第三章 8

文字数 2,263文字

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 ジョンの家のまわりには人だかりができていた。いや、それはもはや家と呼べるような代物ではなかった。
 まるで竜巻の直撃でも受けたように、かつてわたしが通っていた建物は一階部分を残して骨組みだけになっていた。ジョンの、そしてかつてはカルノーのものだったアンティークデスクもニューオーウェルの精巧な模型も、わたしの定位置だった籐椅子も、みんな吹き飛んでしまっていた。

 わたしは、目の前に広がる光景に呆然とした。現場では規制線も張られており、その内側で作業する人々の動きは慌しかった。

「なにがあったの?」

 わたしは近くを通った消防隊員に声をかけた。かざした警察バッジが奏功したのか、彼は足を止めてくれた。

「見ればわかるだろう。建物が吹き飛んだのさ」
「死者は?」規制線をくぐりながら訊ねる。
「さてね。いつくずれるかわからんし、ついさっきやっとこさ火を消し止めたところだ。これから捜索にはいるが、誰もいないことを祈るよ」

 わたしが礼を言うと、消防隊員は足早に立ち去っていった。

 振り返り、規制線の内側から野次馬たちを見渡す。
 爆破が故意であることはまず間違いない。目は自然と、サム・ワンの姿を探していた。
 今朝の警察署での銃撃戦が脳裏をよぎり、全身が緊張で強張る。たとえ手負いの相手であっても……むしろ相手が手負いであるからこそ、ここでサム・ワンと事に及ぶのは避けたかった。

 ふと、路地の一点で目が止まる。ちょうど野次馬が途切れたタイミングに視線を向けなければ気づけなかっただろう。
 ただしわたしが見たのはサム・ワンではなかった。規制線を出て群衆をかきわけてまっすぐ進み、歩道の隅でうずくまる人物に声をかける。

「キャシー?」

 わたしが話しかけると、キャシーは怯えきった表情でこちらを見上げた。
 普段の溌剌さを欠いた顔つきでも彼女の美しさは少しも損なわれることがなく、むしろ危うげな色気が際立っていた。それどころか、普段の魅力が百人のハートを射止めるのだとすれば、このときの彼女は千人の胸を焦がしかねなかった。

「リサ? ああ……どうしよう」
「落ち着いて」わたしは上着を脱ぐと、それを肩にかけてやった。キャシーの身体は小刻みに震えており、仕事着のブラウス一枚しか身に着けていない肌は冷えきっていた。「なにがあったの?」
「わからない。通りかかったのよ、わたし。ここ、ミスター・ウェリントンの家でしょ? 彼を見たわ。三階でなにかが光って、消えて、それからあんな……」

 途切れがちなキャシーの言葉に、わたしはふたたびジョンの家を振り返った。やはり彼は中にいたのだ。
 わたしはキャシーを立たせると、通りかかった制服警官にバッジを見せた。

「建物の中に入れないかしら?」
「それはまだわたしらの仕事じゃありませんや」口ひげをたくわえた巡査はうんざりした様子でこたえた。ニューオーウェルにいる多くの警察官がそうであるように、どうやら彼も散々な一日をおくったらしい。
「そうよね。それじゃあ、彼女を頼めるかしら? パトカーに乗せて、なにか温かいものでも飲ませてあげて」

 なかば押し付けられるようにしてキャシーの肩を抱いた巡査は、彼女の容貌を目にして態度を豹変させた。

「飲みかけでよければコーヒーがあります。ご注文とあれば熱々のスープだって用意しましょう」
「助かるわ」

 わたしはキャシーの肩に手をのせて頷いてみせると、彼女の瞳に不安がよぎるのを見ないふりをして、規制線伝いに建物をぐるりとまわりこんだ。
 建物の裏手にも規制線は張られていたが、道幅が狭いせいで正面とくらべるとだいぶ手薄だった。あたりもひっそりと静まり返っており、停まっている車も一台だけ、それも一般車だった。
 裏口に立つ警察官のひとりに目を留めて、わたしはすかさず声をかけた。

「ティム!」

 呼びかけられたティムはぎくりと身をすくめたあとにこちらを見た。それから遠目からでもわかる大きなため息をついてみせた。

「どうしておまえがここにいるんだ」ティムが歩み寄りながら訊ねる。「署が銃撃されたらしいじゃないか、今日の騒ぎはいったいなんなんだ?」
「いまは説明してる暇はない。とにかく中に入れてくれない?」
「無茶言うな」
「おねがいよ」
「いい加減にしてくれ。これまで散々振り回されてきたんだ。おまえが男だったらぶん殴ってやるところだ」

 わたしは黙ってティムを見つめ返した。彼も負けじと睨み返してきたが、ふたたび大きなため息をついた。

「いまのは悪かった。言葉のあやだ」
「これが終わったら殴ってくれてもなんでもいい。だからおねがいよ。わたしはあなたの邪魔をしたいわけじゃない、これを終わらせたいだけなのよ」
「リサ……おまえ、なにか知ってるのか? ここ最近様子がおかしかったが、まさか――」
「いまはなにも言えない」わたしはそう遮った。

 わたしはティムが、てっきり三回目のため息をつくのだと思った。だがその予想に反して、彼は裏口のそばに立っていた警官に向きなおって声をかけた。

「ジョージ、ちょっとこっちにきてくれ!」と、それから声を落としてわたしに、「いまのうちに行け。いいか、これが最後だからな」
「ありがとう」
「約束だからな。終わったら教えろよ」

 わたしは頷くと、規制線をくぐって建物に向かった。
 途中ですれちがった警官のジョージがこちらを見てきたが、わたしは視線を合わせなかった。
 裏口に立っていたのがティムだったのは僥倖というほかない。そしてこれが、一連の事件でわたしが彼に言った最後のわがままとなった。
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