第一章 17

文字数 2,592文字

 やはり路上強盗か。物陰から様子を窺ったわたしはそう結論づけた。
 通りすがりの相手をナイフで、あるいは銃で脅しつけて金を巻き上げるこの昔ながらの犯罪は、ニューオーウェルでは近年の傾向として若年層が手を染めやすいものになっていた。彼らは遊ぶ金欲しさから短絡的な犯罪におよび、奪った金を酒やドラッグ、あるいはその両方に使う。

 すぐにでも犯罪に巻き込まれた不運な市民を助けたかったが、わたしは耳を澄ましたままじっと待った。
 考えなしに迂闊に飛び出すのはこの場にいる誰にとっても危険だった。わたしや被害者はもちろんのこと、もののはずみで犯人たちを撃ってしまうことだってあり得る。そのためわたしは、少なくとも犯人たちが危害をくわえないうちは様子を見ることに決めた。
 そもそも相手がどんな武器を手にしていることもわからないのだ。犯罪は憎いが、のこのこ出ていって無駄に命を落とすのだけはごめんだ。

「金は持っていない」コンテナに隠れるわたしの耳に、第四の声が飛び込んできた。犯人たちよりもずっと歳を重ねた男の声だった。「さっきみんな使ってしまったんだ」
「見えすいた嘘つくんじゃねえよ」
「嘘じゃない。今晩の用事に大金は必要なかったからね。最低限の額しか持ち歩かなかったんだ」
「ならカードを渡しな」これは先ほどの女の声だ。
「それはおすすめしないな、お嬢さん。盗難されたカードは足がつきやすいし、電話一本ですぐに支払い機能を止められるんだ。それにポン引きにカード払いはきかないだろう。そもそも、わたしは現金しか持たないんだ」

 このやりとりに、わたしはふと違和感に気づいた。
 冷静すぎたのだ。犯人たちではなく、襲われているはず人物が。
 むしろ興奮しているのは強盗たちで、男性はそれをなだめてさえいるような口調だ。タフガイを気取っている可能性もあったが、いまのところ声に強がっている様子もない。この局面において、襲われた彼は驚くほど肝が据わっていた。

「がたがたぬかすな!」
「おいおい、なにで脅しつけてるんだ? ふむ……ナイフか? 残念だがそれじゃあ安っぽすぎるな。せめて銃くらい用意しないと」
「銃なんざ持ってねえ!」

 潮時だ。コンテナから飛び出したわたしは腰を落として銃を構えた。

「警察よ、武器を捨てなさい!」

 はじめにこちらを見たのは女だった。その顔には声から察したとおりの、いやそれ以上に少女のようなあどけなさが残っている。もしかするとキャシーと同年代か、あるいはもっと若いのかもしれない。
 少女はわたしに気づくなり、すぐさま踵を返して路地の奥へと逃げ出した。それをきっかけに男のうちのひとり(こちらもまだ少年といってもいい見た目だった)が少女のあとに続く。

「くそっ!」最後に残された男が悪態をつく。

 銃を構えるわたしとナイフを握る強盗。
 そのあいだに立つ男性に、わたしの視線は一瞬釘付けにされてしまった。彼のことは先ほどダイナーで見かけたばかりだったからだ。忘れもしない、鼻の頭に存在感抜群のサングラスをのせたあの常連客。

 ミスター・ウェリントンに注意を向けてしまったわたしの隙をついた最後のひとりの行動は、ある意味で賢明なものだった。彼はわたしを口汚く罵ると、ミスター・ウェリントンの背中を突き飛ばして一目散に逃げていったのだ。

「止まりなさい!」わたしは遠ざかっていく強盗の背中に狙いを定めた。「止まれ!」

 二度の警告を無視して、強盗は路地にたちこめるもやの向こうへと消えていった。

 結局、わたしは引き金を引かなかった。
 あの距離で命中させる自信はなかったし、それ以上に、わたしと強盗のあいだにはうずくまるミスター・ウェリントンがいた。なにかの間違いで、流れ弾が彼に当たらないともかぎらなかった。

 わたしは銃をおろすと、強盗たちが消えた方角をじっと見つめていた。
 気がつけば肩で息を切らしていた。強盗たちと対峙してから満足に呼吸もできていなかったのだ。
 銃をホルスターにしまう手も、緊張感がとけて小刻みに震えている。いまになって自分がいくつかの幸運と偶然の重なりによって窮地を脱することができたのだと気づかされた。

 もしも、身を潜めるまえに強盗たちに見つかっていたら。
 もしも、彼らがナイフのほかに銃を持っていたら。
 もしも、彼らが逃げるのではなく、わたしに反撃していたら。

 ひとつでも見誤っていたら、わたしかミスター・ウェリントン、あるいは双方が命を落としていたかもしれない。
 わたしの後頭部を冷たい手が撫でていく。それは幽霊の手であり、いまは亡き父の手でもあるとわたしは直感していた。

 地面にしゃがみこむミスター・ウェリントンの傍らに、例のサングラスが落ちていた。
 突き飛ばされた拍子に顔からはずれたのだろう。サングラスはまったく光を通さず、レンズの向こう側の景色を真っ黒に覆い隠している。わたしはそれを拾いあげると、もう片方の手を彼に差しのべた。

「怪我はない?」
「ああ、ありがとう刑事さん」言いながらミスター・ウェリントンはわたしの手をとって立ち上がった。身を起こす瞬間、予想以上に強い力が手に伝わってくる。
「警察よ……って、あなたいまなんて?」
「ありがとう、刑事さん」わたしの手を離して服の汚れを払い落しながら彼は繰り返した。「怪我はありません、このとおり。上着が濡れてしまいましたがね。それ以外は無事です」

 ミスター・ウェリントンと正面から視線がかち合い、わたしの頭の中で瞬くようにダイナーでのことがよみがえった。

 彼とキャシーは手を取り合っていた。だがそれはふたりの仲が良かったからでも、ミスター・ウェリントンが彼女をエスコートしていたからでもない。むしろその反対で、キャシーがミスター・ウェリントンを店の出口まで案内していたのだ。

 ミスター・ウェリントンには瞳がなかった。
 瞳全体が白濁しているというよりも、両方の眼球が水晶か、ビリヤードの手玉のような白一色の透き通るようなものだったのだ。
 車のヘッドライトか、それとも街の照明か。どこからか差し込んだ光がミスター・ウェリントンの瞳の無い眼に反射する。彼はその光にも構わず、わたしを真っ直ぐに見つめてきた。
 いや、正確には見つめてなどいない。どこか焦点の合わない白い瞳は明らかな事実を告げていた。
 ミスター・ウェリントンは盲目だったのだ。
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