第二章 30

文字数 3,266文字

「それじゃあ、未来の話をしようじゃないか。これできみの要求を全部で三つかなえた。ビールを飲むこと、ビールを持ってくること、それから未来の話をすること。対してきみには部屋の片付けと生活習慣の改善のふたつを要求している。つまりわたしからはもうひとつ要求できる計算だが、どうかな?」
「お好きにどうぞ」

 わたしの返事にジョンは頷くとふたたび自分のビールを傾けた。やはり顔をしかめてはいるものの、まったくの下戸というわけではなさそうだ。
 意外にも、わたしは不満を隠そうともしない彼の飲み方を気に入っていた。

「なら、もうひとつの要求については少し考えさせてもらおう」
「オーケイ。それじゃあまずは、これからのことね。あなたの過去についていまは訊かないけど、知ってることは話してもらおうかしら……アルベローニ・ファミリーのことよ。ずばり連中のことをどれだけ知ってるの?」
「個人的な関わりはないよ。だがどちらかといえば敵対関係にはあるな。これまでの仕事でファミリーの人間を何度か標的にしたことがある」
「そう言ってたわね。それに、失敗したことに関しても。つまりその、あなたの仕事のことだけど……」
「殺しをしくじったことだろう? だがその二度のどちらも、ファミリーを相手にしたときとは違う、そうも言ったはずだ。だがリサ、このことを言う必要はないだろう。この話題はわたしの過去に触れているぞ」
「そうね。じゃあ話を戻しましょう。実は標的リスト……つまり燃やしていないわたし用のファイルをひと通り読んでみたんだけど、その全員がアルベローニ・ファミリーのメンバーだった。リストの最後の標的、誰だったと思う?」
「ロドルフォ・デ・アルベローニ」
「ご名答。ファミリーのボスよ。こんなことっていままでにあった?」
「いや、ファミリーのメンバーが標的になったことは何度かあったが、たしかにこれは露骨だな。まるで組織を壊滅させかねないいきおいだ」
 わたしは壜を口元にあてながら少し考え、「指令が書かれたファイルはいままでもあの金庫から取り出されたの?」
「いいや、普段はマートンがファイルを持参してきた。それもあれだけ分厚いものではなく、一件だけ……つまりいままでは、暗殺の内容がひとつだけ記されたファイルが用意されるだけだった」
「つまり、それまであの金庫が開けられることはなかった?」
「何度かはあったよ。だが中身が空になっている様子はなかった。おそらくこまめに内容を更新していたんだろうが、確実なことは言えないな。なにせこの目だから」
「あの金庫はいつからあったの?」
「わたしがあの家に住んで少し経ってからだ。仕事の下準備をしているときにマートンが持ち込んできた」

 わたしは頷いた。つまりファイルの中身は一部分が入れ替えられることはあれど、その大部分があの金庫の中で長いあいだ眠り続けていたのだ。マートンの後任であるわたしがこの手で開けるまでは……

「マートンの死」わたしは呟いた。
「ああ。おそらくそれがきっかけになったんだろう。根本的な原因ではないにしろ、やつの死は大きな転換点になったんだ」

 警察と犯罪組織が敵対関係にあるのは当然の話だ。アルベローニ・ファミリーが何度もジョンの標的になっているというのその証左でもある。
 それでもマートンの死には、この単純な関係性の裏に複雑ななにかが息づいているのを感じる。そして<ホワイトフェザー>に預けた弾丸が、その手がかりになるのかもしれない。

「ところできみは、ロドルフォ・デ・アルベローニについてどれだけ知っている?」ジョンはそう訊ねると、ビールをひとくち飲み、またぞろ顔をしかめた。
「どれだけって……とにかく悪いやつよ」
「簡潔にして無知な、それでいて的を射た所見をどうも。これを機会に覚えておくといい。順調に仕事が進んでいけば、アルベローニは最後に当たる相手だ」
「順調にいけば、取り巻きはみんな檻の中、やつは丸裸も同然よ」
「だろうな、だが聞いてくれ。

