第二章 89

文字数 1,108文字

「あれだけ視界を覆っていた赤色は消え失せ、代わりに完全な闇がわたしの世界を閉ざした。
 両目から流れ出したおびただしいなにかが頬を濡らしたが、わたしが次にしたことは、恐怖に泣き叫ぶことでも、ましてや向かいのビルにいるカルノーに向かってこれが事故であるのを弁明することでもなかった。
 苦痛に耐えながら、わたしはレオの訓練どおりにレミントンのボルトを引くと、新しい弾丸を薬室に込めたんだ。

 次の瞬間、不思議なことにわたしは見ることができていた。
 まったくの闇の中……ビルも眼下で行き交う人々も、月が浮かぶ夜空も見えなかったが、カルノーの姿だけは見えていたんだ。彼の姿は黒板に引いたチョークのような白線で描かれていて、雑なアニメーションのように息子の亡骸を抱えながらこちらを向いて叫んでいた。

 それからスコープのレティクルも見えた。典型的なクロスヘアータイプで、あの日のような夜間の狙撃には向いていなかったが、それでも訓練のときから馴れ親しんだものだった。

 わたしはふたたび引き金をしぼった。
 弾丸はあやまたずカルノーの額を貫くと、命とともに父親の愛も怒りも悲しみも、糸を断ち切るようにこの世から奪い去っていった。
 カルノーの白線は、後ろざまに倒れると同時に消え去った。

 直後に屋上にレオがあらわれた。というのも、同時に私の名を呼ぶ怒声で彼とわかったんだ。
 レオはわたしの胸倉をつかむと、力任せに引き起こした。出会った当時は腰のあたりまでしか届かなかったわたしの背も、そのときにはレオよりほんの一インチ低いだけだった。

『やったか?』わたしはそう訊ねた。『おれはやれたのか』

 レオは拳で返事をした。

『ああ、やったさ』それからレオは、顔面を殴られて倒れるわたしへ、叫ぶようにこう続けた。『だがくそったれめ。失敗だ』

 それからレオはわたしのライフルをケースに戻すと、地面に落ちていた二発分の薬莢を拾い上げ、空いた手でわたしを引きずるようにして屋上から撤収した。

 これは罪と罰だ。
 初めての殺しに対して罪の意識を感じた瞬間から、わたしの目はその呵責に耐えかねて世界を見ることをやめてしまったんだ。
 だがいまさらわたしがどう言い訳をしようと、あの親子の命が戻るわけでもない。それからもわたしは罪を重ねてゆき、やがて罪を感じること自体をやめてしまった。
 人間は殺人に無頓着でいられるようにはできていない。人間は罪を犯したその瞬間、人間であることをやめて怪物になってしまうんだ。リサ、きみは復讐を正当化する人間に復讐なんてできないと言ったね……」

 それからジョンは、コーラの空き瓶をしばらく弄んだあとにこう言った。

「まったくそのとおりだ」
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