第二章 79

文字数 1,228文字

 ジョンはカウンターに置いた紙幣はそのままにして、男を連れて店の奥へと進んでいった。公衆電話はトイレへと通じる短い通路の途中の壁にかかっていた。

 ジョンは受話器をとって肩と頬に挟み込むと、記憶していた番号でレオに電話をかけた。

 ありがたいことに電話は数回のコールでつながり、さらにレオが直接出てくれた。
 ジョンは娼館を出てからのことをかいつまんで伝え、それから自分はどうするべきか指示をあおいだ。

「そこで待ってろ」レオは言った。ジョンから裏切り者を捕らえたと突然告げられたにもかかわらず、声は平静そのものだった。そもそも、ジョンはレオとの長い付き合いの中で、彼が取り乱したり驚いた様子を目にしたことが一度もなかった。「迎えに行く。酒でもひっかけてろ。そいつを取り逃がさない程度に自制してな」
「なあ」電話を切ったジョンに、男が呼びかけてくる。それまでの反抗的なものとは違い、どことなく憐れみを誘うような声だった。「おれはこれからどうなるんだ?」
「知るもんか」ジョンは言った。これが男に対するはじめての素直な答えだった。そして同時にこれが最後でもあった。「とにかくこれからここに来るおれの仲間……ついでに言えばおまえが裏切った仲間だ……そいつらにおまえを引き渡す。それでおしまいだ。もう二度と会うこともないさ」

 ジョンはそれから、意味のない文句を男にまくしたてた。彼自身、それがまずい傾向だと知りつつも歯止めがきかなかった。疲労はピークに達しており、レオと話せた安堵から緊張も一気に緩んでしまっていた。
 レオに電話などしなければ、と後悔さえした。電話で助けを呼ぶ以外、この場を切り抜けられる手段がないと承知しているにも関わらず。

 もはや正常な判断ができるかどうかすら怪しい。
 さらにもっと悪いのは、殴りつけ、罵倒し、膝まで砕いたにも関わらず、シシーの部屋からバーまでの長い道のりをともに歩んできたこの男に対して、ジョン自身がある種の連帯感を抱いてしまっていることだった。
 心のほつれがこれ以上油断や同情を大きくさせることだけは避けたかった。

 来い。そういって強引に会話を断ち切ったものの、ベルトを引くジョンの手は強張っていた。
 あともう少しの辛抱だ。そうも思ったが、それは具体的にどれぐらいの時間だろうか。レオのいる場所からここまで、車を飛ばせばせいぜい十数分といったところだろう。しかし、いまの自分はそのわずかな時間でさえ長く感じてしまう。
 バスタブでシシーと再会してからここに来るだけでも果てしない時間を費やしたような気分だというのに、この期に及んでさらに長い時間待たなければならないのか?

 この男を確実にレオへ引き渡す。
 堪えなくてはならない時間の長さを頭から締め出し、ジョンはただそれだけを心に誓った。
 ここで男を逃がそうものなら、自分はとんでもない大間抜けだ。罠からはずしてやった拍子に獲物のウサギが手の中をすり抜けるなんてことは、あってはならない。
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