第二章 111
文字数 2,563文字
「やつは署内にまだ爆弾を仕掛けているかもしれん」救助が落ち着きはじめたところを見計らい、リッチーは集めた署員たちにそう言った。「まあ、もしそうだとしたらここはとっくに精肉工場のくずかごみたいになってるだろうが、念には念をいれておこう。完全に調べるまでは安心できんからな」
リッチーの言うとおりサム・ワンの仕掛けた爆弾がまだ残っている可能性は低かったが、わたしにとってこれはうってつけの口実になった。
署内の復旧と通常勤務の人員を残し、召集された署員の半分以上が爆弾の捜索に割り当てられ、わたしもそれに志願した。
もちろん、爆弾の捜査が本当の目的ではない。
「どんな些細なことでもいい。なにかあったらすぐに報告してくれ」
リッチーの合図とともに、捜索隊は十九分署内に散った。わたしはさきほどまで腰かけていた階段をのぼると、まっすぐマグブレイン署長のオフィスがある三階を目指した。
案の定、署長の姿はなかった。
だがここにはつい最近まで入り浸っていたらしい。ろくな換気もせずにしめきっていたのだろう、中年男性特有の饐えた体臭とともに、酒の強いにおいが充満していた。
窓を開け放ちたい衝動を抑え、強烈なにおいに堪えながらオフィスを見てまわる。
はじめは出入り口周辺を控えめにあさっていたわたしだったが、馴れていくにつれて行動が次第に大胆になっていった。巨漢の暴君が鎮座する、玉座のようなオフィス奥の事務机にもやすやすと近づくことができた。
署長の姿が見えないことに安心し、サム・ワンとの戦闘で擦り減った神経が礼節を捨て去ってしまったことも、わたしの大胆さに一役買っていた。
わたしは事務机をまわりこむと、窓を背にしてオフィスを見渡した。マクブレイン署長は普段、こんな景色を見ながら呼び出した部下をどやしつけていたのか。
署長の椅子を引いて腰かけると、埋まるように背もたれに身をあずけながら考えをめぐらせた。それから手をのばし、机の抽斗へと手を伸ばす。
鍵をこじ開けるために金梃子が必要だという考えが頭をよぎったが、その必要はなかった。抽斗はどれも施錠されておらず、そして大したものが入っていなかった。雑多な書類や文房具、それから隠すように奥にしまってあった酒瓶とグラス、戦利品といえばそれぐらいだった。
机の端に陣取る端末を立ち上げ、署長だけが知っているであろうログインIDとパスワードに侵入を阻まれたが、普段からこの端末がろくに使われていないのは、キーボードにうっすらと積もった埃を見ればあきらかだった。
やはりここにはなにもないのだろうか。端末の電源を落としながらわたしはため息をついた。
だが思いなおす、ここで間違いはないはずだ。署長がここで長い時間を過ごしていた形跡がそれを物語っている。
腕を組んでオフィスの中にぐるりと視線をめぐらせる。
長年マクブレイン署長の巨体を支えていた椅子がきしんだ音をたてるなか、ふと出入り口のドアの上に飾ってあるエンブレムが目に止まった。いつだったか、ジョンとの職務の進捗報告をしたとき、署長はわたしの頭上を通り越してあのあたりをじっと見つめてはいなかったか。
「あれは……」
そう呟くことで、椅子に沈めていた身体を起こすことができた。そうでなければ、サム・ワンとの戦闘による疲労を抱えたまま、いつまでも上司の椅子に横たわっていただろう。
エンブレムはドア枠の上の壁にかけられており、わたしの身長では届きそうにない。廊下の突きあたりにある物置部屋で脚立を見かけた気がしたが、確かめにいく時間も惜しかった。
わたしは署長の椅子をエンブレムの下まで運ぶと、そこに足をかけた。キャスターつきの椅子はぐらつき、両足で乗ると座面そのものが回転した。ひとりでここにいられてよかった。椅子の上でツイストを踊る滑稽な姿など、誰にも見られたくない。おまけに本人はいたって真面目なのだ。
危ういバランスをたもちながらも、わたしはどうにか椅子の上に安定して立つことができた。目線がちょうどエンブレムと同じ高さになる。
