第二章 38

文字数 2,369文字

 トチロウを残して<ホワイトフェザー>を出る前に、わたしはミヤギ氏に渡したシャイタックの弾丸を探した。

「無駄だ」ジョンが言う。「きっとサム・ワンが持っていったんだ。自分につながる手がかりを残さないために。もちろんそれが目的でここにきたわけじゃないだろうが」
「それなら店に火をつければいいんじゃない?」我ながら、そんな物騒な考えが口を突く。
「そんなことをしたらミヤギさんをあんなふうにした意味がなくなるだろう。サム・ワンがわたしたちに宛てたメッセージだからな。それにやつが残した手がかりはあの弾丸だけだ、回収するならそれだけでいいのさ」
「なら、クソッタレな……ああ、ごめんなさい……自分に繋がるサインなんて弾丸に刻まなくていいのに。ところで、ここは大丈夫なの? わたしが言うのもなんだけど、警察の現場検証って徹底的なのよ?」
「それも心配ないさ。ミヤギさんは用心深いんだ。どこを調べられても、ただの雑貨店以上のものは出てこないよ」

 店の外にはふたりの制服警官が待機していた。彼らは店から出てきたわたしたちを見るなり、持っていた無線機を慌てて手放した。

「う、動くな! 両手を頭の後ろにまわして膝をつけ!」警告する警官の声は裏返っている。

 肩口からコードでぶらさがった無線機が揺れるなか、彼らは警句を叫びながらホルスターの留具をはずそうと悪戦苦闘していた。
 わたしは眉根を寄せるジョンの腕に手をかけると、警官のひとりを呼び止めた。

「ティム、わたしよ」
 その言葉に、ティムはベルトに落としていた視線をあげると、「リサか?」

 わたしが頷くと、ティムは銃にのばしていた手を引っ込めた。

「大丈夫だ、知り合いの刑事だよ」

 それからティムは、居住まいを正す相棒をよそにこちらへと歩み寄ってきた。ジョンへ訝しげな一瞥をくれたあと、わたしを見てその目がはっと開かれる。

「怪我してるのか?」言いながらティムは頬を指さした。

 思わず自分の右頬を拭うと、指先にチョコレートソースのようにねとついた血がついていた。よく見れば、シャツやズボンの裾にも血がはねている。

「店の奥で男性がひとり死んでる」わたしは言った。「殺しよ」

 ティムともうひとりの制服警官が顔を見合わせる。

「巡回中だったの?」
「ああ。それで通報を受けて来たんだが。おまえこそここでなにしてるんだ?」

 訊ねながら、ティムは表情で別の質問を投げかけていた
 今度はなにをしでかしたんだ? そう問いかけている。
 ここ最近、わたしは二度も彼に犯人逮捕の裏取引を持ちかけたのだ。そんな元相棒と殺人現場で居合わせたとなれば、ここで顔を曇らせないほうがどうかしている。

「わたしが関わってる事件の情報提供者だったの」わたしは答えた。「事件に関係する情報を訊きにきたんだけど、遅かった。わたしたちが到着したときにはもう……」
「情報提供者ね……で、そっちは?」ティムがジョンを見る。
「ジョン・リップです」わたしが弁解するよりも先に、ジョンはそう言って右手を差し出した。「はじめまして」

 ジョンののばした右手はこころもち位置が高く、サングラスに覆われた視線もどこか遠くを見ている。目が見えないことをわざと強調しているのだ。

「ああ、どうも。それであんたはいったい……」ティムがジョンの手を握り返しながら訊ねる。
「アークライト刑事とは知り合いでしてね、いきつけのダイナーの常連同士なんですよ。たまたまこの店に行く用事があるところでばったりと出くわしまして。彼女の親切から車に同乗させてもらったんです」

 もちろんこれは追求されればすぐにばれる嘘だ。
 わたしとジョンは店先で派手な登場をしたうえに、野次馬たちに刑事ドラマまがいの立ち回りまで見られているのだから。それでも、いまや現場は規制線を張られ、野次馬たちの輪はわたしたちが来たときよりもずっと大きくなっている。
 これなら嘘がばれる心配はない。少なくとも、いまのところは。

 ジョンがわたしの背中をそっと小突いてうながしたので、わたしはさらに言葉を添えた。

「彼はその……目が不自由なの。だから車に乗せたってわけ。行き先はおなじだったし」
「それで、リップさんはどうして一緒に店から出てきたんだ?」
「お店に用があるからに決まってるじゃない」わたしは辛抱強く言った。制服警官時代は頼もしくもあった彼の実直さが、問い詰められる側に立つと厄介に感じてしまう。「でも情報提供者である彼は店頭にいなかった」
「だから刑事さんとわたしで奥の倉庫に行ったんです」ジョンがさらにつけ加える。「刑事さんはわたしに外で待つように言ってくれたんですが、どうしても彼のことが心配で」
「それで奥の倉庫で店主の遺体を見つけたってわけ」

 ティムがわたしとジョンとを交互に目配せする様子を目に、わたしは急場をしのいだことをさとった。
 ふたりからこうも矢継ぎ早にまくしたてられたのでは、ティムも状況を理解するのに手一杯になるはず。テニスのダブルスにひとりきりで出場するようなものだ。ちょっと翻弄してやれば、まともなラリーなんて続きっこない。

「そこでわたしは――」
「ああ、もうわかった!」なおも続けようとするわたしに、ティムは両手を挙げて降参した。「これ以上現場をひっかきまわさないでくれ。ただでさえ近頃じゃ殺人が立て続けに起きてるんだ。現場は大忙しなんだよ」

 そんなに殺しが多いの? ティムの言葉にわたしは口を突いて出そうになった質問をどうにか飲み込み、取り繕った表情の裏に動揺を隠すことができた。似たようなことをつい昨日、リッチーの口からも聞いたからだ。
 殺人課刑事という本業から距離をおくと、街で起きている凶悪犯罪の情報すらつかみづらい。自分がかつていた場所から遠くにきてしまったのだと、わたしはあらためて思い知らされた。
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