それぞれの想い
文字数 5,375文字
教会の一室にベネットは居た。彼女は、天蓋の着いたベッドに寝かされており、その横にアークの姿が在る。椅子に座るアークの顔は曇っており、ベネットの体調を心配していることが窺えた。
「すみません、お役に立てなくて。せめて、負担を軽くすることが出来れば良かったのですが」
アークは目を細め、頭を下げる。しかし、ベネットの意識が無いのか、それに反応することは無かった。
「私が旅に同行していれば、ここまで貴女を追い詰めることは無かったのでしょうか……いえ、これは自惚れですよね」
そこまで伝えると、アークは自虐的な笑みを浮かべる。この時、ベネットの瞼は微かに動き、それを見たアークは尚も話を続けていった。
「話し掛けているのがダームだったら、私より効果があるのかも知れません。私には、傍で貴女を守ることも、心に届く科白を言うことも出来ない。貴女が心を許し、共に進む二人が羨ましい」
アークは、そこまで伝えると目を瞑り、静かに息を吐き出した。一方、ベネットは瞼を震えさせながらも目を開き、傍らに座るアークの顔を見上げる。
「自分を卑下するな」
ベネットは、そう言うと目を細め、アークの顔を見つめる。その声は大きくなかったがしっかりしており、アークは安堵の表情を浮かべた。
「私は、アークを信頼している。ヘイデルは私の帰る場所でもあり、アークはそのヘイデルを守っている」
ベネットは、そこまで話したところで目を瞑り、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。アークは両手に力を込め、息を呑んだ。
「アークが街を守っている。その安堵があるからこそ、私は生きていようと思える。生きて戻って来ようと思える」
そう伝えるとベネットは目を開き、左手をアークに向けて伸ばした。彼女が伸ばした手は小さく、上手く力が入らないのか震えている。弱々しく伸ばされた手を見たアークは、両手でベネットの手を包み込んだ。そして、彼は頭を下げて自分の手の位置まで下ろすと、涙を堪えながら口を開く。
「ありがとうございます」
それだけ言うと、アークは顔を上げ、自らの手を見下ろした。そして、彼は右手でベネットの左手首を優しく包むと、跪いて呼吸を整える。
「その御言葉に、新たなる忠誠を」
アークは、そう伝えるとベネットの手の甲へ口付けをした。その後、彼はベネットの手首を掴んだまま唇を離し、立ち上がろうと両足に力を込める。
「アークさ」
「止めとけって」
その時、アークの背後から二人の声が聞こえた。声は、少年と青年のもので、元々部屋に居た二人は声のした方へ顔を向ける。すると、背後からダームの口を押さえるザウバーの姿が在り、それを見たアークは目を丸くした。
「御二人共……一体、何時からこちらに?」
アークは、そう言うと咳払いをし、ザウバーの目を見つめて微笑する。対するザウバーは少年の口から手を離し、苦笑しながら口を開いた。
「ベネットの魔力を頼りに転移したんだが……邪魔したな」
ザウバーは、そう言うや否や呪文を唱え始めた。しかし、その効果が発動するよりも前に、アークが青年の名を呼んで制止する。
「誰も、出て行けとは言っていませんよ」
アークは、そう言うと溜め息を吐き、ゆっくり首を横に振る。そして、彼は少年の目を見つめると、微笑みながら口を開いた。
「私は、御二人の入室許可手続きをしてきます。それまでは、静かにこちらで待っていて下さい」
そこまで話すと、アークはベネットの手を布団の中へ戻し、部屋の出入り口に向かって行った。そして、彼はドアを開けたところで振り返り、胸に手を当て、深々と頭を下げる。
「それでは、ごゆっくり」
そう言ってアークはドアを閉め、部屋から離れていった。一方、部屋に残った者達は顔を見合わせ、無言のまま互いの出方を窺う。
「ベネットさん、大丈夫?」
ダームは、そう言うとベネットの方へ向かって行った。少年に問われたベネットは微笑み、蒼い瞳を見つめた。
「ああ。命に別条は無いし、怪我をしている訳でもない。ただ、疲れが出てしまった」
ベネットは、そう言うと両腕に力を入れ、起き上がろうと試みた。しかし、上手く力が入らないのか、彼女は横になったまま少年の目を見つめる。一方、ダームはベッドサイドに置かれた椅子へ腰を下ろし、心配そうにベネットを見下ろした。
