第49話

文字数 4,802文字

 …あの秋穂という娘…

 そういえば、あの秋穂に言われて、金崎実業の人事部の松嶋は、私を追い込んだ…

 私を退職に、追い込んだ…

 が、

 私が、ギリギリで粘ったから、退職には、至らず、休職に、留まった…

 そして、それが、わかったときの、あの松嶋の悔しい顔といったら、なかった…

 私は、他人様のあんなに、悔しい顔を、これまで、見たことが、なかった…

 よく、テレビや映画では、見たことがある…

 だが、それは、わざと誇張した表情だから…

 現実に、他人のあんなに、悔しそうな顔を見たことがなかった…

 だから、驚いた…

 だから、もしかしたら、私が、休職に追い込まれたよりも、驚きというか…

 印象的だったからかもしれない…

 何度も、言うように、あんな悔しそうな表情を見たことが、なかったからだ…

 あのとき、一体、私は、あの松嶋になにをしたんだろ?

 と、悩んだ…

 真剣に悩んだ…

 が、

 その背後に、あの秋穂がいた…

 澄子さんの娘の秋穂がいた…

 それを、米倉正造から、聞くと、納得した…

 あの秋穂は、銀座の店で、ホステスをしていて、あの松嶋は、その顧客…

 それを、聞いて、思わず、納得した…

 そして、そんなことを、考えていると、

 「…バカな娘…」

 と、またも、この和子さんが、言った…

 私は、驚いた…

 …どうして、バカな娘なんだろ?…

 と、思った…

 だから、率直に、

 「…どうして、バカな娘なんですか?…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 「…カラダを使うからよ…」

 あっさりと、和子さんが、言った…

 が、

 どうして、カラダを使うのが、バカなことなのか?

 わからなかった…

 だから、

 「…どうして、カラダを使うのが、バカなことなんですか?…」

 と、聞いた…

 これもまた、聞かずには、いられなかった…

 「…ひとは、歳を取る…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…変な話、カラダを武器にして、男のひとを、虜(とりこ)にしても、限界が来る…」

