第一章 13

文字数 1,169文字

 翌日午前十時。わたしはニューオーウェル市の南西、ウェスト・ヴィレッジと呼ばれる地区を歩いていた。
 このあたりの古い町並みには南端にある金融の中心地ジュール街の喧騒も届かない、静かで穏やかな住宅街だ。ここから東に向かってニューオーウェル大学の敷地に沿って進んだ先にわたしの家があり、北に行けば馴染みの<ノアズ・パパ>がある。

 この勝手知ったるこの近所に、わたしはある人物を訪ねてきていた。

「これから言う住所に行ってこい」

 なかば辞職を覚悟してオフィスに顔を出したわたしに、マクブレイン署長はそう言った。

「メモはとるな」メモどころかペンさえ出していないわたしに署長が用心深く言う。「もちろん他言無用だ。行き先については誰にも話してはならないし、知られてもいけない」
「あの……」
「なんだ?」
「バッジを返さなくていいんですか?」
「辞職したいのか?」
「したくありません」

 わたしの答えに、署長ははりつめていた表情に苛立たしげなため息を添えた。どうやら的はずれなことを訊いたらしい。

「マートンの件の担当からはずすとは言ったが、クビにするとは言ってない」

 予想外の返事に、思わず安堵しそうになったわたしは「ただし」と念を押されてすぐさま居住いを正した。

「きみは自分の立場を見直す必要がある。わかるかね?」

 頷いてみせたが、いまいち話の要点が見えてこない。
 同時に、わたしは頭の隅でこんなことを考えていた。
 不明瞭な持ちかけで言質をとってから騙し打ちにするのはマフィアの手口だ、と。

「よろしい」そんなわたしに構わず署長は続けた。「目的地に着いたら、ある人物と接触してほしい」
「警察関係者ですか?」
「民間人だ。いちおうはな」

 そう付け加える署長の答えに、わたしは眉根を寄せた。

「わたしはそこでなにをすれば? いったいこれはどんな職務なんですか?」
「なにをすべきかは、彼から訊くといい。ひとつ忠告しておくが、彼の言葉はわたしのものと同等として考えることだ」
「つまり、命令された場合はそれに従えと?」
「そうだ。ついでに言っておくが、やつのことは信用するな」

 彼、ということはこれから会う人物は男性なのだろうか。それにしても、従うべき命令を下す相手のことを信用するなとはどういうことか。
 だがわたしはそれ以上署長になにも訊かなかった。どんな質問を向けても満足のいく返答は得られないであろうことは、署長の堅固な態度からもあきらかだったからだ。それがわかりきっているのに、無意味な質問を重ねてこれ以上ボスの神経を逆撫でしても仕方がない。

 住所を確認したわたしは署長に挨拶をするとオフィスをあとにした。

 誰にも知られるな。ドアを閉じる直前、署長が声をかける。
 やつを信用もするな。彼は繰り返した。ドアの隙間から届いた忠告は、墓穴の底からする死者の声のように聞こえた。
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