「そっか。結構大変だったもんね。怪我も酷かったし」
ダームは、そこまで話したところで目を伏せ、細く息を吐き出す。この時、二人の会話を聞いていたザウバーは、目を細めた。
「別れる前は、そうでも無かっただろ。それに、ベネットがヘイデルに着いてから、二日が経っている」
ザウバーは、そう言うとベッド横に立ち、ベネットの目を真っ直ぐに見つめる。
「なのに、起き上がれない程に消耗している。他に、何か理由が有るんじゃ無いのか?」
ベネットは目を瞑り、細く息を吐き出した。その間、ダームは不安そうに青年の顔を見上げ、そのまま仲間の反応を待っている。
しかし、直ぐにザウバーが発言をすることは無く、ベネットが質問の答えを返すことも無かった。この為、部屋は静寂に包まれ、ザウバーは溜め息を吐く。最後の言葉から数分後、青年はベッドの端に手をつき、間近でベネットの顔を見つめた。
「別に責めている訳じゃねえし、言えない事情があるならそれでいい」
ベネットは目を開き、話し手の顔を見上げる。一方、彼女の目線に気付いたザウバーは、頬を赤らめながら言葉を続けた。
「その……なんだ。原因が分かれば、俺にも役に立てることがあるかも知れねえ」
そこまで伝えたところでザウバーは目線を反らし、息を吐き出す。
「材料さえ揃えば、症状に合った薬も作れるし」
「薬は、ちゃんと専門の者が作っていますよ」
声に気付いたザウバーが振り返ると、疲れた様子のアークが居た。アークは呆れた表情を浮かべており、ザウバーは目を丸くする。
「担当医も付いていますし、心配には及びません。なんなら、担当医に今の状態を説明させますよ?」
簡単な説明を聞いたザウバーは、アークの方に向き直り首を振る。その後、ザウバーは軽く息を吐き出し、アークの目を見つめて口を開いた。
「その説明は要らねえよ。ただ、この街で何かあったんじゃねえかと思っただけだ」
ダームは首を傾げ、アークは冷めた表情で溜め息を吐く。
「呪詛ですよ。それも、大抵の人なら命は無かった程の」
ダームとザウバーは驚声を漏らし、ベネットは目線を彼らの居る反対側へ向けた。アークはゆっくり息を吸い込み、更なる説明を続けていく。
「私も最初は気付かなかったのですが、放っておけば、呪いがベネット様の精神を蝕んでいたと思います」
アークは、そう言うと腕を組み、その状態で右手の人差し指を立てる。
「聞いた話によれば、何者かに操られた方が宿へ来たそうじゃないですか。それについて詳細な報告は届いていませんが、私はそれも呪詛によるものだと推測しています」
ザウバーは息を飲み、ダームは不安そうにベネットの方へ顔を向けた。
「既に、解呪は済んでいます。ですが、もし対応が遅れていたら、その方の様に操られていた可能性も有りました」
アークは、そこまで話すと目を細め、静かに息を吐き出した。この時、少年は不安そうに彼の目を見上げており、それに気付いたアークは優しい笑顔を浮かべる。
「大丈夫ですよ、ダーム。操られる可能性も有りましたが、呪いは確かに解きましたから」
ダームは、未だに不安そうな表情だったが、背中へ触れる手に気付くなり、ベネットの方に向き直った。ベネットは、少年が顔を向けた時に手を引き、微笑みながら口を開く。
「アークの言う通りだ。問題は解決したし、心配は無い」
それを聞いたダームと言えば、ベネットの目を真っ直ぐに見つめた。少年は、表情を変えぬままベネットに顔を近付けると、不機嫌そうに頬を膨らませる。
「心配ない訳が無いよ。だって、僕達が居ない間に色々あって、その原因はヘイデルに来る前にあって」
ダームは、そう言うと目を伏せ、両手を強く握り締めた。
「それに、呪いが解けたって言っても、ベネットさん寝たままだし」
そう言い放つと、ダームは膝を付き、ベッドの端に顔を埋める。ベネットは申し訳無さそうな表情を浮かべ、少年の頭を優しく撫でた。
「私が悪かった。だが、休めば体力は回復するし、旅も再開できる。だから、顔を上げてくれ」
ベネットは、そう言うと少年の頭から手を離した。しかし、少年に頭を上げる様子は無く、ベネットは心配そうな表情を浮かべる。この際、その様子を見ていたアークは、ザウバーの肩を軽く叩いた。ザウバーは彼の方へ顔を向け、無言のまま相手の出方を窺う。
