第51話

文字数 3,666文字

 私は、落ち込んだ…

 惨めなまでに、落ち込んだ…

 すると、それが、私の表情に出たのだろう…

 寿さんが、

 「…高見さん…どうしました?…」

 と、聞いてきた…

 そして、その寿さんの言葉で、諏訪野伸明も、驚いて、私を見た…

 「…どうしたんです?…」

 と、言ってきた…

 私は、

 「…別に…」

 と、曖昧に言葉を濁したが、やはり、それでは、二人は、納得しなかったというか…

 今日会ったばかりなので、突っ込むことはなかったが、明らかに、不満そうだった…

 だから、

 「…お二人を見ていると、羨ましくて…」

 と、本音を言った…

 「…羨ましい? …どうして、ですか?…」

 と、諏訪野さんが、聞いた…

 「…だって、お二人とも、ルックスが、良くて、お金持ち…私とは、違うって…」

 私が、言うと、二人とも、黙った…

 黙って、お互いに、顔を見合わせた…

 そして、寿さんが、口を開いた…

 「…私は、お金持ちでは、ありません…」

 ゆっくりとだが、キツイ口調というか…

 言葉に、寿さんの意思の強さが、見て取れた…

 「…私は、庶民…庶民です…」

 「…庶民?…」

 「…ハイ…高見さんと同じ庶民です…」

 「…ウソ?…」

 「…ウソでは、ありません…」

 寿さんが、堂々と言った…

 「…私は、最近まで、他社で、秘書をしていました…ですが、事情があって、今は、諏訪野さん…いえ、五井家に世話になっています…」

 「…」

 「…ですが、生まれは、庶民です…それに、たぶん…」

 寿さんが、言い淀んだ…

 言っていいか、どうか、迷っている感じだった…

 だから、待った…

 黙って、寿さんが、なにを、言うのか、待った…

 寿さんは、それから、少しして、

 「…たぶん…高見さんの方が、よい生活をしていたと、思います…」

 と、言った…

 実に、意外な言葉だった…

 だから、私も、

 「…いい生活ですか?…」

 と、思わず、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 「…ハイ…高見さんは、普通の生活をしているでしょ?…」

 「…それは…」

 「…私は、普通の生活をしていませんでした…明らかに、普通以下の生活をしていました…」

 「…エッ? …普通、以下の生活?…」

 私は、言った…

 と、同時に、それ以上は、聞けなかった…

 まさか、出会ったばかりの人間に、それ以上は、聞けなかった…

 ただ、それでか?

 とも、思った…

 この寿さんは、見るからに、堂々としている…

 それは、苦労をしているから…

 過去の苦労が、この寿さんの堂々とした態度を作っているのでは?

 と、思った…

 あるいは、ただ、この寿さんが、堂々としているから、そう思えたのかも、しれない…

 私は、そう思った…

 とかく、ひとは、苦労をしているから、その苦労のおかげで、こうなったと、現在の姿を見るものだ…

 とりわけ、この寿さんのように、堂々としていると、

 …過去に、そんなに苦労をしたから、その経験が、そんな態度に結びついたんだ…

 と、考えがちというか…

 が、

 当たり前だが、苦労をすれば、それが、態度に出るとは、限らない…

 苦労をすれば、寿さんのように、堂々とするとは、限らない…

 むしろ、それは、個性と言うか…キャラ…

 ただ単に、この寿綾乃と言う女性が、堂々としているだけ…

 それだけだ…

 ただ、もしかしたら、その苦労が、さらに、この寿さんの堂々とした態度に、磨きをかけたというか…

 苦労をすることで、態度にも、さらに、重厚感が、増したとか…

 そういうことかも、しれない…

 もっと、本質的なことを、言えば、苦労をしても、それが、態度に出るかは、微妙…

 人それぞれと、いうのが、正しいのではないか?

 私は、思った…

 そして、そんなことを、考えていると、寿さんが、

 「…私は、高見さんが、羨ましい…」

 と、いきなり、言った…

 「…エッ? …羨ましい?…」

 寿さんが、私を羨ましいって?…

 ウソ!

 本格的な美人の寿さんが、私を羨ましいなんて?

