第88話

文字数 4,286文字

 「…どういう意味ですか?…」

 米倉と、水野が、後腐れなく別れるとは、どういう意味か?

 「…米倉と、水野は、いざ、合併しようと、したら、社風が、水と油…違い過ぎた…」

 「…」

 「…だから、合併は、困難…できない…それは、会社実務に、通じた人間ならば、すぐに、わかった…」

 「…だけど、好子は、それを、知らない…」

 「…どうして、好子さんは、知らないんですか?…」

 「…アイツは、現場には、出ない…だから、わからない…」

 「…」

 「…つまり、そういうことだ…」

 透(とおる)が、力なく、言った…

 「…そういうことって、どういうことですか?…」

 「…つまりは、水野と米倉の合併は、ご破算…なくなった…すると、次は、どうだ? 合併の象徴である、ボクと、好子の結婚が、焦点になる…水野と米倉が、合併するから、ボクと、好子は、結婚した…ならば、合併が、ご破算になったら、どうなる? …当然、ボクと、好子は、別れなければ、ならない…」

 透(とおる)が、一気にまくしたてた…

 私は、唖然とした…

 ただ、ただ、唖然とした…

 まさか…

 まさか、そんな筋書きだとは、思わなかったからだ…

 「…正造は、水野と米倉の合併が、ご破算になると、早くから、気付いたのだろう…きっと、そのときから、水野と米倉の合併が、ご破算になった後のことを、考えていたに違いない…」

 「…ご破算になった後のときのことって?…」

 「…要するに、ボクと好子の結婚さ…水野と米倉が、提携を解消する…つまりは、将来的に、いっしょになる話が消えたわけだ…だったら、その象徴である、ボクと、好子が、結婚したままじゃ、マズいだろ?…」

 言われて、見れば、その通り…

 まさに、その通りだった…

 「…だから、正造は、動いた…水野と別れた米倉の経営する大日グループの処遇と同時に、好子の行く末を案じたに違いない…」

 「…大日グループの処遇?…」

 「…大日グループは、単独では、生きてゆけない…借金が、多すぎた…」

 「…でも、その借金は?…」

 「…チャラになったと言うんだろ? …ロシアとウクライナの戦争が、始まって、エネルギー関連の価格が、暴騰した…そのおかげで、大日グループが、仕込んでいた、石油や天然ガスの価格が、暴騰して、借金が、チャラになったと言うんだろ?…」

 …知っていた!…

 …やはり、知っていた!…

 いや、

 知っていて、当たり前だ…

 この透(とおる)は、水野の正統後継者…

 水野の次期当主…

 当然、ボンクラではない…

 知っていて、当たり前だった…

 だが、

 問題は、いつ、知っていたか、どうか? だ…

 現実に、半年前に、水野と、米倉の提携が、世間に発表されたときには、おそらく、誰も、そんなことは、知らなかったに違いない…

 いや、

 いかに、経営者といえども、会社のすべてを知っているわけではない…

 例えば、米倉の…大日産業の経営陣の一人である、正造も、子会社が、石油や天然ガスを大量に先物買いをしていた事実を知っていたか、どうか、だいぶ、怪しい…

 いや、

 仮に知っていたとしても、それが、わずか、半年後に、米倉の借金を帳消しにするほど、価格が、暴騰するなんて、夢にも、思わないに違いなかった…

 だから、

 「…正造さんは、それを知って動いて…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 すると、目の前の透(とおる)が、無言で、首を横に振った…

 「…いや、それは、ありえない…」

 「…ありえない? …どうして、ですか?…」

 「…正造だって、未来を見通せるわけじゃない…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…きっと、アイツが、動き出したのは、水野と米倉の社風が、水と油で、まったく合わないことが、わかったときだと、思う…」

 「…」

 「…アイツは、女好きだ…」

 いきなり、透(とおる)が、言った…

 私は、これまでの文脈というか、会話から、どうして、いきなり、そんな話になるのか、疑問だった…

 正直、わけがわからなかった…

 「…一体、それが、なんだと?…」

 つい、こちらも、吹き出す寸前だった…

 それまで、まともな話をしていたのに、どうして、そんな話を、いきなり持ち出すのか?

 わけが、わからなかった…

 「…それは、雰囲気に、敏感だということさ…」

 「…雰囲気に敏感? ですか?…」

 「…飲みに行って、女を口説いたりする…すると、すぐに、女が、自分に気があるのか、どうかが、わかる…」

 「…それと、水野と米倉の提携と、何の関係が…」

 「…同じだよ…」

 「…なにが、同じなんですか?…」

 「…空気を読む…雰囲気を読む…」

 「…」

 「…それと、同じだ…」

 「…」

 「…アイツは、女好きだ…だが、それを、生かしている…」

 「…生かしている?…」

 「…女好きを武器に、いっしょに、いろいろな、社会の人間たちと、酒を飲む…そして、仲良くなる…いい歳をした大人が、仲よくなるには、酒が一番手っ取り早い…そして、女好きだと、知れば、相手の頬も、自然に緩む…」