「私達は、退室しましょうか」
アークは、そう言うと部屋のドアを指差した。提案を聞いたザウバーは静かに頷き、二人はダームとベネットを残して退室する。ベネットは彼らの退室に気付くが、声を上げることは無かった。一方、ダームはベッドに顔を埋めたままで、仲間が居なくなったことに気付いていない。
「だって、動けないって、凄く調子が悪いってことでしょ? いつも、ベネットさんは弱気になった僕を励ましてくれるのに」
少年は顔を埋めたまま、手元の布団を強く握った。彼の様子を見たベネットは、何とかして上半身を起こす。そして、彼女はダームの体を抱き起こすと、無言のまま少年の背中を包み込んだ。
「大丈夫、ちゃんと動けた。だから」
「違う」
ベネットの言葉を遮る様に言うと、ダームは勢い良く顔を上げる。
「ベネットさんが苦しんでいた時、僕は何も出来なかった。それが悔しいんだ」
ダームは、手の甲で乱暴に目を擦った。そして、やや赤くなった瞳でベネットの目を見つめると、苦笑しながら口を開く。
「ベネットさんが傷付けられている時も、僕は助けに行けなかった」
ダームは、そう言うと目を伏せ、唇を噛む。その様子を見たベネットは、複雑そうな表情で少年の手を握った。
「気に病むことはない。誰にだって、出来ないことは有る。それを悔やむより、自分に出来ることを一つ一つやっていく方が有益だ」
ダームは顔を上げ、そのまま話の続きを待った。ベネットは大きく息を吸い込み、ゆっくり話を続けていく。
「ダームが傍に居るだけで、皆が明るくなれる。元気を貰える。今だって、上手く動けなかった私が動ける様になった」
ベネットは、そこまで話したところで目を細め、呼吸を整えた。
「それで十分じゃないか。ダームが居なければ上手くいかなかったことも沢山ある」
そう伝えると、ベネットは少年の背中に腕を回した。彼女は、腕に力を込めて少年を抱き寄せると、その耳元へ自らの唇を近付ける。
「だから、元気を出せ。ダームに元気が無いと、私は辛い」
ベネットは、そう言うと少年の背中から手を離した。その後、彼女はベッドの上で体勢を直し、少年の目を真っ直ぐに見つめる。
「ずるいよ……そんなこと言われたら、弱気になれない」
ダームは、そう返すと口先を尖らせた。彼は、そのまま息を吐き出し、気のない様子で天井を見上げる。
「でも……ううん、なんでもない」
少年は、そう言うと首を振り、ベッド横に置かれた椅子へ腰を下ろした。
「そうだ。ベネットさんに会ったら、話したいことがあったんだ」
思い出した様に言葉を発すると、ダームは自らの膝に手を乗せる。一方、彼の台詞を聞いたベネットは首を傾げ、話の続きを待った。
「先ずは、僕が住んでいた所の話をするね」
少年は、そう言うと笑顔を浮かべ、ベネットと別れていた間に起きた出来事を話し始める。ベネットはその話を興味深そうに聞き、それに気付いた少年は身振り手振りを加えながら話を続けた。少年の話は段々と盛り上がっていき、それに連れてベネットの体調も良くなっていく。その後、一通り話し終えたダームは目を瞑り、満足そうに息を吐き出した。彼の様子を見たベネットの表情は自然に綻び、その瞳には何時ものような力が戻っている。
「友達に会えて、元気そうだったなら安心だな」
ベネットは、そう言うと目を細め、少年の顔を優しく見つめる。
「それに、森の中で色々有った様だが、無事に戻って来てくれて良かった」
そう伝えると、ベネットは軽く首を傾けた。対するダームは頬を染め、恥ずかしそうに微笑する。
「でも、まだ気になることが有るんだ」
ダームは、自らの感情を誤魔化す様に話し出した。そして、彼は短剣を取り出し、それを目の高さにまで持ち上げる。
「力が解放されたらしいんだけど……見た目に変化が無いし、ここに来るまで何も起きなかった」
ダームは、そこまで話したところで剣を抜き、その刀身をじっと見つめる。
「光り方が変わった様な気もするけど、当たっている光が違うだけかもだし」
呟く様に話すと、ダームは短剣を鞘に収め、溜め息を吐いた。そんな少年の様子を見たベネットと言えば、難しそうな表情を浮かべる。
「常に持ち歩いているダームが分からないとなると、何かしら理由が有るのかも知れないな」
