第三章 9
文字数 1,581文字
裏口から入った建物の中は、思っていたよりも損壊が少なかった。
爆発したのが三階部分だったからだろう。壁や天井が耐火レンガで組まれているのか、火の手による被害も少ない。ただし消火に使った大量の水のせいで、床や壁、天井までもが水浸しだった。
わたしがいる場所は、いつも出入りしている正面玄関のちょうど反対側に位置していた。
ここはビルに居を構えていた教科書倉庫の事務所かなにかの成れの果てなのだろう。はじめて入った部屋には白い布をかぶった机や棚といった調度品がひしめいていた。暗くじめついた雰囲気もあったせいで、それらはまるで死衣をまとった古典的な幽霊のようだ。
わたしは建材の焦げるにおいが漂うなか、天井から落ちる水滴で濡れネズミになりながら幽霊の集会所のような部屋をゆっくりと進んでいった。
少し進むと、右手にすりガラスをはめた間仕切りがあらわれた。その先にあるドアをくぐると、いつものエントランスに出た。
火事による断線だろうか、カウンターの上のステンドグラスのランプは消えている。それを見て、わたしは急に心細くなった。
ここを訪れるといつもこのランプが灯っており、三階の書斎には必ずジョンもいた。日々通っているなかでこの家に少なからず愛着を感じていたということに、わたしはいまさらながら気づかされた。
わたしは階上ではなく、階段そばのドアへと向かった。どのみちジョンの居室があった三階はもうこの世に存在しない。
地下の射撃場に通じるドアを開けると、床にたまっていた水が急流を作りながら階下へ流れていく。
もしも、とわたしは考えた。
もしもジョンが生き残っている可能性があるとすれば、そして火事のあいだも生き延びている可能性があるとすれば、射撃場に身を隠す以外に方法はないはずだ。ジョンの生死がはっきりすることはそら恐ろしかったし、彼が死んだなんて信じたくなかった。
それでもわずかな望みにすがるように、それから水びたしの階段に足をとられないように、わたしはゆっくりと地下へとおりていった。
地下室はほとんど無傷といってよかった。それどころか、わたしが一昨日ここに来たときとほとんど変わらない様子だった。うちっぱなしのコンクリート壁の射撃場は、同時にシェルターの役割も果たしているのかもしれない。
「ジョン?」
呼びかけながら電灯をつける。ありがたいことに地下の電力は生きていた。ここだけは別の系統から電気をひいているのかもしれない。
わたしたちが長い時間をかけて話をしたショウケースつきのカウンターも、コーラの空き壜もそのままだった。
射撃の的も同じままだろうか。レーンのほうに視線を向け、わたしは息をのんだ。
射撃場の奥、イヤーマフや予備弾倉を置く台の向こう側の暗がりで人が倒れている。
わたしは反射的に台を乗り越えると、相手のもとへと駆け寄った。
「ジョン! しっかりして!」
抱き起こしたわたしの手に、相手の感触が伝わってくる。彼の身体は想像していたよりずっと軽かった。
そして彼の身体以上に軽いなにかが、わたしの手首をくすぐる……毛皮だろうか。
わたしは目をこらした。標的を見やすくするために本来は明るいはずの射撃場の奥が、妙に薄暗い。
不意に、本来は標的をぶら下げるためのこの空間が、生きている人間が入ってはいけない場所に思えた。
生命を持たないものか、生命を失った者だけが足を踏み入れられる場所。そう考えた瞬間、わたしの背筋を冷たいものが走る。
「ジョン?」
呼びかけながら、わたしはこの感触に心当たりがあることを思い出した。
それに直接触れたわけではない、どころか、それを着た人物には近づきたくもなかった。
動物の毛皮と丈夫な化学繊維で縫われたこの上着は……モッズコートだ。
わたしが飛びのくのよりも早く、サム・ワンはわたしの腕の中で身を起こした。
爆発したのが三階部分だったからだろう。壁や天井が耐火レンガで組まれているのか、火の手による被害も少ない。ただし消火に使った大量の水のせいで、床や壁、天井までもが水浸しだった。
わたしがいる場所は、いつも出入りしている正面玄関のちょうど反対側に位置していた。
ここはビルに居を構えていた教科書倉庫の事務所かなにかの成れの果てなのだろう。はじめて入った部屋には白い布をかぶった机や棚といった調度品がひしめいていた。暗くじめついた雰囲気もあったせいで、それらはまるで死衣をまとった古典的な幽霊のようだ。
わたしは建材の焦げるにおいが漂うなか、天井から落ちる水滴で濡れネズミになりながら幽霊の集会所のような部屋をゆっくりと進んでいった。
少し進むと、右手にすりガラスをはめた間仕切りがあらわれた。その先にあるドアをくぐると、いつものエントランスに出た。
火事による断線だろうか、カウンターの上のステンドグラスのランプは消えている。それを見て、わたしは急に心細くなった。
ここを訪れるといつもこのランプが灯っており、三階の書斎には必ずジョンもいた。日々通っているなかでこの家に少なからず愛着を感じていたということに、わたしはいまさらながら気づかされた。
わたしは階上ではなく、階段そばのドアへと向かった。どのみちジョンの居室があった三階はもうこの世に存在しない。
地下の射撃場に通じるドアを開けると、床にたまっていた水が急流を作りながら階下へ流れていく。
もしも、とわたしは考えた。
もしもジョンが生き残っている可能性があるとすれば、そして火事のあいだも生き延びている可能性があるとすれば、射撃場に身を隠す以外に方法はないはずだ。ジョンの生死がはっきりすることはそら恐ろしかったし、彼が死んだなんて信じたくなかった。
それでもわずかな望みにすがるように、それから水びたしの階段に足をとられないように、わたしはゆっくりと地下へとおりていった。
地下室はほとんど無傷といってよかった。それどころか、わたしが一昨日ここに来たときとほとんど変わらない様子だった。うちっぱなしのコンクリート壁の射撃場は、同時にシェルターの役割も果たしているのかもしれない。
「ジョン?」
呼びかけながら電灯をつける。ありがたいことに地下の電力は生きていた。ここだけは別の系統から電気をひいているのかもしれない。
わたしたちが長い時間をかけて話をしたショウケースつきのカウンターも、コーラの空き壜もそのままだった。
射撃の的も同じままだろうか。レーンのほうに視線を向け、わたしは息をのんだ。
射撃場の奥、イヤーマフや予備弾倉を置く台の向こう側の暗がりで人が倒れている。
わたしは反射的に台を乗り越えると、相手のもとへと駆け寄った。
「ジョン! しっかりして!」
抱き起こしたわたしの手に、相手の感触が伝わってくる。彼の身体は想像していたよりずっと軽かった。
そして彼の身体以上に軽いなにかが、わたしの手首をくすぐる……毛皮だろうか。
わたしは目をこらした。標的を見やすくするために本来は明るいはずの射撃場の奥が、妙に薄暗い。
不意に、本来は標的をぶら下げるためのこの空間が、生きている人間が入ってはいけない場所に思えた。
生命を持たないものか、生命を失った者だけが足を踏み入れられる場所。そう考えた瞬間、わたしの背筋を冷たいものが走る。
「ジョン?」
呼びかけながら、わたしはこの感触に心当たりがあることを思い出した。
それに直接触れたわけではない、どころか、それを着た人物には近づきたくもなかった。
動物の毛皮と丈夫な化学繊維で縫われたこの上着は……モッズコートだ。
わたしが飛びのくのよりも早く、サム・ワンはわたしの腕の中で身を起こした。