第二章 106
文字数 1,516文字
ホールの出口に殺到していた市民の多くは蜘蛛の子を散らすように署内から消えていたが、それでも全員が逃げおおせたというわけでもなかった。わたしは応戦した数秒のあいだに、逃げ遅れた人たちの姿を目にしていた。
銃弾……わたしたちの銃から放たれたものでないことを祈るばかりだ……を受けて床に倒れている者。
出口に向かうのをあきらめ、かといって警察側の陣地である奥にも行けず、ホールの隅でうずくまっている者。
携帯電話を取り出してどこかへ連絡つけようと試みている者もいる。
そんな人々の中心に立ち、サム・ワンは悠々とした手つきで空になった弾倉を抜き出した。テープでジャングルスタイルに連結されたふたつの弾倉は、上下を反転させるだけですぐさま銃に新しい弾丸を送り込んだ。
わたしはふたたびサム・ワンと相対すると、立て続けに引き金を引いた。弾切れになるまで撃ったが、どれもかすりもしなかった。
利き手を負傷していたので、慣れない左手での射撃するリッチーをはじめ、ほかの署員たちも応戦したが、どれも案山子のようにただ立っているだけのサム・ワンには命中しなかった。
弾丸が避けている。悪魔のような力でサム・ワンが弾道を逸らしている。
頭に浮かんだ馬鹿げた考えをわたしは振り払った。
この距離でも拳銃の狙いがはずれるのはよくあることだ。平静を欠けば照準は乱れ、焦りが募って照準の乱れにつながる。悪循環は命のやりとりの場において、やがて恐慌を生み出す。
サム・ワンを目にしたとき、わたしが宿していたのも殺意などではなかったのかもしれない。あれはただ単に自分自身を見失っていただけのことではなかったか。
だが、そうしたことはすべて人間の正常な反応だといえる。こんな状況において、平然としていられるサム・ワンこそが、むしろ異常なのだ。
そのサム・ワンのライフルがまたしても弾丸を吐き出す。反応の遅れた署員たちが弾を食らい、次々に倒れていった。
「くそ! このままじゃなぶり殺しだ!」リッチーが叫ぶ。
わたし自身、さきほどまでのことが嘘のように闘志がみるみる萎えていくのを感じた。
弾丸を逸らす超能力があろうとなかろうと、サム・ワンが悪魔的であることにかわりはない。そして悪魔を倒せる人間など、本当の意味でいるわけがない。
もしいるとしたら……
〝あんたなら確実にその仕事をやれるはずだよ〟
これは昨日トチロウが……このときはまだ、自分の祖父が無残な殺されかたをするとは夢にも思っていなかったときのトチロウが不敵に言ってみせた言葉だった。
その言葉に、いまのわたしは淡い期待を抱いていた。しかしそれは同時に、どこまでいっても期待にすぎなかった。
悪魔を倒せる人間……彼がこんな襲撃が起きていることは知る由もないだろうし、仮に彼がここでの事態を知って駆けつけてくれたとしても、十九分署に着くころにはすべてが終わっているだろう。彼の家はここから何ブロックも離れているのだ。
そもそもここは、わたしたちの砦だ。わたしたち警察官だけでなんとかするしかない。
だが決意をかためたところで、劣勢であることにかわりはなかった。このままでは九回を待たずにコールド負けだ。
だしぬけにポケットで携帯電話が鳴り、わたしは身をすくませた。
「どうしてもはずせない用事か? なら先に帰ってもいいぞ」携帯電話を取り出すわたしに、リッチーが応戦しながらそう叫ぶ。
ディスプレイには非通知の表示が出ていた。
わたしはしばしば呆けたように画面を見つめたあと、通話ボタンを押して耳をあてた。半信半疑でありながら、なかばすがるような気持ちだった。
「待たせたな。配置についた」
ジョン・リップの声だった。
銃弾……わたしたちの銃から放たれたものでないことを祈るばかりだ……を受けて床に倒れている者。
出口に向かうのをあきらめ、かといって警察側の陣地である奥にも行けず、ホールの隅でうずくまっている者。
携帯電話を取り出してどこかへ連絡つけようと試みている者もいる。
そんな人々の中心に立ち、サム・ワンは悠々とした手つきで空になった弾倉を抜き出した。テープでジャングルスタイルに連結されたふたつの弾倉は、上下を反転させるだけですぐさま銃に新しい弾丸を送り込んだ。
わたしはふたたびサム・ワンと相対すると、立て続けに引き金を引いた。弾切れになるまで撃ったが、どれもかすりもしなかった。
利き手を負傷していたので、慣れない左手での射撃するリッチーをはじめ、ほかの署員たちも応戦したが、どれも案山子のようにただ立っているだけのサム・ワンには命中しなかった。
弾丸が避けている。悪魔のような力でサム・ワンが弾道を逸らしている。
頭に浮かんだ馬鹿げた考えをわたしは振り払った。
この距離でも拳銃の狙いがはずれるのはよくあることだ。平静を欠けば照準は乱れ、焦りが募って照準の乱れにつながる。悪循環は命のやりとりの場において、やがて恐慌を生み出す。
サム・ワンを目にしたとき、わたしが宿していたのも殺意などではなかったのかもしれない。あれはただ単に自分自身を見失っていただけのことではなかったか。
だが、そうしたことはすべて人間の正常な反応だといえる。こんな状況において、平然としていられるサム・ワンこそが、むしろ異常なのだ。
そのサム・ワンのライフルがまたしても弾丸を吐き出す。反応の遅れた署員たちが弾を食らい、次々に倒れていった。
「くそ! このままじゃなぶり殺しだ!」リッチーが叫ぶ。
わたし自身、さきほどまでのことが嘘のように闘志がみるみる萎えていくのを感じた。
弾丸を逸らす超能力があろうとなかろうと、サム・ワンが悪魔的であることにかわりはない。そして悪魔を倒せる人間など、本当の意味でいるわけがない。
もしいるとしたら……
〝あんたなら確実にその仕事をやれるはずだよ〟
これは昨日トチロウが……このときはまだ、自分の祖父が無残な殺されかたをするとは夢にも思っていなかったときのトチロウが不敵に言ってみせた言葉だった。
その言葉に、いまのわたしは淡い期待を抱いていた。しかしそれは同時に、どこまでいっても期待にすぎなかった。
悪魔を倒せる人間……彼がこんな襲撃が起きていることは知る由もないだろうし、仮に彼がここでの事態を知って駆けつけてくれたとしても、十九分署に着くころにはすべてが終わっているだろう。彼の家はここから何ブロックも離れているのだ。
そもそもここは、わたしたちの砦だ。わたしたち警察官だけでなんとかするしかない。
だが決意をかためたところで、劣勢であることにかわりはなかった。このままでは九回を待たずにコールド負けだ。
だしぬけにポケットで携帯電話が鳴り、わたしは身をすくませた。
「どうしてもはずせない用事か? なら先に帰ってもいいぞ」携帯電話を取り出すわたしに、リッチーが応戦しながらそう叫ぶ。
ディスプレイには非通知の表示が出ていた。
わたしはしばしば呆けたように画面を見つめたあと、通話ボタンを押して耳をあてた。半信半疑でありながら、なかばすがるような気持ちだった。
「待たせたな。配置についた」
ジョン・リップの声だった。