ベネットは、そう伝えると細く息を吐き出した。その後、彼女はダームの持つ短剣を見やり、それに触れようと手を伸ばす。この為、少年は短剣をベネットへ手渡した。
「すみません、お役に立てなくて。せめて、負担を軽くすることが出来れば良かったのですが」
アークは目を細め、頭を下げる。しかし、ベネットの意識が無いのか、それに反応することは無かった。
「私が旅に同行していれば、ここまで貴女を追い詰めることは無かったのでしょうか……いえ、これは自惚れですよね」
そこまで伝えると、アークは自虐的な笑みを浮かべる。この時、ベネットの瞼は微かに動き、それを見たアークは尚も話を続けていった。
「話し掛けているのがダームだったら、私より効果があるのかも知れません。私には、傍で貴女を守ることも、心に届く科白を言うことも出来ない。貴女が心を許し、共に進む二人が羨ましい」
アークは、そこまで伝えると目を瞑り、静かに息を吐き出した。一方、ベネットは瞼を震えさせながらも目を開き、傍らに座るアークの顔を見上げる。
「自分を卑下するな」
ベネットは、そう言うと目を細め、アークの顔を見つめる。その声は大きくなかったがしっかりしており、アークは安堵の表情を浮かべた。
「私は、アークを信頼している。ヘイデルは私の帰る場所でもあり、アークはそのヘイデルを守っている」
ベネットは、そこまで話したところで目を瞑り、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。アークは両手に力を込め、息を呑んだ。
「アークが街を守っている。その安堵があるからこそ、私は生きていようと思える。生きて戻って来ようと思える」
そう伝えるとベネットは目を開き、左手をアークに向けて伸ばした。彼女が伸ばした手は小さく、上手く力が入らないのか震えている。弱々しく伸ばされた手を見たアークは、両手でベネットの手を包み込んだ。そして、彼は頭を下げて自分の手の位置まで下ろすと、涙を堪えながら口を開く。
「ありがとうございます」
それだけ言うと、アークは顔を上げ、自らの手を見下ろした。そして、彼は右手でベネットの左手首を優しく包むと、跪いて呼吸を整える。
「その御言葉に、新たなる忠誠を」
アークは、そう伝えるとベネットの手の甲へ口付けをした。その後、彼はベネットの手首を掴んだまま唇を離し、立ち上がろうと両足に力を込める。
「アークさ」
「止めとけって」
その時、アークの背後から二人の声が聞こえた。声は、少年と青年のもので、元々部屋に居た二人は声のした方へ顔を向ける。すると、背後からダームの口を押さえるザウバーの姿が在り、それを見たアークは目を丸くした。
「御二人共……一体、何時からこちらに?」
アークは、そう言うと咳払いをし、ザウバーの目を見つめて微笑する。対するザウバーは少年の口から手を離し、苦笑しながら口を開いた。
「ベネットの魔力を頼りに転移したんだが……邪魔したな」
ザウバーは、そう言うや否や呪文を唱え始めた。しかし、その効果が発動するよりも前に、アークが青年の名を呼んで制止する。
「誰も、出て行けとは言っていませんよ」
アークは、そう言うと溜め息を吐き、ゆっくり首を横に振る。そして、彼は少年の目を見つめると、微笑みながら口を開いた。
「私は、御二人の入室許可手続きをしてきます。それまでは、静かにこちらで待っていて下さい」
そこまで話すと、アークはベネットの手を布団の中へ戻し、部屋の出入り口に向かって行った。そして、彼はドアを開けたところで振り返り、胸に手を当て、深々と頭を下げる。
「それでは、ごゆっくり」
そう言ってアークはドアを閉め、部屋から離れていった。一方、部屋に残った者達は顔を見合わせ、無言のまま互いの出方を窺う。
「ベネットさん、大丈夫?」
ダームは、そう言うとベネットの方へ向かって行った。少年に問われたベネットは微笑み、蒼い瞳を見つめた。
「ああ。命に別条は無いし、怪我をしている訳でもない。ただ、疲れが出てしまった」
ベネットは、そう言うと両腕に力を入れ、起き上がろうと試みた。しかし、上手く力が入らないのか、彼女は横になったまま少年の目を見つめる。一方、ダームはベッドサイドに置かれた椅子へ腰を下ろし、心配そうにベネットを見下ろした。
「そっか。結構大変だったもんね。怪我も酷かったし」
