第二章 101

文字数 2,692文字

   9


 ジョンと別れたのは結局日付が変わってからだった。
 屋上をあとにしたわたしたちは地上でタクシーを二台拾うと、それぞれの家路に着いた。
 さすがに奇蹟的な再会はなく、どちらのタクシーの運転手もあのドレッドヘアの男ではなかった。きっと彼はもう店じまいをしたのだろう。

 わたしは家に着くと、靴を脱ぐのも忘れてベッドに倒れこんだ。肌寒い夜だったが、全身を心地よく巡るワインのおかげで上掛けは必要なかった。眠っていたのは三、四時間ほどで、充分な長さとはいえなかったが、質のよさはそれをもって余りあった。
 いっさいの気がかりや不安から解放されて眠りにつくことができたのはいつ以来だろうか。わたしは日の出とともに行動を開始した。

 熱いシャワーを浴びて残った眠気と汗を洗い流すと、簡単な朝食をとって身支度をする。前夜のリュックに自分用の印字された標的リストを入れ、二丁の拳銃を身につけて家を出た。

 地下の駐車場には愛車のダッジが停まっていた。施錠はされておらず、鍵は運転席の日よけに挟まっている。ティムは約束を果たしてくれたのだ。

 あとでコーヒーでも差し入れてやろう、そう思いながらエンジンをかける。
 昨夜の屋上での会話はジョンとわたしの和解のあとも続いた。あれからさらに今後のことを話し合っていたのだ。



「バイキングみたいにお酒を酌み交わして友情を称えあうだけじゃダメよ」ワインのせいでわたしはすっかり饒舌になっていた。「西部開拓時代の正義のガンマンよろしく悪党をやっつける作戦を練らないと。わたしがワイアット・アープ。あなたはドク・ホリディ。おわかり?」
 ジョンは肩をすくめると、「保安官殿のお供はごめんだが、今後のことを話し合う必要があるのは同感だね。おまけに友情を深めるための酒を誰かさんが飲み干してしまった日には、それしかすることがなさそうだ」
「それは言いっこなし。ところでジョン、あなたったらいい加減話し疲れてるんじゃないの? なにせ自分の生い立ちをまるまる喋りつくしたんだもの」
「ああ、正直へとへとだ」
「そうよね。だから今度はわたしが話すわ。ちょうどいまの考えも聞いてほしいし」
「いいだろう」

 ジョンは腰をおろし、組んだ両手を立てた膝の上に置いた。
 ワインのせいだろうか、それだけでわたしたちのあいだに焚き火が見え、大都会のニューオーウェルが未開拓の荒野になった。その空想に密かに高揚しながらも、わたしの意識ははっきりとしていた。

 わたしはひとつ咳払いをすると、「思うに、すべての出来事は繋がってる。マートンの死、その後任に就いたわたし、ミヤギさんの死、あなたの仕事、そして過去。これらすべてに関わっているのが――」
「サム・ワンか」
「ええ。事の発端をマートンの死と仮定して、殺害したのはサム・ワンで間違いないわね」
「わたしへの疑いはようやく晴れたわけだ」ジョンは言った。
 わたしは肩をすくめると、「マートンが死んだことで、あなたの監視役が空席になった。そこでわたしがその後釜についた」
「きみが選ばれた理由はなんだ?」
「優秀だったから、と言いたいところだけど……そうじゃなさそうね。とにかくわたしはあなたの仕事に携わった。同時にマートン殺害の犯人を追い、そこにサム・ワンの存在が浮上してきた。ところであなたは彼……もしくは彼女を二十年前に殺したんでしょう?」
「手ごたえはあった。だが結局それは思い込みだった」
「そんなサム・ワンを雇っていたのがアルベローニ・ファミリーだった。そしてそれは、きっといまもそう。なにか見えてこない?」
「つまり、警察と組織とのあいだに対立構造があると。当たり前の話ではあるが、お互いに殺し屋まで雇ってすることじゃないな」
「ええ。それに、これは対立なんて穏やかなものじゃない。報復の応酬……殺し屋を使った代理戦争とでも言えるものよ。まず警察側のマートンが殺され、次にアルベローニ側のハニーボールが殺された。それからミヤギさんが……」
「きみは報復の応酬というが、わたしはどうもしっくりこないな」
「どうして?」
「対立関係に異論はないがね。行き当たりばったりにしては、そのひとつひとつが的確すぎる。わたしの監視役に、調達屋。最小の労力で最高の打撃をあたえるやり方にしても計画性を感じるよ。なにせ、わたしたちには殺しのリストがあらかじめ用意されていて、その内容は逐一更新までされていたんだからな」
「つまり、警察と組織は……少なくとも警察側はこういう事態が起きるとあらかじめ予期していた」

 わたしはあごに手を添えて考えた。
 確かにこれまでの応酬には、ジョンが言うようなある種の計画性を感じる。
 命を奪うという物騒な要素をはずしてみれば、それは無作法な殴り合いというよりもチェスのようなゲーム性すら窺わせるものだ。

「ねえ、ところでこれまで標的を殺すのではなく、捕まえたってことはあった?」
「きみがわたしに指図したようにか? 無いね。わたしは殺し屋だ」
「ご高説どうも。わたしはやっぱり暗殺を警察の職務だなんて認められないけど」
「わたしにすべてを任せるんじゃなかったのか?」
「あなただって、必要なとき以外に殺しはしないと言ったはずよ」

 そこでわたしは思い直した。酔いによって血が上りやすくなった頭を振って、冷静さを取り戻す。

「やれやれ、また振り出しね。いい加減話を前に進めましょうよ」
「そうだな。わたしたちだけでこの仕事の是非をいくら問うたところで埒があかない」
「ええ。とことで、マクブレイン署長はあなた側の意見に賛同してくれるみたいよ。悪は始末しろってね」
「嬉しくて涙が出るよ」ジョンがうそぶく。
「わたしたちが標的を殺害ではなく逮捕したと知って、署長は激怒したわ。それこそ、セーターから出る小さな静電気ひとつで爆発しそうないきおいで。弁護士のときよ。でも二度目、あの倉庫で幹部候補たちに同じことをしたときには、そこまで強く言ってこなかった。やってることは一緒なのに、どうしてだと思う?」
「わからないな」
「署長は事情が変わったとも言ってたわ。ここもなにか怪しいのよね。まあ、署長のことはとりあえず棚上げしましょ。さて、ここまで話してみてわたしたちはこれからどうするべきだと思う?」
「結論までは用意していないのか?」
「事態の対処で精一杯よ。ただ、刑事としてあたってみる目星はついたわ。マートンが殺されたのを起点に、それ以前にあなたが手にかけた標的のことよ。もっと言ってしまえば過去に標的となったアルベローニ・ファミリーの関係者について。どう? 調べてみる価値はあるんじゃない?」
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