第二章 114

文字数 2,288文字

 帰宅は困難をきわめた。
 激しい疲労がぶりかえしていたし、メモリーカードの中身を見たい衝動で気持ちがはやっていた。事故を起こさなかったことどころか、ダッジを無傷のまま自宅の駐車スペースにおさめられたことさえ奇蹟と言えた。

 家に着くと、まっさきに寝室にあるノートパソコンに向かった。
 ジョンに電話をする必要を感じていたし、それ以上にいますぐベッドにもぐりこみたい誘惑にもかられていたが、メモリーカードへの興味はそれらを上回った。

 机に向かって電源を立ち上げOSのロゴが表示されるあいだも、わたしは睨むようにディスプレイをじっと見つめた。そうすることで少しでも起動が早まればいいと思った。
 普段自宅であまり端末を使う機会がないので、スリープモードにはせず電源を完全に落としていたのだ。その習慣を恨めしく思えるほどわたしは焦れていた。

 OSのアップデートが始まったり、メモリーカードの規格が端末に合わなかったら、わたしは今度こそ取り乱していただろう。
 だがそうはならなかった。
 端末はすんなりとメモリーカードを受け入れると、コネクターそばのランプを柔らかな緑色で点灯させた。表示されたウィンドウからデータ読み込みのアイコンを選択すると、パスワードを要求される。
 わたしは唇に手をあてて少し考え、キーボードに指を置いた。

『thebrind』……ザ・ブラインドとそのままのつづりを入力する。

 わたしの入力にプログラムはあっさりと承認を下した。自分の直感へ感謝するとともに、さらに核心へと近づいたことに気持ちが昂ぶる。

 表示されたのは整然と並ぶフォルダのアイコンだった。名前も「001」から順に番号がふられているだけで、これといった特徴はない。わたしは手近なフォルダを開き、息をのんだ。

 データには人物の顔写真、経歴、身体的特徴とともに、日付と小さな範囲で記された地図などが載っていた。
 それがなんなのかはすぐにわかった。これと同じ類いのものがわたしの手元にあり、それが今朝、管内のすべての警察署にばらまかれたばかりだったからだ。

 かつてニューオーウェル市を暗躍したマフィアやギャング、驚いたことに地方議員から警察関係者まで、その内容は多岐にわたった。
 最初に開いた「001」のデータに記された日付はいまから二十年近く前のもので、フォルダの数も百を超えていた。おそらくあるタイミングからデータを電子化してこのメモリーカードへ移しかえられたのだろう。

 これは間違いなく<ザ・ブラインド>、つまりジョン・リップの殺しの備忘録だ。

 読み進めていくと、アルベローニ・ファミリーの関係者データも見つかった。わたしがホールの端末から出力し、それを見たリッチーが裏切り者といった人物のものだ。
 だがデータには暗殺に必要な情報こそ載ってはいたものの、彼らの人物像までは書かれていなかった。インターネットで彼らの名前を検索もしてみたが、同姓同名の人物が運営するブログやSNSがヒットしただけで収穫はほとんどなかった。

 いちおうは有名人だからだろう、結局ネット検索でヒットしたのは、ロドルフォ・デ・アルベローニ本人だけだった。ただし彼は実業家という肩書きで、かぎりなく黒に近い灰色の存在として紹介されていた。

 調査は早くも行き詰まり、わたしはアルベローニ・ファミリーの情報をまとめたサイトのページを眺めることぐらいしかできなくなってしまった。それは『ニューオーウェルの真実』と題された個人運営のサイトで、取り扱っているのはどれもゴシップ的な内容が多い。
 アルベローニ・ファミリーの項目にしても、ニューオーウェルの下水道を住処にする巨大ワニと、世界を裏から操る権力者たちの秘密結社とのあいだにはさまっていた。
 情報源も関連書籍や当時の新聞記事を参照したものでしかない。わたしが入手できる捜査資料ほどの価値があるようには思えなかったが、それでも一通り読んでおくことにした。

 画面をスクロールするたびにたまった疲労が睡魔に変わってゆき、わたしを蝕もうとしてくる。船を漕ぐように頭を揺り動かしながら、わたしは夢と現実のあいだを行き来した。

 眠りに落ちかけていた頭が現実に引き戻されたのは、ページに記載されていた西暦が目にとまったときだった。記事では、ある時期を境にアルベローニ・ファミリーがその規模を拡大したことが書かれている……いまから十年近く前のことだ。
 その年月日に心当たりがあったわたしは、すぐに眠りの淵から転がり出た。ウィンドウを切り替え、メモリーカードに蓄積された情報を引っ張り出す。暗殺されたアルベローニ・ファミリーのデータだ。
 その人物が殺された日、つまりジョンが暗殺を実行した日付が、ファミリーが急成長を遂げた時期と前後している。
 興奮をおさえながら、わたしは残りのファミリーのデータと情報サイトの記事とを照らし合わせた。それをひとつずつ確かめるごとに、わたしの頭の中でパズルのピースがはまっていくのを感じた。

 どこからか隙間風が吹き、わたしは履いていた革靴ごと両足をすり合わせたが、右手はマウスを操作し、目はディスプレイを追い続けた。

 あたりに注意を払うことを怠っていたのだろう。疲れもあったし、自宅にいる安心感もあった。
 だから背後に人が立っているのに気がついたのは、その人物に殴られて昏倒する直前だった。
 衝撃を受けて椅子ごと床に倒れこんだわたしが最初に考えたのは自分の身を守ることではなく、自宅に戻ったときにはたして玄関を施錠していたのかどうかだった。

 やがてその思考も闇に飲まれていった。
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