ダームは、そこまで話したところで目を伏せ、細く息を吐き出す。この時、二人の会話を聞いていたザウバーは、目を細めた。
「別れる前は、そうでも無かっただろ。それに、ベネットがヘイデルに着いてから、二日が経っている」
ザウバーは、そう言うとベッド横に立ち、ベネットの目を真っ直ぐに見つめる。
「なのに、起き上がれない程に消耗している。他に、何か理由が有るんじゃ無いのか?」
ベネットは目を瞑り、細く息を吐き出した。その間、ダームは不安そうに青年の顔を見上げ、そのまま仲間の反応を待っている。
しかし、直ぐにザウバーが発言をすることは無く、ベネットが質問の答えを返すことも無かった。この為、部屋は静寂に包まれ、ザウバーは溜め息を吐く。最後の言葉から数分後、青年はベッドの端に手をつき、間近でベネットの顔を見つめた。
「別に責めている訳じゃねえし、言えない事情があるならそれでいい」
ベネットは目を開き、話し手の顔を見上げる。一方、彼女の目線に気付いたザウバーは、頬を赤らめながら言葉を続けた。
「その……なんだ。原因が分かれば、俺にも役に立てることがあるかも知れねえ」
そこまで伝えたところでザウバーは目線を反らし、息を吐き出す。
「材料さえ揃えば、症状に合った薬も作れるし」
「薬は、ちゃんと専門の者が作っていますよ」
声に気付いたザウバーが振り返ると、疲れた様子のアークが居た。アークは呆れた表情を浮かべており、ザウバーは目を丸くする。
「担当医も付いていますし、心配には及びません。なんなら、担当医に今の状態を説明させますよ?」
簡単な説明を聞いたザウバーは、アークの方に向き直り首を振る。その後、ザウバーは軽く息を吐き出し、アークの目を見つめて口を開いた。
「その説明は要らねえよ。ただ、この街で何かあったんじゃねえかと思っただけだ」
ダームは首を傾げ、アークは冷めた表情で溜め息を吐く。
「呪詛ですよ。それも、大抵の人なら命は無かった程の」
ダームとザウバーは驚声を漏らし、ベネットは目線を彼らの居る反対側へ向けた。アークはゆっくり息を吸い込み、更なる説明を続けていく。
「私も最初は気付かなかったのですが、放っておけば、呪いがベネット様の精神を蝕んでいたと思います」
アークは、そう言うと腕を組み、その状態で右手の人差し指を立てる。
「聞いた話によれば、何者かに操られた方が宿へ来たそうじゃないですか。それについて詳細な報告は届いていませんが、私はそれも呪詛によるものだと推測しています」
ザウバーは息を飲み、ダームは不安そうにベネットの方へ顔を向けた。
「既に、解呪は済んでいます。ですが、もし対応が遅れていたら、その方の様に操られていた可能性も有りました」
アークは、そこまで話すと目を細め、静かに息を吐き出した。この時、少年は不安そうに彼の目を見上げており、それに気付いたアークは優しい笑顔を浮かべる。
「大丈夫ですよ、ダーム。操られる可能性も有りましたが、呪いは確かに解きましたから」
ダームは、未だに不安そうな表情だったが、背中へ触れる手に気付くなり、ベネットの方に向き直った。ベネットは、少年が顔を向けた時に手を引き、微笑みながら口を開く。
「アークの言う通りだ。問題は解決したし、心配は無い」
それを聞いたダームと言えば、ベネットの目を真っ直ぐに見つめた。少年は、表情を変えぬままベネットに顔を近付けると、不機嫌そうに頬を膨らませる。
「心配ない訳が無いよ。だって、僕達が居ない間に色々あって、その原因はヘイデルに来る前にあって」
ダームは、そう言うと目を伏せ、両手を強く握り締めた。
「それに、呪いが解けたって言っても、ベネットさん寝たままだし」
そう言い放つと、ダームは膝を付き、ベッドの端に顔を埋める。ベネットは申し訳無さそうな表情を浮かべ、少年の頭を優しく撫でた。
「私が悪かった。だが、休めば体力は回復するし、旅も再開できる。だから、顔を上げてくれ」
ベネットは、そう言うと少年の頭から手を離した。しかし、少年に頭を上げる様子は無く、ベネットは心配そうな表情を浮かべる。この際、その様子を見ていたアークは、ザウバーの肩を軽く叩いた。ザウバーは彼の方へ顔を向け、無言のまま相手の出方を窺う。
「私達は、退室しましょうか」