 私は、唖然として、寿さんを見た…

 すると、寿さんは、
 
 「…ひとの好みは、ひとそれぞれ…」

 と、呟いた…

 それから、

 「…男のひとの好みも、ひとそれぞれ…」

 と、言って、

 「…そうでしょ? …伸明さん…」

 と、諏訪野伸明に振った…

 すると、当たり前だが、伸明は、困った…

 「…それは、寿さんの言う通りだけれども…」

 と、言い訳した…

 「…でも…」

 「…でも、なに?…」

 と、寿さん…

 「…叔母様がいなくなったのに、寿さんが、叔母様になっちゃ、困る…」

 と、苦笑した…

 これには、私も、笑った…

 たしかに、言い得て妙というか…

 その通りだった…

 あの女傑の諏訪野和子が、去ったにもかかわらず、同じタイプの女傑が、実は、部屋に残っていた…

 そういうことだ…

 そして、それを聞いた寿さんと言えば、明らかに、ご危険斜めだった…

 明らかに、気分を害していた…

 そして、それを見て、すぐに、諏訪野さんは、自分が、言い過ぎたことに、気付いた…

 自分の過ちに、気付いた…

 「…スイマセン…寿さん…言い過ぎた…」

 と、諏訪野さんが、詫びた…

 「…いえ、いいんです…伸明さんの本心が、わかりましたから…」

 「…ボクの本心?…」

 「…私を、和子叔母様の代わりと、思っているんでしょ?…」

 「…そんなことは…」

 「…いえ、そんなことは、あります…」

 寿さんが、断言した…

 「…私を鬼かなにかのように、思っているんでしょ?…」

 「…そんなことは…」

 諏訪野伸明が、否定する…

 が、

 その否定の仕方が、寿さんには、不満だったようだ…

 「…伸明さん…」

 と、寿さんが、強い口調で、言った…

 「…ハイ…」

 「…そんなことはじゃ、ありません…」

 「…ハイ…」

 「…どうして、そんなことは、ないと、ハッキリ言えないんですか?…」

 「…」

 「…どうして、寿さんは鬼じゃないと、ハッキリ言えないんですか?…」

 寿さんが、強い口調で、迫った…

 すると、諏訪野さんは、タジタジというか…

 寿さんの迫力に、なにも、言えなくなった…

 私は、それを、見て、

 …痴話喧嘩…

 まさに、痴話喧嘩だと、思った…

 すると、つい、

 「…プッ!…」

 と、吹き出して、しまった…

 私は、しまったと、思った…

 が、

 後の祭り…

 二人とも、痴話喧嘩を止めて、私を見た…

 私は、焦った…

 文字通り、焦った…

 だから、慌てて、

 「…いえ、お二人を見ていると、ホントに、仲がいいと、思って…」

 と、言い訳した…

 が、

 それが、いけなかった…

 かえって、その言葉に、二人が、敏感に反応した…

 すぐに、諏訪野伸明さんが、

 「…いや…この寿さんが、今、五井家の秘書をしているのは、臨時というか…」

 歯切れの悪い口調で、告白した…

 そして、それを受けて、寿さんも、

 「…さっき、高見さんに、言ったと思いますが、私は、以前、他社で、社長秘書をしていました…」

 と、続けた…

 「…ですが、色々あって、今は、この諏訪野さんに…いえ…五井家に、お世話になっています…」

 「…エッ?…」

 「…だから、これは、あくまで、臨時と言うか…」

 寿さんが、繰り返す…

 だから、私は、慌てて、諏訪野さんを見た…

 もう一方の当時者である、諏訪野さんを見た…

 すると、諏訪野さんも、また、

 「…寿さんの言う通り…」

 と、寿さんの発言を認めた…

 「…この寿さんは、今、ボクの秘書をしてもらっているけれども、これは、あくまで、臨時です…」

 と、言った…

 が、

 それ以上は、言わなかった…

 私は、当然、

 …どうして、臨時なんですか?…

 と、聞きたかったが、聞けなかった…

 なにしろ、今、会ったばかり…

 今日、会ったばかりの二人だ…

 いかに、聞きたくとも、聞けるわけがなかった…

 が、

 この二人は、誰が見ても、恋人同士…

 あるいは、

 誰が見ても、夫婦だった…

 それが、寿さんが、臨時の秘書に過ぎないとは?

 なにか、理由があるのだろうか?

 いや、

 あるに違いない…

 ただ、その理由が、なんであるか?

 当然、聞くことは、できなかった…

 そして、私が、今、指摘した事実は、二人の間に、水を差したというか…

 途端に、二人が、気まずくなり、会話が戸後れた…

 気まずい空気があたりに、充満したというか…

 途端に、空気が、重くなった…

 私は、あらためて、しまったと、思った…

 自分の不用意な発言で、この場の空気を乱したことに、責任を感じたのだ…

 そして、そう思う一方、

 …だったら、一体、この二人は、どういう関係なんだろ?…

 と、興味津々だった…

 夫婦も、恋人も、否定し、ただの臨時の秘書に過ぎないという…

 その言葉を額面通りに、受け取っていいものだろうか?

 悩んだ…

 ホントに、男女の関係は、ないのか、悩んだ…

 が、

 その一方で、そんなことは、余計なお世話というか…

 私ごときが、口を挟む問題ではないと、気付いた…

 二人が、どういう関係であれ、私には、なんの関係もない…

 ハッキリ言えば、下衆の勘繰りに過ぎないと思った…

               
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