 「…限界?…」

 「…そう…例えば、二十歳で、男のひとを誘惑すれば、男のひとも、誘いに乗って来るけれども、40歳では、無理…そういうこと…」

 「…40歳では、無理…」

 私は、この和子さんのあまりにも、ストレートな物言いに、呆れたというか…

 ただ、驚いた…

 そして、それが、表情に、出たのだろう…

 「…少し、言い過ぎたようね…」

 和子が照れ臭そうに、言った…

 「…でも、事実よ…」

 和子が、断言する…

 それから、和子さんが、いきなり、

 「…高見さん…アナタ、失礼だけれども、おいくつ…」

 私は、いきなり、聞かれたから、ちょっと躊躇ったが、

 「…まもなく34歳になります…」

 と、答えた…

 また、五井家のお偉い人から聞かれて、答えずには、いられなかったとも、言える…

 すると、寿さんが、

 「…私より、一歳年上?…」

 と、驚くように、言った…

 さもありなん…

 正統派の美人の寿さんより、私の方が、誰が見ても、年下に見える…

 それは、私が、可愛いが、入っている美人だから(笑)…

 一般的に言って、正統派の美人は、年齢よりも、上に見られることが多い…

 それは、顔が、整い過ぎているから…

 顔が、整い過ぎているから、年齢よりも、上に見える…

 例えば、寿さんは、私より、一歳年下だと、言ったが、誰が見ても、私より、年上に見える…

 そういうことだ…

 また、態度というか、物腰もそう…

 これは、私もだが、この寿さんも、年齢より、落ち着いて見える…

 堂々として、見える…

 だから、この寿さんに、限って言えば、余計に、私より、年上に見える…

 そして、私が、そんなことを、考えていると、

 「…高見さんも、まもなく34歳になるのなら、私の言ったことは、わかるはず…」

 と、和子さんが、言った…

 「…女が、カラダを武器にするのは、いいとは言わないけれども、止めなさいとも、言えない…私の身内では、ないのだから…でもね…」

 そこで、いったん、言葉を切った…

 「…でも、若いときに、カラダを武器にしても、いずれ、歳を取ったときに、それが、通じなくなる…当たり前のことね…」

 「…当たり前のこと…」

 「…そう、当たり前のこと…そして、それが、当人は、わからない…いえ、わかっているつもりでも、わかっていない…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…自分では、わかっているつもり…例えば、二十歳なら、援助交際で、オジサンから、お金をもらえる…今では、パパ活というそうね…でも、セックスすることで、簡単にお金をもらえるから、やめられなくなる…そして、自分が、歳を取る…すると、以前なら、簡単に、パパ活ができたのに、できなくなる…自分が、歳をとって、周りには、もっと、若い子が、現れて、ハッキリ言えば、自分の商品価値が、落ちる…その現実が、わからなくなる…」

 「…」

 「…他人のことは、誰でも、わかる…でも、自分のことは、わからない…若くて、キレイだから、男のひとに、モテるのだけれども、その若さが、なくなれば、モテなくなる…その当たり前のことが、わからなくなる…ハッキリ言えば、自分だけ、例外だと、考える…」

 和子さんが、ハッキリと、断言した…

 私は、その通り…

 その通りと思った…

 誰もがそう…

 自分だけは、例外と考える…

 いや、

 例外とまでは、いえないけれども、自分のことは、甘く考える…

 甘く評価する…

 そういうものだ…

 だから、この和子さんが、言ったように、あの秋穂という娘が、カラダを使って、あの松嶋を操ったのなら、当然、同じようなことを、他の男にも、するだろう…

 そして、いずれ、それが、通じなくなる…

 それが、当たり前…

 が、

 当人は、それが、わからない…

 わかっているつもりでも、そのときが、来なければ、わからない…

 そういうものだ(笑)…

 そして、私は、なぜ、この和子さんが、そこまで、力を込めて、言うのか?

 疑問に思った…

 失礼だが、まさか、この和子さんの身内に同じようなことをした娘でも、いたのだろうか?

 ふと、思った…

 そして、それから、

 …バカな…

 と、考え直した…

 ここは、五井…

 天下の五井だ…

 お金に困ったものなど、誰もいない…

 そう、気付いた…

 つい、私とこの五井の面々と、同じに、考えてしまう…

 そんな自分のバカさ加減に気付いた…

 ということは、やはり、一般論…

 この和子は、一般論を言ったに、過ぎないのだろうか?

 ふと、気付いた…

 だから、つい、

 「…お話しは、わかります…」

 と、相槌を打ちつつも、

 「…失礼ですが、そんな方を、見たことがおありなんでしょうか?…」

 と、聞いてしまった…

 つい、聞いてしまった…

 すると、予想外というか…

 和子が、笑った…

 実に楽しそうに、笑った…

 だから、驚いた…

 ビックリした…

 「…ないわ…」

 呆気なく、答えた…

 「…ない?…」

 「…でも、男のひとは、似たようなひとを、何人か、知っている…もちろん、男のひとだから、カラダを売ることじゃないわ…ただ、自分の能力を勘違いして、自滅しただけ…」

 和子があっさりと、言った…

 私は、あまりにも、この和子が、あっさりと、言ったから、驚いた…

 同時に、残りの二人を見た…

 諏訪野伸明と寿綾乃を見た…

 二人とも、苦笑していた…

 苦笑いを浮かべていた…

 だから、この二人は、この和子が誰のことを言っているのか、わかっているのだろう…

 私は、そう見た…

 私は、そう睨んだ…

 だから、

 「…それは、一体、どなた、なんでしょうか?…」

 と、聞きたかったが、さすがに、聞けなかった…

 が、

 当たり前だが、その私の気持ちは、わかったに違いない…

 「…夫と甥よ…」

 と、和子が、続けた…

 「…二人とも、大した器がないにも、かかわらず、五井の当主の座を狙った…そして、二人とも、それが、叶わず、自殺した…まさに、愚か者の末路…自分の器を省みず、ただ、上を目指す…そんな愚か者の末路…」

