第94話

文字数 4,139文字

 「…あ…秋穂さんの背後に、五井ですか?…」

 思わず、大声を出した…

 大声を出さすには、いられなかったからだ…

 「…そう…」

 今度は、好子さんが、言った…

 「…五井には、あの和子がいる…」

 春子が、口惜しそうに、言った…

 「…和子?…」

 「…五井の女帝…」

 春子が、吐き捨てるように、言った…

 私は、その言葉で、以前、一度、その和子に会ったことを、思い出した…

 以前、一度だけ、諏訪野のお屋敷に伺ったときに、会ったことを、思い出した…

 和子は、まさに、女傑…

 女傑だった…

 単なる、やり手という言葉では、あてはまらない…

 それほど、強烈な印象を残した人物だった…

 だから、

 「…あの秋穂さんの背後に、五井が…」

 と、私は、呟いた…

 …呟かずには、いられなかった…

 「…といっても、あの秋穂は、使われただけ…」

 「…使われただけ?…」

 「…この好子さんと、透(とおる)の離婚の引き金を引くのに、使われただけ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…透(とおる)を誘惑して、写真週刊誌に、その証拠写真を流しただけ…」

 「…」

 「…要するに、二人を別れさせるのに、使われただけ…」

 「…」

 「…そして、高見さん…」

 「…ハイ…」

 「…それは、アナタも、同じ…」

 「…エッ?…」

 「…アナタも、あの秋穂が、高見さんの会社の人事の松嶋という男を誘惑して、高見さんをリストラに追い込んだでしょ?…」

 ウソ!

 まさか?

 まさか、私をリストラする背後に、五井の影があったとは?

 考えもしなかった…

 「…でも、どうして、私が?…」

 「…アナタ…正造さんの弱点なのよ…」

 「…弱点?…」

 意味がわからなかった…

 どうして、私が、正造の弱点なのか?

 さっぱり、わからなかった…

 「…アナタを、正造さんが、好きだと、思われている…」

 「…私を好き?…」

 「…だから、アナタをリストラしようとした…そうすれば、正造さんの動きを封じられるというか…アナタを心配した正造さんが、秋穂ではなく、アナタに、比重を置くと、思った…」

 「…」

 「…要は、正造さんが、邪魔なの?…」

 「…どうして、邪魔なんですか?…」

 「…秋穂を監視しているから…」

 「…」

 「…正造が、秋穂を監視しているから、秋穂を思い通りに、動かせない…」

 思いがけない、春子の言葉だった…

 ということは、どうだ?

 私が、以前、一度だけ会った、五井家の若き当主、諏訪野伸明も、また、和子に加担しているのだろうか?

 ふと、気付いた…

 「…でしたら…あの…諏訪野伸明さんも、あの和子さんに…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いわれなかった…

 「…無関係だと、思うわ…」

 そっけなく、春子が、告げた…

 「…たぶん、あの和子が、単独で、動いている…」

 と、続けてから、

 「…高見さん…アナタも、諏訪野さんと、会ったことがおありなの?…正造さんと、同じくイケメンでしょ?…」

 屈託なく、聞いた…

 私は、どう答えていいか、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、黙った…

 すると、すかさず、

 「…高見さん…顔が赤いわ…」

 と、今度は、好子さんが、言った…

 これには、参った…

 たしかに、一目会って、いい男だと、思った…

 が、

 身分違い…

 米倉正造と、同じく、身分違い…

 平凡な私とは、住んでいる世界が違う…

 私が、あの諏訪野さんに、憧れたとしても、どうにか、なることは、あり得ないからだ…

 「…あの秋穂は、米倉一族…それは、間違いない…」

 好子さんが、呟いた…

 「…でも、澄子の娘か、否かは、謎があるというか…」

 好子さんが、一転、歯切れが、悪くなった…

 「…イマイチ、確信が、持てない…」

 「…どうして、ですか?…」

 私は、聞いた…

 「…澄子と、あの秋穂が、会った形跡がない…」

 「…どうして、わかるんですか?…」

 「…興信所よ…」

 「…興信所?…」

 「…お金を払って、頼んだの…すると、二人が、会った形跡はないと、報告を受けた…」

 「…」

 と、私が、黙っていると、

 「…だったら、余計に、知りたくなるわね…」

 と、今度は、春子が、口を挟んだ…

 「…あの秋穂の素性が、知りたくなる…」

 春子が、言ってから、

 「…案外、正造さんを秋穂にかかりっきりにさせる陽動作戦かも…」

 と、笑った…

 「…陽動作戦?…」

 「…ほら、正造さんは、秋穂にかかりっきりだったでしょ? 正造さんは、秋穂に関わっている間は、身動きが取れなかった…」

 この春子は、まるで、正造が、有能なようなことを、言う…

 それが、驚きだった…

 米倉正造は、ただの女好き…

 ただ、あっちの女、こっちの女と、女の間を渡り歩いている、女にだらしない男…

 それが、私の米倉正造という男の評価だった…

 が、

 違うのだろうか?

