第106話

文字数 4,719文字

「…一体、なにをするの?…」

 反射的に、透(とおる)の顔を、平手で、思いっきり、ひっぱたいた…

 すると、透(とおる)は、

 「…ごめん…あんまり、キレイだから…」

 と、言った…

 私は、どう言っていいか、わからなかった…

 だから、言葉もなかった…

 「…おわびに、正造のいる場所を教える…会いに、行けば、いい…」

 「…正造さんの…」

 「…好きなんだろ?…」

 答えられなかった…

 たしかに、正造を好き…

 しかし、さんざん、自分を利用してきた正造を好きだというのは、何度も言うように、私のプライドが、許せなかった…

 「…さっきの話の続き…」

 いきなり、透(とおる9が、言った…

 「…続きって?…」

 「…ほら、うちの母親の春子は、高見さんがいるから、オレが、好子と別れることを、了承したと言ったね…」

 「…」

 「…つまり、オレは、好子と別れれば、高見さんと、結婚すればいいと、考えた…」

 「…そんな…」

 「…でも、そんな高見さんの心は、正造にある…」

 「…」

 「…うまくいかないものだ…」

 透(とおる)が、笑った…

 そして、

 「…人生、そんなものだ…」

 と、続けた…

 それから、

 「…高見さんの幸運を祈るよ…」

 と、言って、私の元を去った…

 私は、なんと言っていいか、わからなかった…

 あまりにも、突然の出来事だった…

 だから、自分でも、どうしていいか、わからなかった…

 いや、

 たとえ、事前に、透(とおる)が、私を好きだと、告白しても、どうしていいか、わからなかったに違いない…

 透(とおる)は、好き…

 嫌いじゃない…

 でも、結婚となると、違う気がする…

 そんな感じだった…

 そして、そんなことを、考えながら、

 …だから、私は、結婚できないんだ…

 と、思った…

 水野の後継者と、キスをした…

 ホントならば、この後、ホテルにでも、行って、既成事実を作るべきだろう(爆笑)…

 が、

 そんなことは、考えもしなかった…

 もっとも、

 そんな私だから、透(とおる)も、安心して、キスをしたのかも、しれない…

 ある意味、安全牌…

 キスをしても、なにも、起きない…

 代償もなにも、求めない…

 それが、わかってるから、透(とおる)は、これまでも、安心して、私と付き合ってきたのだろう…

 ふと、気付いた…

 誰もが、同じ…

 学校や職場ではないのだから、プライベートで、嫌いな人間と付き合う人間は、いない…

 そもそも、私が、嫌いならば、付き合うこともなかっただろう…

 そんなことを、考えながら、おおげさに、言えば、前向きに、生きて行こうと思った…

 正造のことは、わからない…

 連絡をするかも、しれないし、連絡をしないかも、しれない…

 すべては、これから…

 これからだ…

 これから、考えよう…

 そう、思いながら、歩き出すと、いきなり、誰かから、肩をポンと叩かれた…

 私は、

 「…誰?…」

 と、言いながら、背後を振り返った…

 言いながらも、実は、透(とおる)だと、思った…

 透(とおる)が、戻って来たと、思った…

 が、

 違った…

 そこには、正造が、いた…

 米倉正造がいた…

 思わず、私は、息が止まった…

 おおげさに言えば、心臓が止まった…

 同時に、気付いた…

 これこそが、正造…

 米倉正造の手口だと、気付いた…

 最初に、透(とおる)を、登場させ、私が、動揺する…

 そして、その動揺が、治まったときに、今度は、自分が、登場する…

 いわゆる、演出…

 米倉正造一流の演出だった…

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…どうしました?…」