 和子が、告白した…

 私は、驚いた…

 この和子の言う人物が、自分の夫や甥であることも、驚きだが、それ以上に、こうもあっさりと、それを、語る和子と言う人物に、驚いた…

 そして、それで、初めて、この諏訪野和子という女が、おそらく、この五井の事実上の、最高指導者というか…

 五井の事実上のトップに違いないと、思った…

 名目上の五井のトップは、この諏訪野伸明だが、それは、あくまで、名目上…

 名目上、つまり、形だけ…

 実際は、この諏訪野和子が、五井の事実上のトップに違いないと、思った…

 現に、今も、五井家当主の諏訪野伸明を前にしても、誰がどう見ても、諏訪野伸明よりも、威張っている(笑)…

 諏訪野伸明よりも、威厳がある(笑)…

 つまり、これだけで、伸明と和子の立ち位置が、わかるというか…

 どっちが、上か、わかる…

 そういうことだ…

 そして、そんなことを、考えながらも、この和子という女性のことを、考えた…

 ひょっとしたら…

 これは、たぶんに、私の一方的な憶測に過ぎないが、この諏訪野和子という女性は、分不相応な地位を、望む人間を、許せないのではないか?

 ふと、気付いた…

 今、この和子が、言ったように、自分の夫と、甥が、五井家の当主の座を狙って、それが、叶わず、自殺した…

 それは、おそらく、事実だろう…

 が、

 その夫と、甥は、この和子の目から見ても、到底、五井家の当主の座にふさわしい力量を、持ち合わせて、なかったに違いない…

 そんな力量の乏しい人間が、上を目指す…

 それが、許せなかったに違いない…

 そして、それは、おそらく、あの秋穂という娘にも、当てはまる…

 カラダを武器に、男を誘惑する…

 それを、ルール違反だ、どうだと、批判する気は、和子にも、ないだろう…

 が、

 和子から見れば、それは、おそらく、今言った夫と甥と同じ…

 同じように、身の程知らずの愚か者に違いない…

 そんなことを、しても、いずれ、それは、できなくなる…

 それを、当人は、わかっているつもりでも、実は、わかっていない…

 それは、誰もが、わかりやすい例で、言いかえれば、女が、ほとんどいない、男子校のような、学校だったり、会社の職場に、いたのと、同じ…

 女が、圧倒的に、少ないから、モテる…

 それが、自分でも、わかっているつもりだが、実は、わかってない…

 なぜなら、そんな女が、圧倒的に少ない学校や会社の職場から、女が、普通にいる、学校や職場に、転校や、転職をする…

 すると、誰もが、途端にモテなくなる…

 自分でも、これまでは、周囲に女が、いないから、自分でも、モテたと、いうことは、わかっている…

 が、

 実際に、女が、普通にいる学校や職場に、変われば、自分が、思っていた以上に、モテない…

 そういうことだ…

 そして、これは、誰もが、ありがちなことだ…

 自分が、モテたのは、女が、極端に少ない環境だから、モテたのであって、周囲に女が、普通に、いれば、途端にモテなくなる…

 女が、少ない環境が、自分に有利に、働いたに過ぎないからだ…

 それが、わかっていても、やはり、実際に、モテなくなると、誰もが、当惑する…

 もう少しは、モテるだろうと、思うからだ…

 それと、同じで、あの秋穂も、いずれ、そうなる…

 いくら美人でも、歳を取れば、いずれは、モテなくなる…

 それが、わからないのが、この和子に、許せないのではない?

 それは、もしかしたら、あの秋穂が、この和子が言った、夫や甥と重なって見えるのかも、しれない…

 ふと、気付いた…

 自分の力量も、わからず、ただ上を目指す…

 そんな愚かな夫や甥と、あの秋穂が、重なって見える…

 だから、余計に、忌み嫌う…

 あるいは…

 あるいは、真逆に、心配する…

 そういうことかも、しれない…

 私は、そう考えた…

               
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