第二章 13

文字数 1,883文字

 あっさりとした答えに、幹部候補たちは顔を見合わせた。彼らの中からひときわ体の大きな男が歩み出てくる。
 大男はジョンの目の前まで迫ったが、盲目の彼はあらぬ方向に顔を向けていた。

「おいノロマ、こっちだ」

 大男は言いながらジョンのサングラスを顔からはずすと、それを放り投げた。サングラスは床の上を滑って積み上げられた木箱にぶつかると、片方の弦を折りたたんで止まった。

「リップね。グロスもたっぷり塗っておくか? 出口まで送ってやるぜ、唇野郎。どうやってここに入りこんだか知らねえが、とっととうせな」
「ひどいな。わたしのサングラスはどこだ」
「聞いたか?」大男が振り返る。「サングラスはどこだ、だとよ。いいからさっさと――」

 直後、大男のタフな声は悲鳴に変わった。それも少女があげるような悲鳴に。
 男の声の大きさと高さに反して、ジョンは大男の中指と薬指を握っているだけだった。相手が目を逸らした隙に、蛇のような素早さでもってつかんだのだろう。
 ジョンがさらに手をわずかに捻ると、大男の悲鳴は絶叫に変わった。組み合うふたりはまるで村祭りの踊りではしゃぐ若い男女のようだが、ひとりは盲目の四十がらみ、もうひとりは顔に脂汗をにじませている大男だった。

 ジョンが腕をおろしながら指をふたたび捻ると、相手の体の向きを反転させた。仲間たちに向き直った大男は、両目を飛び出さんばかりに剥いていた。
 腰を曲げて背後から男の耳に顔を近づけると、ジョンは冷たく言った。

「リップのつづりは〝R〟ではじまる。いいか、イニシャルは〝R〟だ。だからグロスもリップクリームも必要ない」

 ジョンはそう言って大男を解放してやると同時に、その尻を強く蹴り上げた。大男は足をもつれさせながら仲間たちのほうへと近づき、いきおいあまって机に激突した。
 衝撃で机が倒れ、カードやコイン、それに酒壜などがけたたましい音とともに床に転がる。

 残りの幹部候補たちはしばし転んだ仲間を呆然と見つめていたが、我に返るなりやおら上着のポケットから引き抜いた拳銃をいっせいにジョンへと向けた。

「よくもやってくれたな。クックをこんなにしちまいやがって」そう言ったのは最初にこの倉庫に入ってきた銜え煙草の男だった。「まわれ右して帰れとはもう言えなくなっちまったぜ。大人しくくたばってもらおうか」

 ジョンは佇んだまま、身じろぎひとつしなかった。

「おい、聞いてるのか。なんとか言ってみろ!」

 と、ジョンは右手をゆっくりと肩まで持ち上げると、人差し指だけを天井に向けた。幹部候補たちが首をかしげるのを尻目に、ジョンが立てた指を口元に運ぶ。

「しいぃぃ……」

 細く尾を引く吐息がその動作の狙いどおり、あたりを静かにさせる。

 それが合図だった。
 わたしはこの一部始終を倉庫の二階、建物の内側にぐるりと設けられた手摺付きのキャットウォークのかげから見ていた。
 わたしは彼らから目を離さないまま、背後に手をのばしてつかんだレバーを一気に引き下げた。

 どこかで重々しい音がすると、天井のすべての照明が、まぶたを閉じるように明かり消した。
 闇の中へと逆戻りした倉庫内のどこかで、発電機の唸りがみるみる小さくなっていく。

「おい、なんだ?」
「知らねえよ。いきなり暗くなりやがった」
「やつはどこにいる? 野郎、ぶっ殺してやる」
「待て、静かにしろ」

 倉庫内は、さきほどジョンがもたらした以上の静寂につつまれていた。階下のささやき声が、わたしのすぐそばであがっているように思えるほどに。
 やがて息づかい以外に、衣擦れの音や、無用心にも誰かが鼻をすする音までがそこかしこであがってくる。

 視覚が閉ざされた分、わたしの聴覚は鋭敏になっていた。もしかしたら、これがジョンが普段から身を置いている世界なのだろうか。もちろんまったく一緒というわけではないが、ほとんど同じだとしても過言ではないだろう。

 そしてふたたび静寂。いまなら、倉庫の片隅で綿埃が転がる音さえ耳にできそうだ。

 静寂を破ったのは閃光と、同時に炸裂した発砲音だった。

「撃たれた!」

 誰かの苦痛と驚きを伴った満ちた声をきっかけに、倉庫内のあちこちで銃声があがった。同時に叫び声も。わたしの耳はその声に恐怖が混じっているのを聞きとっていた。

 閃光があがるたび、男たちの驚きに満ちた表情が闇を背景に浮かび上がる。それらはほんの一瞬だけあたりをまばゆく照らすと、すぐに闇の中へと溶けていった。

 何度か、閃光にきらめく白い瞳も目にした。それはわたしの網膜に強く焼きつくと、倉庫の暗闇を亡霊のようにいつまでもさまよっていた。
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