第41話

文字数 4,516文字

 私が、そんなことを、考えていると、

 「…どうしました?…」

 と、正造が、聞いた…

 「…いえ、なんでも…」

 私は、言った…

 まさか、自分の美人力が、衰えたなどと、口が裂けても、言えなかった…

 言えば、一体、どんなに調子に乗っている女だと、思われかねないからだ…

 だから、なにも、言わなかった…

 が、

 正造は、私の落ち込みの理由に気付いたらしい…

 「…自分と、同じタイプの美人は、困りものです…」

 正造が、したり顔で言う…

 意味深に、ニヤニヤと、したり顔で言う…

 オマエが、どうして、落ち込んでいるのか、お見通しだという顔だった…

 「…まして、相手が、自分より、若いと…」

 正造が、ダメ出しをした…

 見事なまでに、私の心を読んで、ダメ出しした…

 完敗だった…

 まさに、私の完敗だった…

 私は、つい、頭に来て、

 「…正造さん…」

 と、強い口調で、言った…

 「…ハイ…なんですか?…」

 「…女に、恥をかかすものじゃ、ありませんよ…」

 「…恥? …一体、なにが、恥なんですか?…」

 「…私と、あの秋穂という娘と比べることです…」

 私は、強い口調で、言った…

 もう少しで、怒鳴る寸前だった…

 「…高見さんと秋穂を比べる…それが、どうして、恥なんですか?…」

 「…そこまで、言わせないで、下さい!…」

 私は、怒鳴った…

 堪忍袋の緒が切れた瞬間だった…

 が、

 私の怒りを、ぶつけた正造は、シレっとした顔だった…

 一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに、楽しそうに、ニヤリと笑った…

 私は、それを、見て、さらに、頭に来た…

 頭に血が上った…

 だから、私は、さらに、なにか、言おうとしたが、その前に、正造が、

 「…そんな高見さんを、初めて見ました…」

 と、笑った…

 「…そんなに、我を忘れて、怒った高見さんを、初めて、見ました…」

 と、続けた…

 そして、

 「…そんなに、あの秋穂が、怖いですか?…」

 と、言った…

 私は、頭に来た…

 …どうして、私が、あの秋穂が、怖いのか?…

 意味が、わからなかった…

 だから、

 「…なんで、私が、あの秋穂さんが、怖いんですか?…」

 と、聞いた…

 半分、逆キレしながら、聞いた…

 半分…

 いや、

 半分以上に、怒鳴りながら、聞いた…

 自分でも、自分が、抑えられなかった…

 一体、私のどこが、あの秋穂を恐れているというのか?

 我慢がならなかった…

 我慢ができなかった…

 近くの席に座った、他の客が、驚いて、私と正造を見ていたが、もはや、どうでも、よかった…

 他人の視線など、どうでも、よかった…

 自分の質問の方が、大事だった…

 自分でも、滑稽だが、もはや、自分で、自分を抑えられなかった…

 それほど、頭に血が上っていた…

 すると、正造が、笑いながら、

 「…秋穂は、若い…高見さんに、似た感じで、十歳は、若い…」

 と、言った…

 「…だから、高見さんは、勝てない…」

 あっさりと、私の心の内を、語った…

 「…だから、柄にもなく、高見さんは、怒った…自分と同じタイプの美人で、秋穂が、若いから、怒った…」

 「…」

 「…違いますか?…」

 正造が、ゆっくりと言う…

 そして、そう言われると、

 「…」

 と、なにも、言えなかった…

 私の心の内を喝破された…

 私の心の内側を見抜かれた…

 まさに、その通りだった

 その通りだったのだ…

 「…高見さんは、美人…小柄ですが、美人です…」

 正造が、言う…

 「…ですが、秋穂も美人…美人です…」

 正造が、続ける…

 「…しかも、同じタイプの美人…さらに、十歳も、若い…だから、高見さんが、焦るのも、わかる…」

 「…」

 「…ひとは、なにを言われれば、怒るのかで、その人間の弱点がわかるといいます…」

 「…」

 「…実に、いい言葉です…」

 正造が、笑った…

 私は、言葉もなかった…

 私の完敗だった…

 私の負け…

 ボクシングで言えば、完全にノックアウトされた気分だった…

 「…でも…」

 と、正造が、続けた…

 「…でも…」

 思わず、呟いた…

 正造の言葉を反芻した…

 「…負けないで下さい…」

 「…負けないで?…」

 どういう意味だろ?

