第66話

文字数 4,217文字

 電話が切れた…

 私は、その電話を見つめながら、なんだか、気落ちしたというか…

 実に、呆気ないと、思った…

 つい、この間まで、

 「…どうして、私が、休職しなくちゃ、いけないんだ…」

 と、憤慨したのが、ウソのようだ…

 あの松嶋から、退職を強要され、必死になって、抵抗した…

 その結果、休職に、落ち着いた…

 が、

 内心は、その措置に不満だった…

 不満たらたらだった…

 それが、真実だった…

 それが、一転、復職とは?

 なんだか、誰かに弄ばれているような…

 しいて言えば、神様に弄ばれているような…

 そんな感覚があった…

 同時に、人間というものは、実に、不思議というか…

 自分勝手なものだな…

 と、実感した…

 私は、もうすぐ34歳になる…

 お世辞にも、若くはない…

 会社で、言えば、中堅…

 そして、この年齢で、バリバリと、活躍している女は、私の会社では、いない…

 もちろん、働いている女性は、いる…

 が、

 普通に、大学を出て、上を目指すような女は、いないというのが、正しいというか…

 なにが、言いたいかと、言えば、私の勤務する会社では、まだまだ男中心の昔ながらの会社で、女で、出世を目指す者は、皆無…

 少なくとも、私の周辺では、見たことが、なかった…

 女は、昔の会社さながらに、ある年齢に達すると、自然に辞めていったというか…

 どうにも、会社に居づらい雰囲気があった…

 だから、この私も、そろそろ、お役御免というか…

 退職する年齢だと、思っていた…

 それが、あの松嶋に、実際に、退職を強要されたら、必死になって、抵抗した…

 自分でも、自分の行動に、驚いた…

 まさか、自分が、あんなに抵抗するとは、思わなかった…

 あの松嶋に、退職を強要されたとき、

 …ついに、来るべきものが、来た…

 という思いと、

 …どうして、私が、辞めなきゃ、いけないのか?…

 という、ある種の怒りというか…

 納得のできない自分がいた…

 これは、自分でも、驚きだった…

 もうすぐ、34歳にもなる女だ…

 私の勤務する金崎実業では、その程度の年齢になると、退職するのが、慣例と言うか…

 なんとなく、そういう雰囲気があった…

 だから、松嶋に、退職を強要されても、驚かなかった…

 が、

 その退職に対して、必死になって、抵抗する自分に、驚いた…

 なぜ?

 どうして、自分は、こんなにも、抵抗するのだろう?

 自分でも、自分の行動が、謎だった…

 正直、わけのわからない行動だった…

 そして、あらためて、自分の行動を振り返ってみると、それは、私の根底に、

 …自分は、美人だから、特別…

 という優越感というか…

 選民意識があることに、気付いた…

 ハッキリ言えば、私は、美人だから、退職勧奨されるわけがないと、どこかで、高をくくっている自分が、いたわけだ…

 ちょうど、それは、会社で、言えば、自他ともに、出世コースに乗っていた男と、似ている…

 自分の勤務する会社で、いかに、リストラの嵐が、吹き荒れようと、自分は、例外だと、考える…

 自分は、安全圏にいると、高をくくっている…

 それが、人事から、呼び出しを受け、自分も、リストラ対象に、入っていると、聞かされ、気が動転する…

 それと、似ている…

 要するに、自分は、特別…

 なにがあっても、関係がないと、高をくくっているわけだ…

 自分でも、自分の感情は、冷静に、分析できたが、とりわけ、その感情も、あの寿さんに、出会ってから、一層、よくわかったというか…

 自分程度の美人で、なんと傲慢な…

 と、考えざるを得なかった…

 上には、上がある…

 当たり前のことに、気付いた…

 すると、どうだ?

 一転して、謙虚になった…

 自分でも、自分の感情に、驚きだった…

 あの寿綾乃という美人を見て、自分の立ち位置がわかったというか…

 私程度の美人が、調子に乗って、どうするんだ?

