第二章 33

文字数 1,788文字

「サム・ワンだ」

<ホワイトフェザー>へ引き返すべく愛車のダッジに乗り込むや、助手席のジョンはそう言った。

「誰なの?」
「誰でもない。正体不明の殺し屋だ。国籍、人種、年齢から性別にいたるまで誰も知らない」
「誰も知らないならどうしてその……サム・ワンだとわかるの?」
「殺しのとき、やつがサインを残すからさ。今回の場合だと、きみが持ち出した弾丸にそれが刻まれていた。それがやつの存在証明(レゾンデートル)なんだよ」
「謎のヴェールに包まれた殺し屋ってことね。<ザ・ブラインド>と知り合いのわたしがいまさら驚くことでもないけど」
「謎のヴェールに包まれているわけじゃない」ジョンはわたしの皮肉は無視して続けた。「サム・ワンという名のとおり、やつは誰でもあり得る。長身だという情報があれば、小柄だという説もある。若い女性だという者がいたかと思えば、年老いた男だという目撃談が浮上する」
「それって、サム・ワンと呼ばれている人間が複数いるってことじゃない?」
「なかにはそう主張する者もいるが、わたしにしてみればナンセンス以外のなにものでもない。あんな腕前の人間が何人もいたら、世の中の殺し屋は軒並み廃業さ……空っぽなんだ。サム・ワンは喩えるなら、空のコップを透かして見る闇のような存在なんだ。だからやつは誰でもないのと同時に、誰にだってなれる。それからもうひとつ、きみに伝えておかなくては。サム・ワンは、死んだと噂されるまではアルベローニ・ファミリーお抱えの殺し屋だった」

 ジョンの言葉に、わたしはあやうくハンドルを切り損なうところだった。冷や汗を浮かべるわたしにジョンが続ける。

「いよいよ、なにかが見えはじめてきたのかもしれないな」



<ホワイトフェザー>の前に野次馬が群がっているのを見て、わたしは胃袋が重くなるのを感じた。ひとだかりのざわめきを耳にして状況をさとったのか、ジョンも沈痛とさえ言える表情を浮かべている。

 わたしはダッジのスピードを落とすと、徐行しながら路肩にタイヤを乗り上げてさらに店へと近づいていった。人垣の外側にいた数人がわたしたちに気づき、押し合いながら道をあける。
 フロントグリルで威嚇するように群集の輪を突き破ると、わたしはつんのめるように愛車を止めた。ダッジの鼻先は例の白い羽が浮かぶ看板の真下にまで迫っていた。

 わたしとジョンはほぼ同時にドアを開けて外へと飛び出した。
 すぐそばの野次馬が危なっかしい登場をしたわたしたちに詰め寄ろうとしたが、警察バッジを見せるとすぐに引き下がった。

「誰か、なにがあったのか教えて!」わたしは誰にともなく訊ねた。
「店の中で物音がしたんだ。それに悲鳴も」野次馬のなかから誰かがそう応じる。

 それで充分だった。わたしは腰に手をのばすと、父の形見であるコルトを抜いた。

「さあ、みんな離れて。ここは危険よ」言いながらドア枠のそばで身をかがめて店の様子を窺う。店の中は薄暗く、動くものはない。「誰か警察に連絡して!」

 わたしが言うと、そこかしこで人々が携帯電話を取り出した。だが、相変わらず野次馬たちが店から離れる気配はない。銃撃戦が起きたとき一般人を巻き込むのはなんとしても避けたかったが、いまはミヤギ氏とトチロウの安否が心配される。

「リサ」

 すぐ後ろでささやかれた声に、わたしは飛び上がりそうになった。振り返ると、ジョンが背後にぴったりとくっついている。

「わたしが先行しよう」その手には彼が愛用する拳銃がおさまっている。「しっかりついてくるんだ」

 わたしは頷いて店のドアに手をかけると。最後にもう一度野次馬を振り返った。

「離れて!」

 わたしの語気か、それとも手にした拳銃が効果をあげたのか、波が引くように人々が数歩あとずさる。さしあたりはそれで満足しておくよりほかない。

「警察がきたら、わたしたちが先行して踏み込んだことを伝えて」

 わたしは保険をかける意味でそう告げた。なにも知らされずに応援に駆けつけた同僚から、出会い頭に撃たれたくはない。

「それから彼女の車に駐禁をとるなとも伝えておいてくれ」

 そう続けたジョンはわたしの肩に手を置くと、身を低くしたままドアの隙間に体を滑りこませた。わたしはすぐあとをついていった。

 ジョンがもたついていたら、お互いの足がからんでとんでもない醜態をさらしていただろうが、そうはならなかった。
 彼は素早く、そして静かだった。
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