 と、正造が、聞いた…

 うっすらと、笑いながら、聞いた…

 私は、正造の、その薄ら笑いを見た瞬間、はらわたが、煮えくりかった…

 怒りが、沸騰した…

 「…米倉正造!…」

 と、叫ぶや、いなや、正造の顔を、思いっきり、ひっぱたいた…

 正造が、唖然とした顔になった…

 が、

 すぐに、

 「…気が済みました?…」

 と、聞いた…

 私は、黙って、もう一度、もう一発、正造の顔を、ひっぱたいた…

 そして、それから、ずっと、何度も、何度も、正造の顔をひっぱたいた…

 思いっきり、ひっぱたいた…

 自分でも、何発、正造の顔をひっぱたいたか、わからなかった…

 それぐらい、ひっぱたいた…

 道行く人々が、唖然として、私と正造を見た…

 が、

 私は、やめなかった…

 もはや、自分でも、自分を抑えることが、できなかった…

 情けないことだが、自分で、自分を抑えることが、できなかった…

 やっとのことで、私が、ハァーハァーと、大きく息を切らせて、正造を、ひっぱたくのを、止めると、

 「…気が済みましたか?…」

 と、またも、正造が、聞いた…

 私は、その言葉で、再び、闘志に火が点いた…

 「…全然…」

 と、言うなり、再び、正造を、平手で、ひっぱたいた…

 最初は、ずっと利き腕の右腕を使っていたが、痛くなったので、左手に切り替えた…

 が、

 それでも、正造をひっぱたくのは、変わらなかった…

 私は、正造を、ひっぱたくのを、やめることが、できなかった…

 やがて、ひっぱたく気力も体力もなくなると、今度は、足で、正造の足を蹴っ飛ばした…

 それでも、正造は、なにも言わず、抵抗もしなかった…

 ただ、黙って、私を受け入れた…

 私の行動を受け入れた…

 傍目には、痴話げんかに、映ったに違いない…

 が、

 実際は、痴話げんかでも、なんでも、なかった…

 私と正造の間には、男女の関係もなにもなかったからだ…

 だから、考えて見ると、これは、信じがたい光景だった…

 男女の関係でも、なんでもない、男と女が、路上で争っている…

 男が、一方的に、女に殴られている…

 そんなことが、普通、あるはずがなかったからだ…

 私は、じきに、正造を蹴るのも、疲れて、やめた…

 もはや、体力が…正造を殴る体力が、残っていなかったからだ…

 気力も、尽きかけた…

 が、

 正造に、対する怒りは、治まらなかった…

 これほど、殴っても、殴り続けても、治まらなかった…

 本当なら、もっと、もっと、正造を、ぶち続けたかった…

 もっと、もっと、正造を殴り続けたかった…

 が、

 体力が、続かない…

 私は、頭に来た…

 自分自身に頭に来た…

 こんな簡単に、体力が、なくなった自分自身に、頭に来た…

 すると、

 「…どうしました? …これで、終わりですか?…」

 と、正造が、聞いた…

 その一言で、再び、私の闘志に火が点いた…

 が、

 すでに、体力の限界だった…

 正造をぶとうとして、反対に、私が、よろめいて、正造のカラダに、もたれた…

 正造は、私のカラダを抱きとめた…

 そして、

 「…結婚しましょう…」

 と、言った…

 「…この続きは、結婚した後、やりましょう…」

 私は、その言葉を聞くや、反射的に、正造のカラダから、離れた…

 「…ふざけないで!…」

 私は、怒鳴った…

 「…どこの世界に、自分を殴った女と、結婚する男が、いるの?…」

 「…ここに、います…」

 正造が、笑った…

 が、

 その正造の顔も、私が、平手で、ぶち続けたおかげで、変色、変形していた…

 米倉正造の端正な顔が、真っ赤に、なって、変色、そして、晴れ上がって、変形していた…

 私は、今さらながら、すごいことを、したものだと、思った…

 自分で、自分の行動に、驚いた…

 まさか?