 と、気付いた…

 だから、おおげさに、言えば、恩人というか…

 おそらく、向こうは、なにも、していないのに、勝手に私が、感謝している…

 そんな意味不明な状態だった(爆笑)…

 
 数日後、あらためて、人事部の田上から、連絡があった…

 復職に関する、手続きの話だった…

 これまで、勤務していた営業所に、本社から、書類を送るから、それに、サインして、社内便で、本社に送れば、いいと、いう回答だった…

 私は、それを、聞いて、

 「…ありがとうございます…」

 と、心の底から、言った…

 なにしろ、本社は、遠すぎる…

 行くのも、億劫だった…

 それに、同じ会社とはいえ、知っている人間も、皆無…

 誰も、いない…

 そんな場所に行くのは、誰しも、嫌なはずだ…

 「…ただし…」

 と、田上は、私に言った…

 それまでとは、一転して、厳しい口調だった…

 そして、間を置いた…

 「…ただし、なんでしょうか?…」

 「…言うまでも、ないことですが、高見さんの復職に、ついて、内山社長が、手を貸したことは、内密に願います…」

 「…内密に? …ですか?…」

 「…あえて、注意をするのも、なんですが、内山社長も、男です…女子社員の復職に、力を貸したとあっては、根も葉もない噂話でも、社内に流れては、困る…」

 …そういうことか?…

 …言われてみれば、当たり前だった…

 父子ほど、歳が、違っても、男と女だ…

 周囲が、どんな目で、見るか、わからない…

 下手をすれば、内山社長の去就に関わるかも、しれない…

 火のない所に煙は立たぬではないが、本当は、私の復職に手を貸すのも、嫌だったに違いない…

 が、

 誰かに、頼まれたから、仕方なく、動いた…

 それが、事実だろう…

 その誰かは、まだ、誰だかは、わからない…

 「…わかりました…お約束します…」

 「…そうですか…わかってくれたら、それで、結構です…」

 そう言って、電話が切れた…

 まさに、青天のへきれきというか…

 突然、運命の歯車が、動き出した気がした…


 翌週の月曜日から、私は、出社した…

 私は、いささか、緊張した…

 いや、

 それまでは、たいして緊張など、していなかった…

 それまで、いつも、勤務していた営業所に、顔を出して、

 「…おはようございます…」

 と、言ったときに、営業所の面々の対応が、違ったから、緊張したというか…

 ハッキリ言えば、そこにいた営業所の面々が、

 …なんだ? …コイツ?…

 と、言った感じで、私を見た…

 下手をすれば、幽霊か、なにかを、見る感じだった…

 …コイツ、まだ、いたんだ?…

 とでも、言えば、いいのだろうか?

 要するに、いないはずの、人間がいた…

 そんな驚きの対応だった…

 あるいは、

 …コイツ、本当に、復職したんだ?…

 とでも、言えば、いいのだろうか?

 とにかく、私を見て、驚いたのが、ありありだった…

 だから、緊張した…

 それまでは、たかだか、一か月か、そこら前まで、勤務していた、営業所に帰ってきたつもりだった…

 だから、緊張など、まるで、しなかった…

 が、

 今の対応で、緊張のスイッチが入ったというか…

 明らかに、周囲の対応が、以前と違うことに、気付いた…

 私は、営業所の所長の原田の席の前に、行き、

 「…色々、ご迷惑をおかけしました…本日より、復職します…」

 と、丁寧に、腰を折って、挨拶した…

 が、

 原田は、ウンともスンとも、言わなかった…

 明らかに、私を無視した…

 明らかに、私を煙たがった…

 これは、驚きだった…

 だから、

 「…今日から、この営業所に、復職することは、本社の人事部の田上部長から、聞いているはずですが…」

 と、言った…

 嫌みだった…

 まさか、本社の人事部からの通達を聞いていないはずは、ないからだ…

 原田は、それを、聞いて、

 「…ウン…聞いている…」

 と、だけ、答えた…

 ハッキリ、言えば、面倒臭そう…

 返事も、したくない感じだった…

 私は、頭に来た…

 一体、私が、なにをしたと、いうんだ?…

 休職を撤回して、会社に復職しただけじゃないか?

 私は、これ以上、原田の前にいるのは、嫌だったので、いつもの、自分の席に、戻ろうと、思った…

 原田に、

 「…失礼します…」

 と、頭を下げて、自分の席に行こうとした…

 が、

 一月前まで、いた、自分の席の前に行って、愕然とした…

 まるで、物置というか…

 私の机の上には、色々な、資料というか、様々な荷物が置いてあった…

 「…これは?…」

 唖然として、叫んだ…

 すると、その声を聞いた原田が、

 「…ゴメン…整理するのを、忘れていた…まさか、戻って来るとは、思わなかったから…」

 と、ニヤニヤと、意地の悪い笑いを浮かべなら、言った…

 私は、唖然とした…

 私は、呆然とした…

 …どうして、私が、こんな目に遭わなきゃ、いけないのか?…

 驚きだった…

 …一体、私が、なにをしたというんだ?…

 …一か月、休職して、復職しただけじゃないか?…

 思わず、そう、叫びたかった…

 それほど、頭に来た…

 が、

 まさか、そんなことを、口にすることは、できない…

 小学生や中学生のお子様ではないのだ…

 私は、頭に来たが、それを、態度に出すことなく、自分の席に座った…

 まるで、おおげさに言えば、荷物置き場と化した、自分の席に座った…

 憤懣やるかたなかった…

 なんで、自分が、こんな目に遭わなくちゃ、ならないんだ?…

 内心、むかついた私は、それでも、気になって、周囲を見た…

 隣の席は、内山さん…

 あの内山社長の娘だった…

 私を復職してくれた、内山社長の娘だった…

 だから、

 「…お久しぶり…また、今日から、よろしくね…」

 と、挨拶した…

 が、

 内山さんからの挨拶は、なかった…

 むしろ、怯えていたというか…

 相手にしたくない感じだった…

 私と、関わりたくない感じが、ありありだった…

 隣の席の内山さんの顔が、明らかに、緊張していた…

 私は、驚いた…

 どうして、内山さんまで、そんな表情をするのか、わからなかった…

 内山さんと、いえば、私が、休職する一か月前まで、ただひとり、この営業所で、仲良くしていた同僚だった…

 それが、一体、なぜ?

 それが、一体、どうして?

 こんな態度を私に取るのか?

 疑問だった…

 正直、わけが、わからなかった…

 なんで、私が、こんな目にあわなきゃ、いけないのか?

 私の頭の中をさまざまな思いが、よぎった…

 まるで、嫌がらせ…

 まがうことなき、大人のイジメだった…

               
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