第二章 46

文字数 2,494文字

 結果はひどいものだった。手元に引き寄せた的の人型をとらえたのは十四発中たったの三発で、そのうちまともに当たったのは右肩の一発だけ。あとはわき腹と頬をかすっただけだった。
 ほかの十一発の半分は的の余白に当たっており、もう半分はその余白さえもとらえられていなかった。

「貸してくれ」いつの間にかわたしの背後に来ていたジョンが言う。
「わかるの?」訊ねながら的を手渡したが、わたしはこれが愚問だということもわかりきっていた。

 ジョンはペーパーの周囲を指でなぞると、次にペンキを塗るかのように、手のひらで表面を丹念に撫でていった。
「ひどいものだな」ジョンはにべもなく言った。「まともに命中したのは一発だけか」
「こういうときは励ますもんじゃないの? 気にすることはない、一発当てられれば悪党を捕まえるには充分だ、くらいのことも言えないわけ?」
「さっき言ったとおりさ。気分を変えようと。これはただの気晴らしだ。励ましも慰めもするつもりはないよ。だいたい、うわべだけの気遣いとわかっていても、きみはそう言ってほしいのかい?」
「まさか」
「なら、構える、狙う、撃つ。いまはなにも考えずにそれだけしていればいい」

 そう言ってジョンが手渡したのは新しいターゲットペーパーだった。わたしはそれをレーンに吊り下げると、同じ距離を設定して流した。

 実際のところ、ジョンの厚意を無碍にするかどうかは別として、これはわたしにとってなんの気晴らしにもならなかった。むしろ重荷になっていたと言ってよかった。それでも、さしあたって銃を撃つ以外にすることもできることもない。
 空腹の人間に縄を渡すようなものだ。手渡された人間は縄をかじって飢えをしのぐか、首をくくるくらいしかできない。わたしは銃を自分の頭に突きつけるかわりに、標的に向けて引き金をしぼりつづけた。

 それから何度かペーパーを交換して射撃を続けたが、どれもけして好成績とは言えなかった。

「調子がでないのよ」

 結果をあらためてはおおげさにため息をつくジョンに、わたしは憮然としてそう言った。

「どうだろうな」ジョンが言う。「この様子じゃ一晩中撃ち続けたところでたいしたスコアは出せないだろう」
「気晴らしなんでしょ? べつに新記録を出そうなんて思ってないわ」
「それはもっともだ。だが、些細なことから大きなきっかけを得られることもある。リサ、わたしの見立てでは、どうやらきみは銃弾を命中させようとはしてないみたいだな」
「そんなことないわ。警察学校時代から数えて、わたしがどれだけのあいだ銃を身に着けてると思ってるの?」
「いいや、きみは狙っていない。正確にいえば弾を当てることを避けているんだ」

 これに当ててみろ。と、わたしが反論する前にジョンは新しい的をレーンに流した。彼の物言いに腹を立てたわたしは、無言のまま新しい弾倉を装填し、銃を構えるべく顔をあげた。

 的までの距離は変わらず十ヤードだった。変わっていたのは的の形だった。そこに人型のシルエットはなく、ただ真円を何重かあしらったシンプルな標的が印刷されているだけだった。

 わたしは思わず振り返ってジョンを見たが、彼は腕を組んで涼しい顔をしているだけだった。
 説明する素振りのないジョンを諦めて、わたしは的に向き直った。引き金をしぼると、イヤーマフごしにすっかり耳になじんだ銃声があがる。
 そしてこの日はじめて、わたしは弾をすべて命中させることができた。おまけにその半分近くが、目玉のような的の中心にある赤い円をとらえていた。

 ジョンも手で結果をあらためると、ようやく満足げに頷いた。

「わかった」わたしは言った、正確には黙ったままのジョンにしびれをきらしたのだが。それから銃を置いて両手をあげると、「白状するわ。人を撃つのが怖いのよ。それどころか、人の形をしていたらマネキンだって撃つのに抵抗があるの」
「誰だってそうさ」ジョンは言いながら、わたしの隣のレーンに的を流した。距離はおなじく十ヤード、人型の標的だ。「わたしだって怖い」

 ジョンが手にしていたのは愛用のP210、わたしが密かに<貴婦人>と呼んでいる銃だった。彼が狙いを定めると、ひかえめな……大男の鼾のような四十五口径の銃声とくらべれば乙女のげっぷのような……九ミリの銃声がテンポよくあがった。
 一分も経たずに手元に戻ってきた的に空いた穴を見て、わたしは思わず息をのんだ。放たれた八発の銃弾は、それぞれが四発ずつ、頭部と心臓に命中していたのだ。とても盲人の射撃精度とは思えない。

「きみは人を殺す必要なんてない、警官だからね。悪党を捕まえるのが仕事だ。だがわたしは違う。相手が誰だろうと、標的にした者の命を必ず奪わなくてはいけない。そしてきみも、このきな臭い仕事に関わっていれば、いずれはその必要を迫られるときがくる」
「やれやれ、とんだ気晴らしに付き合わされたもんね。それで? わたしに殺し屋の気持ちだけでも理解しろっていうの?」
「いや、誰にだって理解できないものはあるさ。他人の心というのは、その最たるものだ。それが殺し屋のものでも、警察官のものでもね。ただわたしは、少しでも殺し屋の心理について触れておいてほしかったんだ。サム・ワンは凄腕の殺し屋だ。そんなやつを相手にしたとき、一瞬でも躊躇したらどうなる? 向こうは待ってくれないぞ」

 もう一度だ。そう言ってジョンはわたしのレーンに新しい的を流した。またしてもそれは人型のシルエットが印刷されたものだった。

「ためらわないこつはだな」的を流すレーンが音をたてるなか、ジョンが言う。「恐れとは別の感情で自分の心を覆うことだ。信念、正義感。なにかあるだろう」
「あなたの場合は?」
「標的に命中させること。それだけを考えている」

 十ヤードの距離で止まった的に向きあうと、わたしは視線をそらさずにそれをじっと見つめた。的に印刷された誰かは反撃するでも命乞いするでもなく、室内をかすかに流れる空気の動きに身を任せ、ただ小さく揺れていた。

 命中させること、わたしはそれだけを考えながら手探りで銃を取ると、照準を相手に合わせた。
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