 一体、なにに、負けないというのか?

 まさか、秋穂さんと、争って、あの水野透(とおる)を、好子さんから、奪えとでも、言うつもりなのか?

 私は、疑問だった…

 だから、

 「…負けない? …なにに、負けないんですか?…」

 と、聞いた…

 「…無論、秋穂にです…」

 「…秋穂さんに?…」

 「…そうです…」

 「…それって、もしかして、秋穂さんと争って、好子さんから、透(とおる)さんを、奪えってこと?…」

 「…そうは、言ってません…」

 「…エッ? …言ってない?…」

 「…ただ、秋穂の高慢ちきな鼻っぱしをへし折って、やりたいだけです…」

 憤懣やるかたない表情で、正造が、語った…

 私は、それを見て、正造が、散々、秋穂に、貢がされたと言った言葉を思い出した…

 もし、あれが、本当ならば、正造は、あの秋穂に利用されたことになる…

 そして、いざ、モノにしようとした、その瞬間に、

 「…実は、私は、アナタの姉の澄子の娘です…」

 とでも、告白されて、なにもできなかった可能性がある…

 まさか、血の繋がった実の姪と、ベッドインすることは、できないからだ(爆笑)…

 散々、あの秋穂に貢がされて、そのような結果を招いた可能性もある…

 それに気付くと、急速に私の怒りも、治まったというか…

 なんだか、笑えてきた…

 すると、冷静になった…

 途端に冷静になって、自分と、正造の今の立ち位置を考えた…

 姪に翻弄された叔父と、その姪の、十年後の姿の私というやつだ…

 いわば、さっき会ったばかりだが、あの秋穂という娘が、中心になっている…

 あの秋穂を、中心にして、話が、進んでいる…

 話が、展開している…

 まさに、秋穂、恐るべし…

 恐るべしだった…

 
 結局、その日は、その後、たわいもない話をして、正造と、別れた…

 きっと、傍から見れば、知人が、久しぶりに再会した感じだったと、思う…

 久しぶりに再会した旧友が、各々の、近況を、報告する…

 そんな感じだったと、思う…

 残りの会話は、実に、たわいもないものだった…

 なにしろ、旧友といっても、半年ちょっと前に知り合ったばかり…

 だから、本当は、旧友でも、なんでもない(笑)…

 旧友というのは、学生時代の友人のことを、指すものだ…

 中学や高校、大学時代の友人を指すものだ…

 だから、厳密には、違う…

 旧友でも、なんでもない…

 が、

 この米倉正造と、知り合った、わずか、半年ちょっと前の出来事は、正直に、言って、私の人生を、転換させるものだった…

 おおげさでなく、私の人生で、初めての経験をした…

 それが、お金持ちと知り合うことだった…

 私は、お金持ちでも、なんでもない…

 平民…

 庶民だった…

 だから、私の周囲には、お金持ちは、ひとりも、いなかった…

 それが、初めて、この米倉正造と知り合った…

 米倉の家に招かれた…

 そして、初めて、本物のお金持ちというものを、知った…

 本物のお金持ちという人種を知った…

 そして、それは、衝撃だった…

 文字通りの衝撃だった…

 33歳になるまで、私は、本物のお金持ちという人種と接したことが、なかったからだ…

 かつて、作家のヘミングウェイが、旧友の作家のスコット・フィッツジェラルドを、

 「…アイツは、金持ちに対して、ロマンティックな畏怖を抱いていた…しかし、実際に、金持ちに接して、そうでないことが、わかると、アイツは、ひどく落ち込んだ…アイツが、ダメになった理由は、色々あるが、これも、そのひとつ…」

