第二章 107

文字数 2,312文字

「ジョンなの? 配置ってどういうこと?」
「詳しい話はあとだ。いま分署の向かいにあるビルの屋上にいる。銃声がここまで聞こえてくるよ」ジョンの言うとおり、電話の向こうから数拍遅れて署内の銃声が聞こえてくる。
「屋上って……まさかあなた」
「誰と話してるんだ?」リッチーが弾倉を交換しながら訊ねる。

 わたしは人差し指を立てて質問を遮ると、携帯電話に耳を澄ました。

「そのまさかさ。プレ64を持ってきている。模型で予習も済ませてある」
「でも……」

 わたしは言いよどんだ。
 盲目であるジョンの狙撃の成功に不可欠なのは、事務室にある模型と彼自身の神懸り的な技術もさることながら、なにより事前調査を行うマートンの存在だった。
 標的の生活習慣や行動心理学的なアプローチに裏打ちされたプランがあるからこそ、ジョンは不可能に近い狙撃を成し遂げることができるのだ。事実ハニーボールは、自分が防弾ガラスに守られているという安心感のせいで、その大胆不敵な性格に拍車がかかって命を落とした。

 ジョンはただ寸分違わずおなじ箇所を撃ち抜きさえすればよかった……もっとも、そんなことをできる人間がおいそれといるわけでもないのだが。

 つまりジョンがなんのプランもなしにぶっつけ本番の狙撃を行うことは、ハニーボールを狙撃したとき以上の離れ業が必要であることにほかならない。

「わかっている」わたしの考えを読み取ったかのように、ジョンがあとを引き継いだ。「だが武装したやつを倒すには狙撃による奇襲しかない。そこにいるんだろ、サム・ワンが?」
「ええ、いるわ」

 わたしは言いながら、物陰からホールの入り口のほうを覗き見た。サム・ワンはモッズコートの奥からたちのぼる異様な雰囲気をたたえたまま、その場に立っている。

「それで、わたしはなにをすればいい?」
「話が早くて助かるよ。だがきみに頼みたいのは危険を伴う役割だ。もしも気が進まないなら、別の手を考えよう」
「そんな時間は無いし、ほかの人に頼むわけにはいかないわ。それに、あなたばかり危険に晒せないもの。たまにはわたしも役に立たせて」
「わかった」ジョンは言った。「やり遂げよう、きみとわたしで」

 ジョンはわたしにプランを説明した。彼の計画は心許無いものだったが、やるしかなかった。少なくとも、ここで縮こまっているだけでは事態は好転しない。

 以前、仏教徒には一蓮托生という教えがあると、なにかの本で読んだことがある。これは死後、彼らの楽園でひとつの蓮の花の上に身を寄せ合って生まれ変わることから、転じて誰かと運命を共にすることを意味する言葉だそうだ。
 わたしを含めた十九分署のホールに集まった人々は、まさに運命を共にする者同士だった。
 か弱い蓮の花の上で身を寄せる者たち。いまはここにいる全員が盲目のジョンに命を託すよりほかに方法はない。

 それでもいまのわたしはジョンに賭けることを厭わなかった。共にいくつかの死線を越えてきたからこそ、わたしは彼を信頼することができた。

 盲目のジョン・リップは目が見えないのではない、視覚以外の感覚でものを見ることができる。

「リッチー!」銃声にかき消されないよう、わたしは声を張り上げた。
「なんだ!」
「頼みがある! 合図するから援護して!」
「まだ暴れ足りんのか?」
「そうじゃない。説明している時間はないけど、いまはこれしか方法がないのよ」わたしはリッチーの目をまっすぐ見た。「おねがい」
 リッチーは目を逸らしながら舌打ちすると、「わかったよ。やればいいんだろ」

 そう言って近くの職員に簡単な身振りで指示を出した。指示を受けた署員たちは、手近な相手に同じように合図を送る。すぐに十人近い署員たちがわたしとリッチーに視線を向けた。その目からは一様に、わたしたちへの同調をうかがい知ることができた。

 わたしは身を隠していた机の端に身をかがめると、隣の遮蔽物を見た。
 肩にリッチーの右手が置かれる。銃弾を受けた彼の手が、痛みで小刻みに震えているのがわかった。
 わたしは身体を前後にゆすりながら、<ホワイトフェザー>に突入したときのことを思い出していた。
 あのときはジョンが先行してくれたが、いまはわたしが活路を見出すしかない。
 あのときは店内に潜んでいるかもしれないサム・ワンの影にさえ怯えていたが、いまはその実体がこちらに銃を向けている。
 飛び出した瞬間、やつの銃弾の群れがわたしの全身をひきちぎるかもしれない。それでもやるしかない。
 わたしは父の形見である拳銃を握りなおし、合図とともに駆け出した。

「撃て!」

 リッチーの号令とともに、署員たちがいっせいにサム・ワンへ発砲した。
 わたしはその結果を見届けはしなかった。どれだけ銃を撃とうと、サム・ワンに銃弾を浴びせられるのはジョンをおいてほかにいないと確信していたからだ。
 身を低くしたままホールを全速力で横切る。

 もう何度目になるのか、拳銃とは異なるライフルの発射音が鳴り響く。サム・ワンははじめ署員たちに応戦すると、すぐに銃口をわたしに向けてきた。わたしはそれを背後から迫る弾着音で感じとっていた。

 最後の数歩分の距離を、わたしは野球のスライディングの要領で一気に詰めた。頭上を弾丸の熱い吐息がかすめていくのを感じる間もあらばこそ、わたしは終着点である遮蔽物に身を隠した。
 射角によっては鉄板にすら穴をあける五・五六ミリ弾に対して、わたしが身を潜めた木製の事務机は目隠しぐらいにしかならない。
 わたしは『三匹の子豚』のことを思い出していた。それも、安全なレンガの家に身を潜める三男ではなく、狼の息で藁と木の家を吹き飛ばされてしまう長男と次男のことを。
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