普段は気にとめるどころか視界にも入らない代物が少し斜めに傾いて壁にかかっており、放置された端末のキーボードのように埃もたまっていない。それを見て、わたしはさらに確信を深めた。
わたしはエンブレムを持ち上げて椅子の上にしゃがみこむと、慎重に両足を床におろした。そのまま椅子に腰かけ、手にしたものをしげしげと見つめる。
エンブレムは縦十インチ、横七インチほどの木製の長方形で、中心には楯をあしらったレリーフが彫られている。
「連邦警察特別功労賞……功労賞、ね」
筆記体があしらわれた金糸文字を口に出して読む。つまりこれは、マクブレイン署長の功績を称えられて授与されたものであると同時に、その裏で働いていたジョンの成果の賜物でもあると考えて差し支えあるまい。
エンブレムにはそのほかにマクブレイン署長を賞賛する文句が同じく金糸文字で長々と書かれているだけで、ほかに変わったところはなかった。
裏側にはなんの装飾もなかったが、やはり埃ひとつかぶっていないのは不自然だ。つまりこれは、最近まで誰かがこのエンブレムを手に取っていたことを意味するのではないか。
マクブレイン署長はその恰幅のよさもあってかなりの長身で、わたしが椅子に乗らなければならない高さにも、楽に手が届くはずだ。ドア枠の上という場所が、ますます彼にとってなにかを隠すにはうってつけの場所に思えてくる。エンブレムなら金庫と違って持ち運びもしやすいし、あえて目立つところに飾れば、そこが隠し場所だとは想像しにくい。
だがこの中に隠しておきたいものがあったとして、それはなんなのか。わたしはさらにエンブレムを手のなかでいじくりまわした。
ぱきっという音がして、わたしはてっきりエンブレムを割ってしまったのかと思った。だが、実際には裏面の一部がわずかにずれただけだった。
ずれた部分はちょうど、リモコンの電池蓋のように手前に引くことができ、そこから小さな空洞があわられた。どうやらあとから細工をしたものらしい。その中を探ると、一枚のメモリーカードが出てきた。
それを手にした瞬間、わたしは全身が粟立った。これこそが捜し求めていた手がかりだと直感したのだ。
リッチーの言うとおりサム・ワンの仕掛けた爆弾がまだ残っている可能性は低かったが、わたしにとってこれはうってつけの口実になった。
署内の復旧と通常勤務の人員を残し、召集された署員の半分以上が爆弾の捜索に割り当てられ、わたしもそれに志願した。
もちろん、爆弾の捜査が本当の目的ではない。
「どんな些細なことでもいい。なにかあったらすぐに報告してくれ」
リッチーの合図とともに、捜索隊は十九分署内に散った。わたしはさきほどまで腰かけていた階段をのぼると、まっすぐマグブレイン署長のオフィスがある三階を目指した。
案の定、署長の姿はなかった。
だがここにはつい最近まで入り浸っていたらしい。ろくな換気もせずにしめきっていたのだろう、中年男性特有の饐えた体臭とともに、酒の強いにおいが充満していた。
窓を開け放ちたい衝動を抑え、強烈なにおいに堪えながらオフィスを見てまわる。
はじめは出入り口周辺を控えめにあさっていたわたしだったが、馴れていくにつれて行動が次第に大胆になっていった。巨漢の暴君が鎮座する、玉座のようなオフィス奥の事務机にもやすやすと近づくことができた。
署長の姿が見えないことに安心し、サム・ワンとの戦闘で擦り減った神経が礼節を捨て去ってしまったことも、わたしの大胆さに一役買っていた。
わたしは事務机をまわりこむと、窓を背にしてオフィスを見渡した。マクブレイン署長は普段、こんな景色を見ながら呼び出した部下をどやしつけていたのか。
署長の椅子を引いて腰かけると、埋まるように背もたれに身をあずけながら考えをめぐらせた。それから手をのばし、机の抽斗へと手を伸ばす。
鍵をこじ開けるために金梃子が必要だという考えが頭をよぎったが、その必要はなかった。抽斗はどれも施錠されておらず、そして大したものが入っていなかった。雑多な書類や文房具、それから隠すように奥にしまってあった酒瓶とグラス、戦利品といえばそれぐらいだった。
