第二章 94

文字数 2,584文字

   8


 ジョンの長い話の締めくくりを聞いて、わたしの口は蝶番がはずれたようにあんぐりと開いた。
 レオやシシーと過ごした日々、行方知れずだったピーノ・アルベローニの最期、サム・ワンとの遭遇にも充分驚かされたが、マクブレイン署長との出会いはわたしにとって群を抜いていた。

「つまり、そこで署長と出会ったっていうの?」

 ジョンはゆっくりと頷いた。

「いまの仕事をあてがわれるのはもっとあとだがね。マクブレインがわたしを探していたのは警察組織へのスカウトでも、ましてやヘッドハンティングでもない。
 わたしはアルベローニ・ファミリーの情報を得るためのただの参考人として行方を追われていたんだ。

 レオの殺しの仕事に関わっていくなかで、わたしは知らず知らずのうちにファミリーの内情に明るくなっていた。警察はその情報を欲しがっていて、わたしにしてもファミリーの情報を売ることに対してはなんの抵抗も感じなかった。
 もともとレオにしか恩義を感じていなかったし、そんな彼はもうこの世にいない。警察に有益な情報を提供しているうちは衣食住と身の安全が保障されたし、切り売りできる情報には事欠かなかった。

 マクブレインは特にボスであるアルベローニ本人の情報を知りたがっていたよ。だが、わたしは彼の秘密を握ることはおろか、彼に会ったことすらなかった。そこでわたしは、さもアルベローニの重要な秘密を握っているかのように振る舞ってみせたんだ。
 レオから我らがボスの逸話をいくつも訊いていたので、わたしは保身のため、いかにもな真実味を織り交ぜた情報をほのめかしていた。自分がここまで口のまわる男だと思ってもみなかったよ。シェヘラザードの男性版もかくやと言ったところだ。
 マクブレインの色めきかたも尋常ではなかった。姿こそ見えなかったが、気配でそのことがよくわかった」

 わたしは上司であるマクブレイン署長がそこまでアルベローニに固執することに少なからず違和感をおぼえたが、ひとまずジョンの話を遮ることは控えた。

「わたしは現状を維持するだけでは安心できなかった。いくら大きな瓶でも水を流し続ければいずれは枯れてしまうのは道理で、わたしが警察に提供できる情報も底をつきかけていたんだ。そこでわたしはある賭けにでた。さらに重大な情報……つまりブラフなしの純然たる真実をちらつかせ、わたしは警察の保護下から抜け出そうと考えた。ニューオーウェルの一市民として新たな生活がはじめられるよう、マクブレインにもちかけたんだ」
「それで結果は?」
 ジョンは両手を広げてみせると、「ここでの暮らしさ。ただし、監視つきのね」
「ありえない」
「ああ、司法取引の範疇を超えているのはあきらかだ。だがここで立ち止まるわけにはいかなかった。相変わらずマクブレインに情報を提供し続ける必要があったし、なまじ市民権を与えられたということがマイナスに働きかねなかった」
「つまり、あなたは戸籍、社会保障番号その他を手に入れたおかげで市民になれた。けれど都合のいい幽霊ではいられなくなった」
「そのとおり。マクブレインが罪をでっちあげてわたしを逮捕しないともかぎらない。そこでわたしは二十年前、まさにこの場所でマクブレインにある勝負をもちかけた。ちょうどいましがたきみがやったように、十ヤード離れた標的をわたしが撃ち抜けるかどうかのね。
 もしできなかったら残りのアルベローニの情報をマクブレインにすべて打ち明け、恩赦で解消しきれなかった分の懲役をつとめる、と。もし命中させられれば、わたしに免責を与え、ここでの生活を生涯保障する。マクブレインはこの条件に飛びつき、無用心にもわたしに携行していた拳銃までよこしてきた。
 マクブレインはいつまでも情報を出し渋るわたしにじれていたし、なにより勝負は自分が圧倒的に有利だと考えていたんだろう。ところがだ……」
「あなたは見事標的を撃ち抜き、いまの生活を続けられるようになったってわけね。署長はさぞ驚いたでしょう、そのときの顔を見てみたかったわ」

見てみたかったよ。結果的に、マクブレインはわたしに新しい戸籍と家、それから表向きの仕事を与えてくれた。それには感謝しているよ。
 おまけに監視はゆるめられ、無罪放免の証として唯一の私物であったレオの拳銃まで返してくれた。路上生活でてっきりどこかに落としたか、質に売り飛ばしたものかと思っていたが、わたしはきちんと銃を手元に置いていたんだな。だが、これでめでたし、とはいかなかった。駆け引きに熱くなっているようでいて、マクブレインは次の手を考えていたんだ」
「それが暗殺だったってこと?」

 ジョンは頷いた。

「二十年前、ここでの勝負でマクブレインはわたしが培ってきた技術を見抜いたらしい。視力を失ったとしても、わたしはあのフラヴィオ・レオの弟子だ。マクブレインもレオのことを高く評価していたようだ。どうやらレオは掛け値なしに凄腕だったらしい。わたしはその高名にあやかったに過ぎないんだがね。
 マクブレインはそれから、いままでと違うアプローチでわたしから情報を引き出すことに心を砕いた。最小の労力で最大の打撃を与えるには、ニューオーウェル中にはびこる犯罪組織のどこを叩くべきか。
 きみが燃やしたファイルの中身を思い出してくれ。あれを最初に考案したのはマクブレインだった。わたしはそのアドバイザーといったところか。とはいえ、この計画に警察の部隊を表立って駆り出すわけにはいかない。きみも重々承知しているように、相手は往々にして司法の網をかいくぐる方法を知っている連中だ。正攻法で逮捕したとしても、すぐに檻のなかから大手を振って出てきてしまう」
「だから殺すってわけね。でもそんなこと、やっぱり警察官としては認められない」
「そのことについては充分話し合っただろう。事実、計画は動き出した。わたしは成り行きから、この街でただひとりの公認暗殺者としての人生を歩きはじめた。
 聞こえはいいかもしれないが、要するに単なる捨て駒さ。仕事に失敗してわたしが死ぬようなことがあれば、それ以上の情報は得られなくても厄介払いにはなる。マクブレインはそう考えていたんだろう。わたしが提供する情報の内容が、言わば搾りカスのようなものになりつつあったのも、彼がそう決断した理由のひとつだったのだろう」
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