 私は、透(とおる)の正造に対する評価を聞きながら、ふと、疑問に、思った…

 この透(とおる)の言い方では、正造の女好きは、フェイク…

 あくまで、見知らぬ人間と親しくなるきっかけを作るために、女好きを装っているように、聞こえるからだ…

 が、

 「…まあ、アイツの女好きは、間違いない…」

 と、透(とおる)が、付け加えた…

 「…だが、それを、生かしている…正造の人脈を広げるのに、生かしている…」

 「…」

 「…それが、なにより、わかったのは、米倉の、大日産業の、五井入りだ…」

 「…五井入り…」

 「…五井の御曹司…諏訪野伸明とは、飲み友達だ…いっしょに、酒を飲むことで、仲良くなった…」

 「…」

 「…米倉も、水野も、それなりに知られているが、五井とは、雲泥の差だ…普通なら、諏訪野さんは、相手にも、しないだろう…それが、米倉が、五井入りできたのは、正造の手腕だ…」

 「…正造さんの手腕?…」

 「…正造だから、できることだ…」

 「…」

 「…まあ、それも、オヤジさん、譲りなんだろうな…」

 「…オヤジさんって、正造さんの父親の平造さんですか?…」

 「…そうだ…ボクのオヤジが言うには、同じだって…」

 「…どう、同じなんですか?…」

 「…他人の懐への入り方…」

 「…入り方?…」

 「…いっしょに酒を飲んで、ああでもない、こうでもないと、女談義を繰り返す…それを、きっかけに、仲良くなる…」

 「…」

 「…まさに、父子…血は争えないものだ…あの父子は、お互いに、相手を嫌っていたが、やることは、変わらない…」

 「…」

 「…もっとも、だから、余計に互いに反発するのかも、しれない…似た者同士は、反発する…」

 「…」

 「…だが、その根底には、もしかすると…」

 そこで、透(とおる)は、言葉を切った…

 わざと、言葉を切った…

 「…もしかすると、なんですか?…」

 「…二人とも、自分が嫌いなのかも、しれない…」

 「…どうして、そう思うんですか?…」

 「…お互いに鏡を見ているように、似ていれば、まるで、自分を見ているような、気分になる…いいところも、悪いところもすべて、見ている気分になる…」

 「…」

 「…そして、誰もが、相手の美点ではなく、欠点に目がゆくものだ…」

 「…」

 「…そして、いつも、自分の欠点を見せられれば、誰もが、閉口する…そういうことだ…」

 透(とおる)が、断言した…

 私は、それを、聞いて、一理あると、思った…

 誰もが、鏡のように、自分に似た人間が、目の前に現れれば、気になる…

 まして、その人間の行動形態や、思考形態が、自分によく似ていれば、余計に、気になる…

 まるで、自分を見ているようだからだ…

 そして、誰もが、そうなれば、長所では、なく、短所に、目がゆくものだ…

 例えば、私なら、私と、同じ顔ならば、美人うんぬんよりも、それ以外のことが、気になる…

 ずばり、性格や能力が、気になる…

 そういうことだ…

 私は、思った…

 そして、今、この透(とおる)から、米倉正造のことを、聞いた…

 そして、透(とおる)から、透(とおる)の両親である、平造と、春子のことを、聞いた…

 だったら、一体、透(とおる)自身は、どう思っているんだろ?

 自分と、好子さんの結婚を、どう思っているんだろ?

 ずばり、知りたくなった…

 だから、

 「…透(とおる)さん、ひとつ、聞いていいですか?…」

 と、聞いた…

 「…なに、高見さん?…」

 「…透(とおる)さんは、好子さんとの結婚を、どう思っていたんですか?…」

 「…どういう意味?…」

 「…ホントは、結婚を続けたかった? それとも、別れて、正解だった?…」

 私が、聞くと、透(とおる)が、驚いた様子だった…

 ビックリした顔になった…

 それから、

 「…随分、直球だな…」

 と、笑った…

 そして、

 「…最初は、落ち込んだよ…」

 と、笑った…

 「…落ち込んだ?…」

 「…だって、そうだろ? ボクは、子供の頃から、好子が、好きだった…その言葉に、ウソはない…」

 「…でも、以前、私に、あんな女だとは、思わなかったって、電話で、言ったじゃないですか?…」

 私が、指摘すると、目の前の透(とおる)が、苦笑した…

 「…たしかに、言ったかも、しれない…」

 「…でしょ?…」

 「…たしかに、好子と、結婚して、驚くことは、いっぱいあった…なまじ、子供の頃から、知っているから、好子のことを、結構わかっていると、思っていたが、知らない部分が、いっぱいあった…」

 透(とおる)が、激白する…

 すると、透(とおる)の隣で、それまで、黙って、私と透(とおる)の話を聞いていた秋穂が、

 「…それが、結婚するってこと…いっしょに、住むってことじゃない?…」

 と、口を挟んだ…

 透(とおる)は、びっくりして、秋穂を、見たが、すぐに、

 「…その通り…その通りだ…」

 と、言って、苦笑した…

 「…好子のことが、わかっているつもりだったが、全然わかってなかった…いっしょに住んで、初めて、わかったことが、多かった…」

 「…例えば、どんな?…」

 秋穂が、面白そうに、聞く…

 「…ボクは、彼女は、純粋なお嬢様だと、思っていた…」

 「…純粋なお嬢様?…」

 「…要するに、極言すれば、お人形…キレイで、カワイイが、先行する…でも、そうじゃなかった…」

 「…どういうこと?…」

 と、秋穂…

 「…こういうことさ…」

 と、言って、いきなり、透(とおる)は、秋穂の腕を掴んだ…

 私は、仰天した…

               
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