第二章 23
文字数 1,721文字
ハインラインは、ニューオーウェル西側の海岸線に沿って南北に敷かれている廃高架線を再利用した空中の散歩道だ。
全長はおよそ一マイル、高さは地上からおよそ三十フィートで、二階建てのビルほどの高さからは人々や車が行き交う街並みを見渡すことができる。当時のおもむきを残した通路はすべて板張りで、古い歴史を感じさせる錆びた線路や分岐点の一部なども保存されている。
暖かい季節になると木々や緑が周囲を包み、展望ポイントやプレイスポット、芝生を敷きつめた広場なども完備されている。
数年前に完成して以来、ハインラインは地元民の新たな憩いの場となっていた。
それでも早朝となれば、そこにはほとんど人通りがない。
わたしは前日の雨で湿った木道で足を滑らせないよう注意しながら、ハインラインを流しはじめた。現場から離れたせいで鈍った体の勘を取り戻そうと、ジョギングをしているのだ。
もちろん、シェイプアップだけがここにきた目的ではない。
走りながら、わたしはリッチーのことを考えていた。もっと言ってしまえば、昨日十九分署でばったりと顔を合わせたときから、ずっと彼のことが頭から離れなかった。
リッチーがわたしをマートン殺害の一件からはずすだけでは飽き足らず、部外者として事件そのものから距離を置かせたがっていることは明らかだった。
問題はその理由だ。ただ単に事件を嗅ぎまわっているわたしをうっとおしく思ってのことではないだろう。わたしを含めて誰もが認めているように、リッチーは事件の解決については人一倍真摯に向き合う刑事だ。
そんなリッチーがわたしの排除という、犯人の逮捕とは無関係とさえ言えることに心を砕くようには思えなかった。それなのに、彼はアルに根回しまでしてわたしの行動を阻もうとしている。そこには先輩刑事としての嗜めや厳しさを垣間見ることはできなかった。
リッチー、あなたはいったいこの事件にどう関わってるの?
家でひとり、ベッドの上に座りながら、いつしかわたしはそんな疑問を抱いていた。
そんな昨夜までのことをとりとめもなく考えながら、どれだけの距離を走っただろう。気温の低さで頬が冷え、息があがってきたところで朝もやのなかに佇むジョン・リップを見つけた。
わたしは、ペースを落としながら彼に近づいていった。
「やあ、おはよう」
ジョンは道沿いの柵に身をあずけたまま、こちらに向き直ることもなく言った。盲目のジョンがわざわざわたしのほうを向くのは無意味だし、彼の鋭い聴覚がわたしの接近を素早く感じ取っていたのも知っている。わたしは彼の隣に立つと、同じように柵に身をあずけた。
「おはよう」街並みを眺めながらわたしは言った。
「まさかここまで走ってきたのか?」
「しばらく運動不足だったからね。ねえ、少し歩かない? いまはいいけど、汗が冷えたら風邪をひいちゃうわ」
「もう少しだけ待ってくれ」
ジョンはそう言って柵の向こうに広がる風景に向き直った。そこには両側をビルで挟まれた大通りが真っ直ぐ伸びていた。早朝のニューオーウェルに人気は少なく、路肩に停まった車さえもまだ眠りについているようだ。
しばらくして、わたしたちが見つめていた大通りの先、突きあたりに建つ背の低いビルの輪郭が赤く縁どられたかと思うと、その向こうから朝日が顔を出した。街はその輝きで、瞬く間に照らし出されていく。夜の影を追い払い、世界はその姿を黄金色に変えていった。
「すごい……」思わずわたしは息をのんだ。「ここ、街の西側でしょ」
「ああ。だがここはたまたまビルの谷間に位置していてね。この季節には朝一番の太陽を拝むことができるんだ。わたしはここからの眺めが好きでね」
「目が見えないのに? ……っと、ごめんなさい」
「いいんだ。だが、太陽の熱を感じることならできる。それで充分だ。それだけで、わたしは故郷に思いを馳せることができる」
「いま、なんて?」
「なんでもない。さあ、歩きながら話そう」
「太陽のおかげかしら、なんだか身体が温かいわ」
「気のせいさ、行こう」
ジョンは柵から身を離すと、ハインラインを歩きはじめた。