アークは、そう言うと部屋のドアを指差した。提案を聞いたザウバーは静かに頷き、二人はダームとベネットを残して退室する。ベネットは彼らの退室に気付くが、声を上げることは無かった。一方、ダームはベッドに顔を埋めたままで、仲間が居なくなったことに気付いていない。
「だって、動けないって、凄く調子が悪いってことでしょ? いつも、ベネットさんは弱気になった僕を励ましてくれるのに」
少年は顔を埋めたまま、手元の布団を強く握った。彼の様子を見たベネットは、何とかして上半身を起こす。そして、彼女はダームの体を抱き起こすと、無言のまま少年の背中を包み込んだ。
「大丈夫、ちゃんと動けた。だから」
「違う」
ベネットの言葉を遮る様に言うと、ダームは勢い良く顔を上げる。
「ベネットさんが苦しんでいた時、僕は何も出来なかった。それが悔しいんだ」
ダームは、手の甲で乱暴に目を擦った。そして、やや赤くなった瞳でベネットの目を見つめると、苦笑しながら口を開く。
「ベネットさんが傷付けられている時も、僕は助けに行けなかった」
ダームは、そう言うと目を伏せ、唇を噛む。その様子を見たベネットは、複雑そうな表情で少年の手を握った。
「気に病むことはない。誰にだって、出来ないことは有る。それを悔やむより、自分に出来ることを一つ一つやっていく方が有益だ」
ダームは顔を上げ、そのまま話の続きを待った。ベネットは大きく息を吸い込み、ゆっくり話を続けていく。
「ダームが傍に居るだけで、皆が明るくなれる。元気を貰える。今だって、上手く動けなかった私が動ける様になった」
ベネットは、そこまで話したところで目を細め、呼吸を整えた。
「それで十分じゃないか。ダームが居なければ上手くいかなかったことも沢山ある」
そう伝えると、ベネットは少年の背中に腕を回した。彼女は、腕に力を込めて少年を抱き寄せると、その耳元へ自らの唇を近付ける。
「だから、元気を出せ。ダームに元気が無いと、私は辛い」
ベネットは、そう言うと少年の背中から手を離した。その後、彼女はベッドの上で体勢を直し、少年の目を真っ直ぐに見つめる。
「ずるいよ……そんなこと言われたら、弱気になれない」
ダームは、そう返すと口先を尖らせた。彼は、そのまま息を吐き出し、気のない様子で天井を見上げる。
「でも……ううん、なんでもない」
少年は、そう言うと首を振り、ベッド横に置かれた椅子へ腰を下ろした。
「そうだ。ベネットさんに会ったら、話したいことがあったんだ」
思い出した様に言葉を発すると、ダームは自らの膝に手を乗せる。一方、彼の台詞を聞いたベネットは首を傾げ、話の続きを待った。
「先ずは、僕が住んでいた所の話をするね」
少年は、そう言うと笑顔を浮かべ、ベネットと別れていた間に起きた出来事を話し始める。ベネットはその話を興味深そうに聞き、それに気付いた少年は身振り手振りを加えながら話を続けた。少年の話は段々と盛り上がっていき、それに連れてベネットの体調も良くなっていく。その後、一通り話し終えたダームは目を瞑り、満足そうに息を吐き出した。彼の様子を見たベネットの表情は自然に綻び、その瞳には何時ものような力が戻っている。
「友達に会えて、元気そうだったなら安心だな」
ベネットは、そう言うと目を細め、少年の顔を優しく見つめる。
「それに、森の中で色々有った様だが、無事に戻って来てくれて良かった」
そう伝えると、ベネットは軽く首を傾けた。対するダームは頬を染め、恥ずかしそうに微笑する。
「でも、まだ気になることが有るんだ」
ダームは、自らの感情を誤魔化す様に話し出した。そして、彼は短剣を取り出し、それを目の高さにまで持ち上げる。
「力が解放されたらしいんだけど……見た目に変化が無いし、ここに来るまで何も起きなかった」
ダームは、そこまで話したところで剣を抜き、その刀身をじっと見つめる。
「光り方が変わった様な気もするけど、当たっている光が違うだけかもだし」
呟く様に話すと、ダームは短剣を鞘に収め、溜め息を吐いた。そんな少年の様子を見たベネットと言えば、難しそうな表情を浮かべる。
「常に持ち歩いているダームが分からないとなると、何かしら理由が有るのかも知れないな」
ベネットは、そう伝えると細く息を吐き出した。その後、彼女はダームの持つ短剣を見やり、それに触れようと手を伸ばす。この為、少年は短剣をベネットへ手渡した。