好きですよ…」

 と、言った…

 言わずには、いられなかった…

 そして、私が言うと、寿さんは、私をジッと見た…

 その蒼ざめた美しい顔で、私を見据えた…

 「…もしかして、高見さん…私が、米倉さんを、狙っていると、思った?…」

 からかうように、言った…

 そして、からかうように、言いながらも、目は、真剣だった…

 笑ってなかった…

 が、

 私は、なんと答えていいか、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、黙った…

 無言だった…

 すると、

 「…このカラダの状態では、そんなことは、無理…できない…」

 ポツリと、寿さんが、呟いた…

 「…だから、安心して…」

 寿さんが、意味深に、笑った…

 私は、どう返答していいか、わからなかった…

 だから、黙った…

 またも、答えなかった…

 すると、だ…

 「…でも、この米倉さん…本当、大変そうだった…」

 と、寿さんが、呟いた…

 「…米倉の…大日産業の引き取り先が決まって、ホッとしたのも、束の間、正体不明の女が、現れて…」

 意味深に、寿さんが、告げた…

               

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