第二章 59

文字数 2,056文字

「きみの言うことが正しければ、わたしも怪物なんだろうな」

 ジョンのひとことにわたしは弾かれるように顔をあげた。
 違う、あなたは怪物なんかじゃない。
 そんな言葉が口をついて出そうになったが、わたしはなにも言えなかった。言ったところで、それは安っぽい慰めにすぎない。

「わたしは、そんなつもりで言ったんじゃないわ」今度はわたしが詫びるような声で答えた。
「わかっているさ。だがわたしにも、わたしなりの道理があってこの仕事を続けているんだ。もっとも、きみに理解してもらえるとは思っていないがね。おそらくふたりでどれだけ語り尽くしたとしても、この問題ばかりは平行線のまま結論がでないだろう。そもそも結論を出す必要のある問題でもないからね。
 それでも気が変わった。わたしのことを最後まで話そう。だからきみにも最後まで聞いてほしい、今日ここで。
 種をまき、苗を育てたんだ。刈りとるまでしなくては」

 守っていた過去への沈黙を破った反動だろう、ジョンはいつしか自らの半生を語ることに積極的になっていた。そして同時に、自分の過去にこだわることにも、自分の生き方についてもかたくなだった。
 どれだけ説得しようとも、わたしの言葉がジョンに届くことはないとわかりきっていた。彼の半生の最初の数ページがどれだけしあわせに彩られていたとしても、そこから先は、幼い少年が直面するにはあまりにも過酷なことばかりだったのだ。それこそ、未発達な精神が歪んでしまうほどに。

 だが、わたしはそれでもジョンを見限ることはできなかった。刑事としての性分というより、彼の性質がわたしをそうさせていたのかもしれない。彼は他の殺人者とはなにかが違っているように思えた。
 わたしがそう言ったところで、ジョンは単に殺しを商売にしているからさ、とうそぶくだろう。
 だが……ならばジョン・リップをジョン・リップたらしめている理由はなんなのか。

 やがでジョンはゆっくりと話を再開した。

「チェコの音楽家ドヴォルザークはアメリカに渡って交響曲第九番を作った。わたしが思うに、きっと船首から望む新大陸に感銘を受けたんだろう。
 だがわたしにはなんのインスピレーションも浮かんでこなかった。船倉を出たのは船が港に着いてからだったし、陸地に着く直前まで昏々と眠り続けていたからだ。

 新世界にたどりついたとき、わたしは外の様子もわからないような暗い船倉にいた。だからわたしはこの大陸に着くなり、何者かになろうと決意したんだ。
 そこでまずは、自分で自分に名前をつけようと思った。ピーノからもらったジョンという名は甘んじて受け入れた。名前をふたつもいっぺんに持っていたらややこしいし、名付け親はどうであれ、わたしはさしあたりジョンという響きが気に入っていたからね。
 そうしているうちに、間に合わせの名前がすっかり定着してしまったというわけさ。

 次にわたしに必要なものは姓だった。わたしをわたしたらしめる、わたしを照らす炎のようなものが必要だった。
 それで名乗った、ジョン・リップと。読み書きもろくにできない十歳かそこらの子供の思いつきにしては上出来だったよ」
「リップはどこから?」わたしは訊ねた。
「両親の墓石から。いや、両親の墓参りをしたことはないがね。それどころか葬式にも出ていない。
 きっかけとなった墓石を見たのは、ほかの多くの子供たちと一緒に売人のトラックの荷台に乗っていたときだった。途中、墓地のそばを通ったんだが、そこで年長の少年がわたしにこう言ったんだ。
『見ろよ、世界じゅうの墓石にはみんなあの文字を刻むんだ』と。きっとからかい半分だったんだろうが、親を失ったばかりの子供にとっては不思議と励みになったよ。どこであろうと墓石さえ見れば、自分は死んだ両親と会えるんだと思い込むことさえできた。

 いや、正直いまでもそう思っているよ。それで刻まれた文字をそのまま姓にもらうことにしたんだ。なにより綴りが短くていい。たった三文字だからね。すぐに覚えることができたよ。
 碑文の言葉が死者への慰めを意味すると知ったのはずっとあとになってからだった。それでも名前を変えるつもりはなかった。ほかの姓を名乗ったら最後、わたしは両親との唯一のつながりが断ち切られると思った。そしてそれは、わたしにとって両親の本当の死を意味すると。
 これがわたしが死をもっとも恐れている理由さ。それはわたし自身の死だけを意味するわけじゃない。大切な人の死というのは、なによりも堪え難いものなんだ」
「それがあなたの名前、あなたの炎ってことなのね?」
「そうだ。炎が消えたら、わたしは凍え死んでしまうよ」
「悪くない言いまわしね」わたしは思わず笑みをこぼした。
「〝胸のなかに炎を持て、それが真珠の浮かぶ反吐の海を渡る唯一の方法だ〟――わたしの恩人が教えてくれた教訓だ」
「それは、ちょっと……」
「ああ、下品な表現ではあるな。それでも彼は……レオは炎を持つ男で、わたしは彼から炎をわけてもらえたからこそ、今日まで生きてこられたんだ」
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