 ロドルフォはアルベローニ家の長男だった。弟がひとりと、双子の妹たちがいたが、いずれもすでに他界している。イタリア人の父親が家族を連れてアメリカに渡ったのは、彼が八歳のときだった。
 家庭環境は悪く、ロドルフォは十五歳でイタリア系マフィアの使いっ走りになった。目端の利くやつで、すぐにその才覚が認められて借金の取り立てを任されるまでになった。

 ある日ロドルフォは取り立てた借金を持ち出して行方をくらました。大した額ではなかったが、下っ端になめられたと知れたらマフィアの面子に関わる。すぐに裏切り者のロドルフォに刺客が向けられた、彼はそれを死体にして組織に送り返した。全身を犬釘で刺された死体はスポンジのように穴だらけだったそうだ。
 これに激怒した組織はボス自らが陣頭指揮をとってロドルフォを追ったんだが……これがまずかった。こすっからい盗人ネズミを追いつめたと思いきや、連中はたったひとりの少年に追いつめられていたのさ。

 ロドルフォがどこで組織をはめたのかはわからない。
 路地裏か、それとも埠頭の先端か。だが場所はどこでもいい。重要なのは、そこで待ち構えていたのがロドルフォだけではなかったということだ。彼の弟は下町でギャングの下っ端をしていたんだが、それが総がかりで組織に奇襲をかけたんだ。
 敵は銃を持った強面の大人たちだったが、愚連隊はなんとも思わなかった。もとよりロドルフォ側のほうが人数で勝っていたし、景気づけに打ったドラッグでハイにもなっていた彼らには死への恐怖心もなかった。
 鉄パイプや金梃子で武装した集団はわずか十分足らずでボスともどもマフィアの追っ手を皆殺しにしてしまった。敵味方を問わず、脳漿があたり一面に飛び散るほどの凄惨さだったらしい。
 そして血で血を洗うような争いのなか、唯一アルベローニ兄弟だけは無傷だった。

 あとでわかったことだが、奇襲の前、少年たちにドラッグをまわしたのはロドルフォだった。彼はそうやって自分の弟に仲間を捨て駒にするよう指示を出すと、あとは高みの見物をきめこんだわけだ。
 結局、マフィアとギャング団はどちらも主要なメンバーを欠いたせいで急速に弱体化していった。その両方をロドルフォは手練手管で自分のものにしてしまった。総取りさ。彼は組み直したふたつの組織のトップにつくと、その名をアルベローニ・ファミリーとあらためた。それからギャング団をファミリーの下部組織につけて、弟をそこのトップにすえたんだ。
 ロドルフォ・デ・アルベローニ、十八歳のときだ。

 旗揚げ当初のファミリーは、それでも吹けば飛ぶような弱小組織だった。だがロドルフォは狡猾で冷徹な男だった。そしてそれ以上に、慎重だが行動力のある男だった。

 こんな逸話がある。
 ファミリーのとある幹部が、敵対する組織に捕まったときのことだ。幹部の男は拷問され、そのとき握っていた麻薬の密売ルートの秘密を白状してしまった。ガッツのある男だったが、仕方なかった。なにせ枝斬り鋏で自分の男としての尊厳を切り落とすと脅しつけられていたんだからな。
 その後仲間に救いだされた彼は、アルベローニに己の失態を詫びた。アルベローニは彼を許した。ただし、無事だったいちもつを、幹部自らの手で切り落とさせたあとで。
 アルベローニはなにも腹を立ててそんな命令を下したわけじゃない。あらゆる敵対組織が密売ルートをハイエナのようにつけ狙っていたし、その秘密は遅かれ早かればれるようなものだった。アルベローニは彼の組織に対する忠誠心を問うたんだ。

『ナニを切り落とされるなんて、さぞ恐ろしかったろう。だがこれで恐怖と痛みの底は知れたはずだ。それに、もう大事なものを失うこともない。なにせ失うものがもう無いんだからな』

 アルベローニは血でずぶ濡れになった股ぐらをおさえる幹部にそんなことを言ったそうだ。彼は目的のためなら手段を選ばない。部下の命なんてどうとも思っていないし、必要とあらば彼らを犠牲に差し出すことも厭わない男だ」
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