机の端に陣取る端末を立ち上げ、署長だけが知っているであろうログインIDとパスワードに侵入を阻まれたが、普段からこの端末がろくに使われていないのは、キーボードにうっすらと積もった埃を見ればあきらかだった。
やはりここにはなにもないのだろうか。端末の電源を落としながらわたしはため息をついた。
だが思いなおす、ここで間違いはないはずだ。署長がここで長い時間を過ごしていた形跡がそれを物語っている。
腕を組んでオフィスの中にぐるりと視線をめぐらせる。
長年マクブレイン署長の巨体を支えていた椅子がきしんだ音をたてるなか、ふと出入り口のドアの上に飾ってあるエンブレムが目に止まった。いつだったか、ジョンとの職務の進捗報告をしたとき、署長はわたしの頭上を通り越してあのあたりをじっと見つめてはいなかったか。
「あれは……」
そう呟くことで、椅子に沈めていた身体を起こすことができた。そうでなければ、サム・ワンとの戦闘による疲労を抱えたまま、いつまでも上司の椅子に横たわっていただろう。
エンブレムはドア枠の上の壁にかけられており、わたしの身長では届きそうにない。廊下の突きあたりにある物置部屋で脚立を見かけた気がしたが、確かめにいく時間も惜しかった。
わたしは署長の椅子をエンブレムの下まで運ぶと、そこに足をかけた。キャスターつきの椅子はぐらつき、両足で乗ると座面そのものが回転した。ひとりでここにいられてよかった。椅子の上でツイストを踊る滑稽な姿など、誰にも見られたくない。おまけに本人はいたって真面目なのだ。
危ういバランスをたもちながらも、わたしはどうにか椅子の上に安定して立つことができた。目線がちょうどエンブレムと同じ高さになる。
普段は気にとめるどころか視界にも入らない代物が少し斜めに傾いて壁にかかっており、放置された端末のキーボードのように埃もたまっていない。それを見て、わたしはさらに確信を深めた。
わたしはエンブレムを持ち上げて椅子の上にしゃがみこむと、慎重に両足を床におろした。そのまま椅子に腰かけ、手にしたものをしげしげと見つめる。
エンブレムは縦十インチ、横七インチほどの木製の長方形で、中心には楯をあしらったレリーフが彫られている。
「連邦警察特別功労賞……功労賞、ね」
筆記体があしらわれた金糸文字を口に出して読む。つまりこれは、マクブレイン署長の功績を称えられて授与されたものであると同時に、その裏で働いていたジョンの成果の賜物でもあると考えて差し支えあるまい。
エンブレムにはそのほかにマクブレイン署長を賞賛する文句が同じく金糸文字で長々と書かれているだけで、ほかに変わったところはなかった。
裏側にはなんの装飾もなかったが、やはり埃ひとつかぶっていないのは不自然だ。つまりこれは、最近まで誰かがこのエンブレムを手に取っていたことを意味するのではないか。
マクブレイン署長はその恰幅のよさもあってかなりの長身で、わたしが椅子に乗らなければならない高さにも、楽に手が届くはずだ。ドア枠の上という場所が、ますます彼にとってなにかを隠すにはうってつけの場所に思えてくる。エンブレムなら金庫と違って持ち運びもしやすいし、あえて目立つところに飾れば、そこが隠し場所だとは想像しにくい。
だがこの中に隠しておきたいものがあったとして、それはなんなのか。わたしはさらにエンブレムを手のなかでいじくりまわした。
ぱきっという音がして、わたしはてっきりエンブレムを割ってしまったのかと思った。だが、実際には裏面の一部がわずかにずれただけだった。
ずれた部分はちょうど、リモコンの電池蓋のように手前に引くことができ、そこから小さな空洞があわられた。どうやらあとから細工をしたものらしい。その中を探ると、一枚のメモリーカードが出てきた。
それを手にした瞬間、わたしは全身が粟立った。これこそが捜し求めていた手がかりだと直感したのだ。