第二章 32

文字数 2,428文字

 ジョンの携帯電話に着信があったのは、昼を大きくまわり、ニューオーウェルの春の日差しが傾いてきた頃だった。
 ジョンは音のするほうへまっすぐ手をのばすと、むずがるように震える携帯電話をつかんで耳にあてた。

「もしもし……ああ、ミヤギさん。ちょっと待ってくれ」

 ジョンは手探りでボタンを操作すると、携帯電話をビール壜が占拠するテーブルに置いた。旧式の機種で、数秒おきに緑色のバックライトが画面に角ばった文字を浮かびあがらせている。

「なんだ?」携帯電話からあがったのは、老人の嗄れた声だった。
「スピーカーフォンにしたんだよ。わたしの仕事上のパートナーが同席しているんでね」
「ああ、トチ坊が言ってたな。えらいべっぴんさんだってね」

 その言葉を耳にして、ジョンが片方の眉を持ち上げてわたしにサインを送ってくる。わたしとしても、ここまでおおげさに評価されるとプレッシャーを感じてしまう。

「ニューオーウェル市警十九分署のリサ・アークライトです」美人というふれこみのせいか、わたしの声色は必要以上にあらたまったものになってしまった。
「こいつはどうも。ミヤギと申します。先ほどはご足労のところ留守にしていて申し訳ない。それにしても、ははあ……こりゃたしかに美人だ。声だけでそうわかるよ」

 電話口でミヤギ氏が声をあげて笑うと、ジョンも鼻息を漏らすように微笑んだ。ここまでおおげさだと、当人としてはどうも担がれているようにしか思えない。

「さて、挨拶も済んだ。さっそく本題に入らせてもらうおうか」と、ジョン。「ミヤギさん、トチロウに預けておいたものは見てくれたかい?」
「ああ。またずいぶん物騒なもんを持ち込んでくれたもんだ」
「それの持ち主を割り出してほしい。それが使われた経緯についてだが――」
「そいつも孫から説明があったよ」
「いつもながら話が早くて助かるよ」
「早いついでにな、もう刑事殺しの目星もついてる」

 ミヤギ氏の声は機械ごしということも手伝って、冷たく、無機質に聞こえた。わたしは彼の言葉に思わず息をのんだ。ジョンの表情も強張っている。

「なんだ、意外そうだな」黙りこくるわたしたちにミヤギ氏が続ける。「だがおれにはすぐわかった。まるで預かり物が大声で喚きちらしてるようなもんさ。それから殺しの状況も訊いた。そんな芸当ができる人間をおれは三人知ってる。ひとりは刑務所、ひとりは墓の下、それからもうひとりは、いま電話でおれと話してる」

 ミヤギ氏の言葉をきっかけにわたしがジョンに投げつけた視線はよほど強烈だったのだろう。彼は顔をあげると、まっすぐこちらを向いてきた。まるでその一瞬、わたしはお互いが見つめ合っているような錯覚に襲われた。

「ミヤギさん、冗談は――」
「冗談なもんか」ミヤギ氏がジョンの言葉をさえぎる。「ああ、トチ坊のやつがあんたに似たようなことを言ったそうだな。孫に代わってお詫びするよ。あいつもいまになって反省してる。だが、おれは本気で言ってる。刑事さんはまだそこにいるかい?」
「ええ、はい」我に返ったわたしは慌てて返事をした。
「いいかい、おれが怪しいとにらんでるのはそこの紳士じゃない。たしかにそこの御仁だって今回みたいな芸当をやれないことはないが、わざわざ雇い主に手を出すほど馬鹿でもない。仮にもしもやるとしたなら、とっくの昔にそうしてるはずだろう。それでおれが思うに、あんたらが探しているのはおそらく二番目、墓の下にいるやつさ」
「待ってくれ、ミヤギさん。そんなことはありえない」
「だがおまえさんもまずその可能性を考えたはずだ。この殺しをしでかしたのがやつだとな。そもそも、おまえさんの持ってきた弾丸とやつが愛用している得物が同じなんだ。それに、サインも見つかった」
「馬鹿な……」
「いいや、試しに紫外線ライトを当ててみたら見事に浮かんだよ。Sの刻印がくっきりとね。おまえさんも心のどこかでそうなると思っていたはずだ」
「そいつは二十年前に死んだはずだ」

 ジョンの声にはっきりと動揺が見てとれたことに、わたしは驚かされた。

「生きてるさ」それに答えるミヤギ氏の声は冷酷ですらあった。「誰かでいられるかぎり、やつが死ぬことはない。とにかく、一度店に来てくれないか。電話じゃどうも話しづらいからな」
「わかった。すぐに行く」
「ああ……おっと、お客さんだ」受話器から顔を離したのだろう、ミヤギ氏の声が少し遠のく。「おい、トチ! どこにいやがるんだ、まったく……ああ、すいませんね。どういったものを――」

 だしぬけに電話が切れた。
 不通を知らせる信号音を数回繰り返し、ジョンの携帯電話はふたたび沈黙した。

「支度してくれ、すぐに出かけるぞ」
「いったいどういうことなの?」
「質問はあとだ。ふたりに危険が迫っているかもしれない」

 ジョンの言葉に、そしてなによりその緊張感がにじむ横顔に、わたしはすぐさま愛用しているコルトとグロックのことを考えた。思い返してみれば、彼がここまで感情をあらわにしたのははじめてのことだった。

「車を出してくれ。事情が変わった」
「ええ、でも……」

 わたしはためらった。ついさっきまで、けして少量とはいえないアルコールを身体に流し込んでしまったばかりだ。
 緊急事態とはいえ、警察官が飲酒運転をしてもいいことにはならない。もっとも、厳密には勤務中であるにも関わらず飲酒してしまったわけなのだが。

「一刻を争うんだ。それとも立っていられないほど飲んだのか?」
「もう、わかったわよ!」

 やぶれかぶれに答えるわたしをよそに、ジョンはその力強い足取りでさっさと玄関ポーチへ向かっていた。

「ビールをごちそうさま」

 極度に張りつめていたものの、そのひとことはまだ彼をジョン・リップたらしめていた。
 わたしはそのことに安堵をおぼえるとともに、心強さも感じていた。そして彼がマートン殺害に関して無実であることを証明するのを、今度はわたしも積極的に協力しようとさえ思い直していた。
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