 まさか、自分が、こんな真似をするとは、思わなかったからだ…

 が、

 正造は、笑っていた…

 私は、

 「…米倉正造!…」

 と、叫んだ…

 叫ばずには、いられなかった…

 「…罪ほろぼしのつもり?…」

 「…どういうことですか?…」

 「…私を金崎実業から、リストラして、追い出そうとして、その片棒を担いだ…そして、秋穂さん…彼女を、透(とおる)に近付けて、透(とおる)を、誘惑しようとした…その罪ほろぼしのつもり…」

 「…」

 「…どうなの? …答えて…いえ、答えなさい!…米倉正造!…」

 「…弁解は、しません…米倉が、生き残るためです…」

 「…米倉が、生き残るため?…」

 「…その通り…すべては、米倉の家のため…春子オバサンに頼まれれば、高見さんをリストラするし、五井の女帝に頼まれれば、秋穂を使って、透(とおる)を誘惑させる…すべては、米倉の存続のため…」

 「…ウソ!…」

 「…ウソ! なにが、ウソなんですか?…」

 「…米倉正造…アナタは、本当は、好子さんが、好き…好子さんに、惚れてる…だから、好子さんを、幸せにするために、動いている…米倉正造…アナタの行動基準は、すべて、好子さんのため…違う?…」

 「…違います…」

 「…違わない!…」

 私は、いつしか、大声で、怒鳴っていた…

 道行く人たちが、私と正造を、見て、見ぬふりをしていたが、もはや、どうでもよかった…

 他人の視線も、一切、気にならなかった…

 それほど、頭に来ていた…

 頭に血が昇っていた…

 「…私は、好子さんの代用品じゃない!…」

 大声で、叫んだ…

 「…好子さんの代わりじゃない!…」

 と、大声で、怒鳴った…

 正造は、なにも、言わなかった…

 ただ、黙って、私の顔を見ていた…

 無言で、私の顔を見続けていた…

 
 今、振り返って見ると、このときが、私が、33歳の間に、結婚する最後の機会だったのかも、しれない…

 正造は、本気だった…

 いや、

 本気だったと、思いたい…

 ただ、あの場を治めるために、

 「…私と結婚する…」

 と、言ったとは、思いたくなかった…

 が、

 あの日をきっかけに、正造とは、会ってなかった…

 透(とおる)とも、好子さんとも、会ってなかった…

 もちろん、新造さんとも、だ…

 そして、まもなく、私は、34歳になる…

 が、

 なにも、変わってなかった…

 相変わらず、金崎実業に、勤めていた…

 業務内容も、変わらず、人間関係も、そのまま…

 辞めたいと、何度も思ったが、いざ、そのときになると、辞める勇気もなかった…

 日々が、穏やかに、過ぎて行く…

 あるいは、これが、私の望んだ生き方なのだろうか?

 自問自答する…

 が、

 仕方がないとも、思った…

 現実は、ドラマではない…

 ドラマチックな出来事は、ほんの少し…

 現実は、ただ、流れてゆく…

 ゆっくりと、穏やかに、流れて行く…

 あるいは、34歳になれば、私は、結婚できるのだろうか?

 結婚したい相手と巡り会えるのだろうか?

 考える…

 が、

 同時に、それは、無理だろうと、思った…

 これまで、33年生きてきて、好きだと、思った男は、米倉正造のみ…

 その正造のプロポーズも、断った…

 自分から、断った…

 だから、今後、結婚することは、ありえないとまでは、いわないが、だいぶ難しいだろう…

 天気で言えば、視界不良…

 前が、見えない…

 ホントは、視界明瞭で、あたりに、なにも、ない…

 結婚相手も、なにもない(涙)…

 それが、現実かも、しれない…

 が、

 そうは、考えたくなかった…

 これは、もしかしたら、プライド?

 私のなけなしのプライドかも、しれない…

 美人と、子供の頃から、呼ばれ続けた、私、高見ちづるのプライドなのかも、しれない…

 そう、思った…

 そして、それが、悪いことだとも、思わなかった…

 プライドが、高くても、低くても、構わない…

 ただ、他人様から見て、そのプライドが、実力とあまりにも、かけ離れ過ぎて、失笑ものにならなければいいと、思った…

 だが、このままの状態で、6年後の40歳で、独身のまま、プライドだけ、高ければ、間違いなく失笑もの…

 40歳でも、美人だから、プライドが高いでは、世間では、通用しないからだ(爆笑)…

 せめて、そう、ならないように、祈るしか、なかった(苦笑)…
 
               
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