 私が、そんなことを、考えて、春子の顔を見ていると、

 「…高見さん…アナタ、正造さんが、ただの女好きだと、本気で、思っていたの?…」

 と、春子が、私に聞いた…

 私は、

 「…ハイ…」

 と、即答したかったが、まさか、そういうわけには、いかなかったので、

 「…いえ、決して、そういうわけでは…」

 と、曖昧に言葉を濁した…

 「…オバサマ…高見さんは、きっと、正造を、ただの女好きだと、ずっと、思っていたみたい…」

 と、好子さんが、私をからかった…

 すると、春子は、笑みを浮かべながら、

 「…女好きは、父の平造さん譲りだけれども、ただ、お酒を飲んで、女漁りをしているわけじゃないわ…」

 と、言った…

 「…女漁り?…」

 そこまで、あからさまに言うことに、仰天した…

 なぜなら、春子のおっとりとした外見に、女漁りという言葉は、まったく、合わなかったからだ…

 「…アレは、情報収集も、兼ねているの…うちの…水野と、米倉の合併が、決まっても、社風が、まるで、合わないことがわかった時点で、正造さんが、次の米倉の合併先を、必死になって、探していたのは、掴んでいたわ…」

 春子が、あっさりと、告げた…

 それを聞いた、好子さんが、

 「…オバサマ…申し訳ありません…」

 と、再び、春子に頭を下げた…

 「…謝ることはないわ…水野と米倉の社風は、水と油…ソニーと日立が合併するくらい、社風が、違った…」

 春子が、打ち明ける…

 「…だから、誰が考えても、最初から、無理な合併だった…それを、承知で、平造さんが、米倉を救うために…」

 と、ここまで、言って、後は、告げなかった…

 この水野春子は、あの米倉平造に騙された…

 頭には、きたが、平造の気持ちは、わかるからだろう…

 また、昔からの知り合い…

 憎んでも、憎み足りない相手には違いないが、単純に憎むこともできない…

 相手の苦境が、なにより、わかっているからだ…

 また、騙されたとはいえ、水野には、米倉を救済する余裕があった…

 会社の規模が違うからだ…

 おそらく、その余裕が、春子の態度に出たのだろう…

 これが、米倉のせいで、水野が、倒産するとなると、話が、変わるからだ…

 「…いずれにしろ、あの和子が、正造さんの動きを封じるために、あの秋穂を使ったのは、わかっている…」

 春子が言う…

 「…まあ、秋穂のことは、警察に捕まったんだから、いずれ、素性は、わかるでしょう…」

 春子が、断言した…

 「…それよりも、好子さんは、私に聞いたいことがあるのでしょう?…」

 「…聞きたいこと?…」

 思わず、私は声を上げた…

 「…五井のこと…」

 春子が告げた…

 途端に、

 「…オバサマ…相変わらず、鋭い!…」

 と、好子さんが、感嘆した…

 「…今日、私をここに呼び出した目的は、それでしょ?…」

 「…ハイ…」

 「…どういう意味ですか?…」

 私は、またしても、口を挟んでしまった…

 本当は、私の出る幕では、ないのだが、またしても、口を挟んでしまった…

 すると、春子が、

 「…この好子さんは、心配なの?…」

 と、私に答えた…

 「…心配? …なにが、心配、なんですか?…」

 「…米倉の五井入り…」

 「…」

 「…もしかしたら、米倉は、五井に完全に支配されるんじゃないかと、心配なの…」

 「…ですが、好子さんは、さっき、五井に入っても、五井の十四家目の地位を得られると、私におっしゃって…」

 「…それは、正造の受け売り…」

 好子さんが、答えた…

 「…私は、そこまで、甘く考えていない…」

 「…エッ?…」

 「…だから、春子のオバサマに、お聞きしたかったの…五井とは、どういうものなのか? オバサマは、五井の女帝といわれる、諏訪野和子さんを、知っているから…」

 好子さんが、説明した…

 私は、なるほと、思った…

 ようやく、この場に、春子を呼び出したことを、納得した…

 この好子さんは、米倉が、五井の支配下に入ったことに、不安なのだろう…

 だから、水野春子を、呼び出した…

 本当ならば、後ろ足で、砂をかけるように、水野から、逃げ出した米倉だ…

 春子を呼び出せるわけは、ないのだが、子供の頃から、好子さんは、春子に可愛がってもらったと、言っていたから、感覚が違うのだろう…

 そして、それを、この春子も受け入れた…

 そういうことだろう…

 私は、思った…

 「…五井は、一枚岩ではない…五井十三家…つまり、十三の家で、成り立っているわけですが、団結力は、弱い…それが、五井の弱点…そして、その弱点をなんとかしようと、あの和子は、必死になっている…」

 「…」

 「…おそらく、米倉を受け入れたのは、五井本家の力を、拡大するため…五井十三家といっても、本家の力は、盤石ではない…だから、本家の力を盤石にするため、米倉を受け入れ、本家側について、もらおうと、思っているに違いない…」

 春子は、和子の思惑を語った…

 そして、それを、聞いて、好子さんは、考え込んだ…

 しばらく、考えてから、

 「…そう…オバサマは、五井の目的をそう、読んだんですか?…」

 と、口を開いた…

 春子は、無言で、頷いた…

 「…だったら、米倉は、当面、安泰ですね…」

 と、今度は、好子さんが、言った…

 「…そう、当面は…」

 と、意味深に、春子が、返す…

 「…その後は、わからない…」

 春子が、続けた…

 不気味な沈黙が流れた…

               
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