 と、辛辣に、批評した…

 キリマンジャロの雪というヘミングウェイ自身の分身を主人公にした、小説で、哀れなフィッツジェラルドと、実名で、あげつらった…

が、

すぐにフィッツジェラルド自身から、猛抗議を受けて、哀れなジュリアンと、改名した…

 フィッツジェラルドが、

 「…ボクは、金持ちに対して、ロマンティックな畏怖を抱いたことなど、一度もない…」

 と、ヘミングウェイに猛抗議をしたからだ…

 私は、フィッツジェラルドと違い、金持ちに対して、ロマンティックな畏怖を感じたことなど、一度もないが、それでも、初めて、本物の金持ちに接して、興奮した…

 これまで、そんな人間たちと、接することなど、考えたこともなかったからだ…

 夢にも、考えたことが、なかったからだ…

 だから、この金持ちの米倉正造に憧れた…

 金持ちの米倉正造にドキドキした…

 が、

 それも、じきに、なくなったというか…

 何度も、接しているうちに、この金持ちの米倉正造も、私と同じ人間だと、あらためて、気付いたからだ(笑)…

 だから、ひょっとして、この米倉正造に、恋をしたと思っていたのも、この正造が、金持ちだからだったからかもしれない…

 金持ちだから、この正造も、なにか、特別な存在だと、無意識に、私も、思ったのかもしれない…

 が、

 この正造と接しているうちに、

 違うと、気付いた…

 そうでないと、気付いた…

 私と同じ平凡な人間に過ぎないと、気付いた…

 だから、ひょっとすると、私も、フィッツジェラルドと、同じ…

 金持ちにロマンティックな畏怖を抱いていたフィッツジェラルドと、同じかもしれないと、思った…

 自分では、気付いていなかったが、この正造が、金持ちゆえに、憧れていた…

 金持ちゆえに、ロマンティックな畏怖を抱いていた…

 が、

 正造と、接するうちに、それが、私が、勝手に、妄想していることに、過ぎないと、気付いた…

 だから、正造に抱いていた恋心が消えた…

 そういうことかも、しれない…

 そう、気付いた…

 そして、それは、他人だから、わかること…

 さっきのフィッツジェラルドを、例に挙げれば、フィッツジェラルド自身は、否定するが、ヘミングウェイには、フィッツジェラルドは、金持ちにロマンティックな畏怖を抱いているように、見えたのだろう…

 そういうことだ…

 フィッツジェラルド自身が、自分を、どう思っているのかは、関係がない…

 ヘミングウェイからすれば、そう見えただけだ…

 そして、それを、私に当てはめれば…

 高見ちづるに、当てはめれば、どうだろうか?

 やはりというか…

 金持ち狙い…

 目の前の米倉正造を狙っていると、思うだろうか?

 それとも?…

 そうは、見えないのだろうか?

 そして、また、それを、この米倉正造は、どう思っているのだろうか?

 金持ちの自分を、狙っている、あざとい女?

 計算高い女?

 それとも?

 それとも、なにも、思っていないか?

 謎だった…

 考えれば、考えるほど、答えが、出ない謎だった…

 これもまた、さっきのフィッツジェラルドと、同じ…

 自分が、なにを思おうと、他人が、自分をどう思っているのかは、まるで、関係がないからだ…

 だから、これ以上、考えるのは、やめた…

 時間の無駄だからだ…

 私は、黙って、目の前のイケメンの米倉正造の顔を見た…

 そして、いつの日か、自分も、こんなイケメンで、お金持ちの男と結婚する日がくれば?

 と、夢想した(笑)…

               
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