わたしはもう一度ここから望む光景を目に焼きつけてから、彼のあとをついていった。
全長はおよそ一マイル、高さは地上からおよそ三十フィートで、二階建てのビルほどの高さからは人々や車が行き交う街並みを見渡すことができる。当時のおもむきを残した通路はすべて板張りで、古い歴史を感じさせる錆びた線路や分岐点の一部なども保存されている。
暖かい季節になると木々や緑が周囲を包み、展望ポイントやプレイスポット、芝生を敷きつめた広場なども完備されている。
数年前に完成して以来、ハインラインは地元民の新たな憩いの場となっていた。
それでも早朝となれば、そこにはほとんど人通りがない。
わたしは前日の雨で湿った木道で足を滑らせないよう注意しながら、ハインラインを流しはじめた。現場から離れたせいで鈍った体の勘を取り戻そうと、ジョギングをしているのだ。
もちろん、シェイプアップだけがここにきた目的ではない。
走りながら、わたしはリッチーのことを考えていた。もっと言ってしまえば、昨日十九分署でばったりと顔を合わせたときから、ずっと彼のことが頭から離れなかった。
リッチーがわたしをマートン殺害の一件からはずすだけでは飽き足らず、部外者として事件そのものから距離を置かせたがっていることは明らかだった。
問題はその理由だ。ただ単に事件を嗅ぎまわっているわたしをうっとおしく思ってのことではないだろう。わたしを含めて誰もが認めているように、リッチーは事件の解決については人一倍真摯に向き合う刑事だ。
そんなリッチーがわたしの排除という、犯人の逮捕とは無関係とさえ言えることに心を砕くようには思えなかった。それなのに、彼はアルに根回しまでしてわたしの行動を阻もうとしている。そこには先輩刑事としての嗜めや厳しさを垣間見ることはできなかった。
リッチー、あなたはいったいこの事件にどう関わってるの?
家でひとり、ベッドの上に座りながら、いつしかわたしはそんな疑問を抱いていた。
そんな昨夜までのことをとりとめもなく考えながら、どれだけの距離を走っただろう。気温の低さで頬が冷え、息があがってきたところで朝もやのなかに佇むジョン・リップを見つけた。
わたしは、ペースを落としながら彼に近づいていった。
「やあ、おはよう」
ジョンは道沿いの柵に身をあずけたまま、こちらに向き直ることもなく言った。盲目のジョンがわざわざわたしのほうを向くのは無意味だし、彼の鋭い聴覚がわたしの接近を素早く感じ取っていたのも知っている。わたしは彼の隣に立つと、同じように柵に身をあずけた。
「おはよう」街並みを眺めながらわたしは言った。
「まさかここまで走ってきたのか?」
「しばらく運動不足だったからね。ねえ、少し歩かない? いまはいいけど、汗が冷えたら風邪をひいちゃうわ」
「もう少しだけ待ってくれ」
ジョンはそう言って柵の向こうに広がる風景に向き直った。そこには両側をビルで挟まれた大通りが真っ直ぐ伸びていた。早朝のニューオーウェルに人気は少なく、路肩に停まった車さえもまだ眠りについているようだ。
しばらくして、わたしたちが見つめていた大通りの先、突きあたりに建つ背の低いビルの輪郭が赤く縁どられたかと思うと、その向こうから朝日が顔を出した。街はその輝きで、瞬く間に照らし出されていく。夜の影を追い払い、世界はその姿を黄金色に変えていった。
「すごい……」思わずわたしは息をのんだ。「ここ、街の西側でしょ」
「ああ。だがここはたまたまビルの谷間に位置していてね。この季節には朝一番の太陽を拝むことができるんだ。わたしはここからの眺めが好きでね」
「目が見えないのに? ……っと、ごめんなさい」
「いいんだ。だが、太陽の熱を感じることならできる。それで充分だ。それだけで、わたしは故郷に思いを馳せることができる」
「いま、なんて?」
「なんでもない。さあ、歩きながら話そう」
「太陽のおかげかしら、なんだか身体が温かいわ」
「気のせいさ、行こう」
ジョンは柵から身を離すと、ハインラインを歩きはじめた。
わたしはもう一度ここから望む光景を目に焼きつけてから、彼のあとをついていった。