第二章 5

文字数 1,073文字

 翌朝、わたしは早い時間から身支度を整えていた。
 この数日間で部屋は散らかりはじめていた。シンクの中には危険水域には至ってないものの、使ってそのままにした食器もたまりつつあったし、洗濯した衣服もアイロンをかけないまま部屋の隅に追いやられている。
 もとからこんな部屋に住んでいたわけではない。これでもきれい好きなほうで、制服警官時代にはティムから、わたしに恋人ができないのは隙がないからだと言われたこともあるほどだ……そのとおりなのかもしれないが、大きなお世話ではある。

 部屋が散らかった理由として、第一に生活環境の変化があった。
 ここ最近わたしは刑事として現場に立っておらず、規則的な生活を送っていた。不規則だった生活がかえってプライベートに一定のモラルをもたらしていたのかもしれないのだが逆もまたしかり、朝に起きて夜に寝るという当たり前の生活リズムがわたしから張り合いを奪い、家事全般をこなす意欲も奪っていった。
 過剰な余暇というものは、人間を堕落させるいちばんの原因かもしれない。

 自宅を出たわたしは、近所の大学を横目にニューオーウェル市を西に進んでいた。
 通りに面して建つ校舎は、一見するとほかの建物と大差なく、街の景観にとけこんでいる。地元の人間でもなければ、これが学校だとは思いもよらないだろう。

 しばらく歩いていくと、目的の建物が道の先からひょっこりと顔を出してきた。まだ寒さが身にしみる時期ではあったが、早足だったこともあり、わたしはうっすらと汗ばんでいた。
 建物に入ると、ステンドグラスのランプシェードに彩られた光がわたしを出迎えた。それを一瞥し、わたしは道すがら売店で買っておいた雑誌をめくりながら階段をのぼっていった。

 三階にたどりつくと、廊下にひとつだけ備えられたドアに向かう。ほかのドアはすべて漆喰で塗りつぶされてしまっている。
 廊下の突きあたりには、相変わらずおびただしい数のぼろ靴が積まれていた。

 部屋に入ると、その中央にどっしりと置かれたニューオーウェル市の模型がまず目に飛び込んでくる。建物二棟分の土地が空白になった、不完全な街の模型。
 わたしはそれを回りこむように部屋の奥へと進むと、模型とアンティークデスクとのあいだに置かれた籐椅子に腰を落ち着け、手にしていた雑誌を丹念に眺めていった。

「やあ」雑誌を読みはじめて一分も経たないうちに、キッチンと反対側のドアが開いてジョン・リップが顔を出す。「なにか飲むかい? 温めた牛乳ならすぐ出せるが」
「紅茶がいい」

 わたしはそう短くこたえると、ふたたび雑誌に目を落とした。
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